第2話ファーストキスはわたしから
うわばみさんとわたしは魔界のいわば外れものだけど、人間界でこんな贅沢ができるのも、ママが年金をちゃんと払っておいてくれたからだね。感謝しなくちゃ。
わたしたちは基本、仕事があれば人間界で生きていけます。お給料からは税金ばっかり引かれるかな。生活していくだけで、税金て、かかるんで。衣食住、その他もろもろはお仕事のご褒美として自分にあてがってやる。
端末は使えるようにしたいから、電気代はかかるし、ガス、水道はママが生きてた時そのままにしているから基本料金だけ。あとは放置。ソーラーパネルがあってよかったー。
とりあえず、お友達を呼べるおうちがある。これってナイス、ママの遺産!
パパも馬鹿よねー。こんな素敵なママの事、第一夫人にしないなんて、もったいないことしたわー。うん、ほんとう、ばか……。
ママはキャリアウーマンだったから、パパとの離婚調停にはすぐに応じた。そりゃそうよ、一人でやっていけるのに、パパにしがみつく理由がない。ま、ね。もう一人、ママには愛人がいたはずだって、調べではわかってるんだけど、現在どこに住んでいるのかもわかんない。
愛人云々の話を耳にした時、わたしのなかでママの株は急上昇! 人間の女もやるじゃない! 内気なわたしは大いに触発されて、この人間界にやってきた。うわばみさんていう同志もいたし。日々の合間にこうして女子会なるもんを楽しむことができる。
うーん、これってね、以前のわたしからすると、すごいことなんだよ!
なーんでも、お嬢様? いや、お姫さまでさー。存じ上げませんでしたわ、おほほ。てなもんで。初めてこちらへ来たときは、なんでこんなにめんどくさいの? って思った。
けどさ、でもさ。星の見えない都会の夜も、それなりに、それなりなわけよ。
民間では「スモッグなんとかせえ!」ていうけど、魔界はいつもこんな感じよ?
感じ方の違い、だと思う。要は。
うわばみさんは、もともとがお酒の精だから、どこへいってもお酒さえうまけりゃあとはどーでも、っていう魔物。気が合うんだ、わたしたち。フフッ。いーでそ。ブイよ、ブイブイッ。
今はヨコハマ。ファッショナブルな若者の街。なーんて言われてはいたけれど、今や魔物の出没する危険地帯なんだ。人間にとって、ね。
魔族も馬鹿じゃない。
人間を、しかもまさに労働に従事する年齢の『若者』をとって喰うわけにはいかないわけで。それより弱い、ようやく肉体が完全になったっていってもまだまだまだまだ若すぎる個体も、母体保護を考えて……まあ、これもとって喰うわけにいかない。するってえと、自然、捕食すんのは、肉体の限界を越え始めた個体、ってことになるわけで……えーと。
人間ってはかない生き物なのよね。たかだか百年くらいで寿命がきてしまう。それも飲酒や事故なんかで命を落とすもんもいる。
食すのに適当な時期ってもんが、本当にむずかしい。
だから、その。
人間に告知することにしたの、あんたはこれこれこういう理由で、捕食されることに決まりましたから、そんなわけだから、せいぜい身を清らかにして、最後のときを待ちなさいって。
そしてね、おいしい部位を平等にわけるため、わたしたちは「早い者勝ち」っていう方策をとった。
どっこが平等かって?
お腹が空いてるもんの方が、素早く動く、これ常識。のんびり構えてる、おなかのふくれた魔物はカスでもしゃぶってればいい、こういうこと。
今もわたしたちは(わたしとうわばみさんは)獲物を狩りに赤レンガ倉庫まで来た。うん……おなか空いたからね。
今日の獲物は、ヨコハマ在住のシズオカ出身の王子様! ていうか、あれ! 見たことあるうー。
え? どこで? どこだったかなあ。水晶玉で! パパが失脚したときの、勇者団に混じってたあの男の子だー! なっつかしー。
うん、パパは勇者団に殺されちゃったのね、そんでその次の魔王に、わたしはなる予定だった。あくまで予定。パパが勝手に決めてただけだけれどね。だけどそんなの、性にあわないし、そういうのはやりたい奴がやればいい。世襲制の魔王なんて聞いたことない。
それより、問題の彼。
暗い、湿った空気の五月の空の下で、わたしたちは邂逅した。
うん、わたしは空を飛んでた。
王子様はゆるく足を組んで、アイスクリーム店のイスに腰かけていた。
実に窓ガラス越しの出逢いだったわけ。
きゃー、すてきー!
