第5話名前を聞こう
マントを無くした次の日。
うーん。急に晴れてきた。
昨日は土砂降りで濡れてた道路もすっかり乾いてる。
近所の植えこみのつつじ、ヤマブキ、芝桜なんかは、じっくりたのしむ間もなく、そろいもそろって散ってしまった。
この根性なしめ。
「はくしゅっ」
あー、くしゃみ出る。
雨に打たれたわたしも、しおれて枯れそう。
寒い……。
普段から、肌の露出は抑えてるけど、セーターを着ちゃう。
その下にはヒートテック。
外の風は、全身を貫くような冷たさ。
これは、真冬用のコートでもしのぎ切れるもんではない。
あ~。部屋の雨戸を一カ所だけ開けて陽の光を入れる。
銀色に輝く窓のサンが、あったかそう。
けど、冷たいんだよね。わかってた。
あー、頭が痛いよー。
打ったところじゃなくて。
これからマント無しで表を飛びまわる勇気も、王子様をすぐに見つけ出す自信もなくって、どうすればいいのかなって。
第一に、被捕食者は早い者勝ちですぐ食べられちゃう。
早いとこ、見つけなきゃ!
そりゃ、性格が奇妙奇天烈で、気に喰わない部分もあるけれど。
あんだけおいしそうな魂の持ち主って、この先お目にかかれるか、ちょっとわかんないし。
それにしても。
ええい、なんで私は魔物なの?
手足が凍りそう。
名前すら、聞かなかった。
これじゃ大体、見つけようもない。
ああ、しまったなー。
すぐに食べちゃうつもりだったからなー。
しかも、明日は一般に開かれた大学のセミナーに参加する日。
まあ、わたし魔物だし?
人間界でやっていくには、人間とのコミュニケーションに疎いのはほんのちょっとまずくて。
この春に通い出したの。
土曜日に、隔週で。
でも、このごろ天気が不安定で心配よ、本当。天気予報っていうのを端末で見たんだけど、明日は夏日だって。
当たっていれば、マント無しでもいけるかもしれない。
などと考えながら、ひとまず眠りにつくことにした。
夢を見た。
魔族は大抵眠りが浅いから、厳密には人間の見るそれとは違うんだけど、わたしは結構、夢を見がちなほう。
どういうものかっていうと、あのね、朝目が覚めたら、ママがいるの。
夢の中でね、お味噌汁を作ってくれる。
だけど、わたし「いっつも同じ味がする」って言って、食べなかった。
人間にとって、同じ味がするっていうのが、どれほど大切か、わからなかったの。
そう、これはママと暮らした数年間の思い出。
オルゴールみたいにくり返し流れるテーマ。
ママのお味噌汁、もう食べられないんだなあ。
って思ったら、急速に空腹感を思い出した。
だめ! わたし。おいしそう……ううん、心のピュアな人。
食べたら、なくなっちゃう。
だから、食べたらいけない。
大切な人……名前は……名前? そんなものに意味はない。
だけど、その人を呼ぶためにどうしても必要。
名前。名前を聞こう。最初にあったら。この夢からさめたら……。
王子様の名前を聞こう。
わたし、お給料で買ったブラウスとオフホワイトのワイドパンツをはいて、ヒールの高いサンダルと大き目のバッグを黒でそろえて、昼間ののんびり暖かな陽ざしの中、セミナーへ向かった。
会館の休憩所で缶コーヒーを買って一息ついた。お教室へ行ったら、部屋全体が陽に照らされてポカポカしていた。助かる。
汗一つかかない顔をしているわたしだけど、今日は少しだけのぼせそうになった。
最近気温の変化が激しくて参るな。
申し訳ないけれど、空調を調節してもらおうと先生に言った。
ビル全体の空調管理を守衛さんがしているらしく、しばらく待つように言われた。
結局は窓自体を開けることになった。
表のバイク音なんかがするけれど、だれも異をとなえなかったからそのまま講義が始まった。
あ、先生の授業は会話のテクニックをつかむのにとてもいいみたい。
アサーティブコミュニケーションっていうのは心理学から抽出されたものらしい。
アサーティブは自分も相手もきちんと対等に尊重し合う状態を目指すものなんだ。
けど一朝一夕ではうまくいかない。これから実践していくの。
で、今日のメイン授業は聞き上手になりましょうっていうやつだった。
これも、相手の話にうなずいたり、あいずちうったり、気持ちを汲んであげたり、言い換えをしてくり返したり。そうすることで、話している人が、自分の話を聴いてくれてる、気持ちをわかってくれている、と安心して話せるようにするテクニック。
うん、これで完璧だ。
収穫。これで今度は王子様もメロメロに決まってる!
昨日より今日! 今日より明日!
そして王子様の名前をゲット!
がんばるぞー。
でも、よく考えたら、住所か連絡先をゲットしたほうが、より早かったんだよね……。
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