第6話魔物の街

 王子様……あなたはなぜ王子様なの? わたしの心を奪って去っていってしまわれた。ああ、だめよ。仮にもあの方は人間で、わたしは魔族。相いれない宿命。

「え? 彼の車から全力で逃走したんじゃなかったんすか?」

 あー……うわばみさんには全部話していたんだっけ。

「いいの! べつにあのときはあのとき! 今逢いたいという、このせつなさはほんまもんなの!」

「王子様っていったって、しがない被捕食者じゃないすか。しかもあれから何日たったと思ってるんです? 食べられちゃったにきまってます」

「うわー、やなこと言う」

「だってですよ? 魔界のプリンセスの目に留まるような上質の魂を放っておいてですねえ、魔界の貴族が手、出さないはずがないじゃないですか! きっと今頃、肉体だって魔獣に骨の髄までしゃぶりつくされてますよ」

「あーあー。聞こえなーい」

 耳をふさいで声をあげていると、自分の心に向き合わざるを得なくて、胸がキュッとくる。

 そうよ、わたし、なんで彼を好きになっちゃったの? パパを殺した勇者団の一味だよ?

「そりゃあ、イケメンなのは認めますけどね」

 まるでイケメンは全てのモテ条件の上位に位置するかのように言ううわばみさん。

 そうじゃないんだよね。イケメンはイケメンだけれど。

 わたしが、初めて彼を見たのは彼がほんの子供の頃だった。……十四、五歳くらい。険しい顔つきをして、吠えたくっていた。……本当に、思えば思うほど、たくましそうな少年だった。それが、なんであんなに清潔感あふれる好青年になっちゃったのか、人って変わりすぎてちょっとコワイ。

「にしても、さむーい」

 あったかかったのはほんの数日。

 また寒い日が続いた。

 まるで、川の中にいるかのような怒涛の雨音が、屋根や壁を通じて聞こえてくる。

「あ、マントの替え、ありますよ。使います?」

「使う、つかう! もうちょっと早く言って!」

 わたしはうわばみさんのマントに包まれてその夜をしのいだ。

 あー、助かったー。

 せっかくの気品あふれる容貌が蒼ざめちゃって台無しだった。

 いや、魔族としてはふさわしいと言える。

 だけど、ここは人間界。

 あんまり人間離れしすぎると、暮らしてゆきづらい。

 好きで血色が悪いわけでもないんだし。

 ところがなんだか、雲行きが怪しい。

 横浜駅周辺をぶらっと歩いていたら、天敵にぶちあたってしまった!


 なあんでよー!? 

 滅多に人に遭うことのない、カラオケ屋の地下駐車場。

 その一角にある自販機の前で、その男はいきなり話しかけてきた。

「あんた、横浜の人?」

 キャップ帽をかぶった、六十代くらいのファッションの人。

 ウエストポーチとくすんだ地味な配色のシャツとパンツ。

 陽に焼けた顔に、銀縁の眼鏡をかけている。

 んん、ひょっとすると、もしかして。

 もう、これは七十代くらいの人なのか、なあ……?

 そういう人なら。

 うんまあ、いいかな。

 なんて思って、頷きかける。

 でも待って、こういう質問してくるってことは、まず横浜の人じゃないじゃない!

 わたしが実は人間じゃないことも知らないわけだし、非常に危険だ! 

 彼が持っているのはクリーム色した缶コーヒー。

 カフェ・オレか、ソイ・コーヒーかな。

 自販機の前でぐいっと飲み干して空き缶入れに捨てる。

「ここ、百円だから、安いよね」

 なにかな、なにかな? ひょっとしてホームレス!? 確かにこの角の自販機は百円からの飲料をたくさん扱っていて、安い。

 でも、だからなに!?  

「あんまここ、人こないよね」

「ハイ……」

 さらに話しかけてきた。

 早く行っちゃってよ!

 答えながらわたしは思っていた。

 薄気味悪いなあ!

 目つきを細めちゃったりして、こちらをうかがうように見ている。

 怖い! こわいよー! 

 わたしは何でもない風を装って、背後でゆらり、のっそのっそと歩いていく彼の気配を感じながら、自販機に百円を入れようとした。

 ガチガチと、マントから出した手が震える。

 怖い。

 助けて! わたし、もう二度とこの自販機に近づかない! もしくは回り道して買いに来る!

 ちゃりーん、と硬貨が転がる。落としちゃった。

 まてまて! わたしははいつくばって足元を見るふりをしながら背後を見た。

 ――いる! 

 黒い二本の足が、駐車した車の向こう側、タイヤの狭間に見える。

 心臓がどくんとはねた。


 複数ある心臓が一度に縮んだ。

 なんでこう、むやみに怖いのかって、だって、あの人、パパに似てる! 

 怖い。

 震える。

 ジュースが買えない。

 こわい!

 魔獣を操り、魔族を率いていたパパだけど、その実、周囲には暴力的。四百歳の粗暴な王者だった。 

 みんなはどう見ていたか知らないけれど、ママとの別居をしたのだって、パパが人間界になじめなかったからだし、わたしみたいに自分で自分をコントロールして、人から仕事を任せられるってことがなかったからだし。

 頭から怒鳴るし。

 ……まあね。強かった。パパは。すっごく強かった。魔王だったんだから、当然!