黒い髪、こげ茶の瞳、清潔そうな肌に長い手足! 好みのタイプ! いつぞや見かけた精悍な顔つきは今は穏やか。
いい人生送ってるみたいね。よかった。
それでもって魔物に食べられる時期が来たんだ……。まったく、人ってやつは。ちょーっと、育つの早すぎるんじゃない?
でも、まあ。
「ここであったが百年目よね」
「ししょー?」
うわばみさんが笑いをこらえている。
「ん?」
「今日の獲物には、なんか、怨みでもあるんすか?」
「ないわよ。ていうか……あるっちゃあるけど、すんだこと」
「でもここであったが百年目って……」
「あれ? そういう意味じゃなくて。袖振り合うも他生の縁というべきか」
「魅力的ですねー、彼」
でっしょー? 惚れるよね、あの胸筋、触れてみたいよね?
というと、うわばみさん、
「筋肉は筋張ってて好きじゃないです。おいしくない」
そうか。彼、あの筋肉のおかげで今まで魔物に喰われずにきたんだ。
「自業自得か」
「そんな言い方ありましたっけ?」
「多分まちがってる」
「ししょー、人間界、長いのに……」
こんなところで不肖の弟子に呆れられてしまった。
くすくす、笑われてる。どうでもいいけれど、うわばみさんも、人間界長いからね。そういう笑い方とか。
「でもサキュバスとかは喜びそうですね」
「いやー! 精気をしぼりとられちゃうなんて。彼はわたしがもらううう!」
「だったら、唾つけとくんですね。行っちゃいますよ」
彼はスカッシュの入っていた、プラスチックのカップをゴミ箱に入れると、夜風を楽しむように、ゆったりとした足どりで歩き始めた。
ところが夜の散歩を楽しむ間もなく、雨が降り始めた。オレンジにライトアップされた建物に、点々と黒いシミができる。
あん、水も滴るイイオトコ!
じゃなくてチャンス到来!
わたしはうわばみさんの持ち物であるビニル傘、ふんだくって彼に近づく。ポンと傘を開いて、いまさら気づいたように彼の前にたたずむ。
「冷えるでしょう? お入りになりますか?」
「ああいや」
ああいや。それが、彼の声を聞いた初めての言葉。
「車できてるんですか?」
「ええ、まあ」
「じゃあ、車までどうぞ」
よく、そんなことをぺらぺら言えたわあ。
広い駐車場の端の方まで。一つの傘で肩を濡らさないように、精一杯、背の高い彼の方に傘をさしかけて歩いた。
ゆらゆら揺れる視界が胸のときめきに拍車をかける。もう、免疫がないものだから、くらくらきちゃって倒れそう! 思わずよろめいたとき。
「大丈夫ですか?」
あん、大丈夫じゃない。彼みたいな美丈夫に腰を抱かれて、平気でいられるわけがない。
わたしは我を忘れて、彼にしがみついていった。
私のファーストキスは、自分から。
好きよ。好きだわ。好きなのよ。
……その顔が。ええ。
なにがいいって、切れ長の瞳から、真一文字に結ばれた口元が、話すとき、ほんの少しにこっとする。上唇よりほんの少し厚い、形のいい下唇。さらっとしていて、おいしかった。
いやいやいや。とって喰ったわけじゃあない。唇をあわせたら、自然とそういう感想になってしまっただけ。だってさ、初めてだったわけだし、よかったかどうかなんて、わかんないわけだし。だけど、もう一度、触れてみたい。……触れてほしい。好き。
おっとっと。なにケータイ小説みたいなことを言っているのか。もう一度なんて、実際はなかなかこないもんなのだ。こちらから仕掛けないと。
――嫌われてはいないと思う。拒まれなかったし。酔っ払いと思われた可能性もあるけれど、つけこむ隙を与えたのは向こうだって、わかってる。
わたしは、彼を知っているから。好きになる理由はそれだけで充分だった。イケメンでハンサムでなくったって、魔王討伐に若干十代で加わった勇者だもん。ヒーローよヒーロー。あんなにかっこよくなってたなんて……それこそサキュバスが喜ぶほど。
勇者って、ちょっといいな。ううん、断然いい。
パパを殺してくれちゃったときは、内心ひやひやもんだったけれど。わたしも殺されちゃうのかなって心配したけれど。でも、女子供には手は出さないって、見逃してくれた。