 そりゃ、親だからって嫌なことはあるものよ。

 睨まれるだけでぞっとしちゃう。

 だけど勇者団はもっともっと、強かった。それだけのことだ。


 ――……もう、行ったかな? いないかな。

 わたしはびくびくしながら辺りを見回すと、やっと買えたフルーツジュースを抱えて忍び足でもと来た道を戻ろうとした。

 いない。大丈夫。帰ろう……。

 もう、家に帰ろう。


 借りたマントをバタバタいわせ、空を飛んでわたしは一戸建ての我が家に帰る。

 そりゃね、こわい目に遭うのは魔王の娘のせい。

 魔族の心臓を持って生まれたせい。

 ママが……死んじゃったせい。

 ううん、もっと言えば、魔族を追い散らした勇者団のせい。

 だけど、わたしは彼らを嫌いにはなれない。

 人間が、一個の生物として、知能を持った生き物として自分たちを守らなきゃいけないとしたら、うん……魔王を殺すしか道はなかったはずだ。

 だって、魔王は人間を潰しに来ていたわけだからね。

 その人間というのが、殴ったり、弱いものをいびったりなんて、頭が悪いことを平気でやっちゃう生物だけど、魔王に立ち向かうときだけは一致団結、なんて泣けるとこ、見せてくれたりしちゃうしね。


 ……どーしよ。


 わたし、魔王になれないわけがわかった気がする。

 わたし、この生き物が好き! 支配したり、押さえつけたり、圧迫したりなんてしたくない。

 この人間という生き物は、自由であってこそ、命が……輝くのだ!

 抑圧してなんかいいこと、あるの?

 ぜんぜん、ない。

 だから……だからっていうか。

 わたしがほんの百歳――魔族ではようやっと大人――になったばかりの、素朴に生きている女の子だって、知ってほしい。

 魔族だからっていじめないでよって。

 ……魔王が倒された現状、それは無理なのだけれどね。

 ううん。魔王が生きていたって駄目だ。

 余計にダメだ。

 特大メガホンもって、わたしをいじめるのはやめなさーい! それはいけないことでーす! っていうの?

 それだと、まるでわたしがいじめてるみたいになっちゃう。

 むずかしいなあ……。

 いじめをやめるかどうかは、いじめているほうが決めるのであって、いじめられてるほうじゃない。

 けど、いじめているほうが、そう簡単にやめるかというと、なかなかそうはいかない。

 だって、いじめって楽しいものね? 自分がいじめられなくてよかったって思うことも、あるものね? いじめられる側は、ほとんど生贄で、生贄の立場の者がいじめをやめさせようったって、そうはいかないの。知ってる。

 加害者の方が、被害者の生殺与奪の権利を持ってる。パパもそう言っていた。

 ときどきわたしは、そんなパパがとても傲慢で無法者に思えて、大嫌いって思った。

 けど、言っていることは正しかった。

 この世の全てを凝縮したような世界。いわゆる社会の縮図ともいえる、小さな、ちいさな世界で、わたしは自分の身分を隠して、ひっそりと生きていくしかない。

 これが……現実で、これが、真実。

 望んで魔王の子になったわけではないのに……。


 ちり。

 あ、いや。

 なんだろう?

 首筋がちりつくの。

 アレルギーかな?

 人間界の空気に、やられちゃったかな。

 しょうがない、うわばみさんに相談しよう……。


 その夜。

 わたしは、あってはならない夢を見た。

 首に鉄の輪をかけられ、縄で引き回される夢。

 極寒の牢獄で、薄着で一枚。膝はすりむけて、足は裸足。

 それは、魔王の子としては、無残な、悲しい原体験。

 パパが言った。

「弱いものは、子供とは認めん」

 と。

 だからわたしは……。

 わたしは、ああ……わたしは!


 目覚めてすぐ、わたしは雨戸と窓をあけた。

 涼しい風がすぐに室内に入りこんできた。

 薄緑色のカーテンを透かして、キラキラとさしこんでくる陽光に、ほんの少し眉をひそめる。

 まぶしくて。

 人間界は、こんなにも淡く、美しいのに。

 わたしの中にあるものは、恐ろしく、醜い。

 思い出したくないものが、たくさんあるんだ。

 だって、だから、いっぱいの幸せを、今――。

「どうしたんすかー? ししょー」

 窓辺で支度を整えたうわばみさんが、ラジオ収録に行こうよと唱えだす。

「わるいけど、寒いの。またマントを貸して?」

「いくらでもいいっすよ」

 きさくに言って、うわばみさんはばさりとマントをはずした。

「あ、替えの奴でいいんだけど」

「いまはこれしかないっす」

「ごめん、ありがとう……」

「手袋、あるっすよ」

「とても、ありがとう」

 なんか、心細いときは、いつもうわばみさんがそばにいる気がするこの頃。

 そういうと、うわばみさん、

「いやだなあ、腐れ縁っていうんでしょ? こういうの」

「む、うれしくない」

「アタシもむずむずきてます」

「もう!」

 笑っちゃった!

「ししょーはそれでいいっすよ。笑ってれば」

 不思議。わたし、声を出して笑ったらスッと胸の中がおだやかになった。吐き気がするほど、自分が嫌で嫌でしょうがなかったというのに。

「熱でもあるんすか?」

「うーん?」

 うわばみさんは八重歯をむいてニカッと笑った。

「さ、いいから今日もおいしい酒、飲みましょ」

 それって、お仕事がんばりましょう、の意味?

「仕事が終わったらね」

「はい――!」

 うわばみさんは、お味噌がシェイクされるんじゃないかってほど、笑顔で首を縦に振った。

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