パパがいなくなっちゃったら、もう人間界のママのところへいくしかなかったけど、この春、百二十歳でママは、死んじゃった。大往生だって他人は言うけれど、何歳だったって、家族にとっては、大切な人だ。諦めきれるわけない。
ママ、わたし、百歳になったよ。一人前の魔族になれたよ。
そう、言いたかったのに……。ママは。
今、魔界では新しい魔王を擁立するために、すったもんだしている。
まあね、わたしもようやく大人の仲間入りを果たしたんで、ちらほらそんな話も聞こえてくるけれど、正直そんな気持ちはない。
わたしは人間界で生きていきたい。半分はママの血がながれているんだから、可能なはずよ。人間界でいうところの十八歳で外見年齢が止まっているのも、パパの血のせいじゃなくって、やたら時の流れの遅い、魔界で育ったせいだと思うし。
このまま人間界にいれば、わたしいつかはママのお墓に入れるかもしれない。
そんな、千年も二千年も魔王の王都で君臨するなんてごめんだ。
パパの仕事を見てたことがあるけれど、デスクワークばっかりで、すぐ腰を痛めて、休みの日はマッサージ室に入り浸り。良いことなさそうだったもん。
勇者にはつけまわされるしね。
わたしが魔王になって、それを追いかけてくるのが彼だったなら。いいんだけどなあ……そう思わずにいられない。だって、こういうのもなんだけど、初恋だったんだもん。きゃあきゃあっ。言っちゃった! 内緒だからねっ?
「なに、一人でわきわきしながら顔赤くしてんすか。マントの調子、悪いんすか?」
うるさいなあ。
「彼と、キスしちゃった……うふふふふ」
「なあんだ。一足先にぬけがけして、一人でマッチョな精気を吸ってたんだと思ったすよ」
「筋肉質も精気が濃ゆくて、好きな魔物はいると思うけどなあ」
酒から精気を摂るうわばみさんには関係のないこと。
でも。でもね、唇が触れたところから電流が駆け巡るような快美さがわき起こって、思わずうっとりとしちゃってたもんだから、そのすきに彼、そそくさと車に乗りこんで、ドアを閉めた。
こんなことが起こるの!? どうして? せっかく見つけた王子様を逃しちゃった。
わーん、わたしのバカバカ! ああもう、なんでよ! 一生の不覚! あのまま、車に一緒に乗りこんで、押し倒しちゃえばよかったじゃない。
強制わいせつ? わたしは大人! 相手がまんざらでもなさそうなら、なおさら! それにしたって、まだまだ、人の世では、しばらく前までは女性による男性へのご、強姦罪は成立しにくいって言われてたわけだし……て、何言ってるの、わたし。
まるで浮気男が「女の方が誘ってきた」って言えば放免されるとでも思ってるように。確かに女性は子を宿す性だから、避妊しない行為でのリスクは、男性よりも多い。
だからか、女性が男性に積極的に出る場合、法的に擁護されやすい。
男女の合意による婚姻関係を第三者の立場から阻害する場合を除いて。
男性が女性をどうこうするよりは……犯罪になりにくいという文化背景があった。かつて。
無理もない。
と、ここまで考えて赤面! けど……やっぱなあ。
経験不足が如実に表れてる、わたし。
透明ビニル傘ごしに、目を細めて見ていたら、発進音をさせて彼は行ってしまおうとする! どうしてよ!?
わたしのことは事故だったとでも言わんばかりに。
そりゃあ、彼に罪はないし、そんな意識を持ってほしくはない。
わたしが勝手にしたことだし。
だけど、ノーリアクションはないでしょ!? あーん、待ってよ! 置いていかれた……ショックでか! ありえないでしょー?
――よっし! 決めた! こんどこそ、彼に私の気持ちを届けてみせる! ……てことは、今追いかけないと、また行方がわからなくなってしまう。
早くあの銀色の車を追いかけなきゃ。
わたしは、すぐに空に舞い上がった。
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