第19話 放課後の風景 part 1 'わたしとポルシェの悦楽'

 週3日、7限目の授業がない日は そそくさと独り教室を後にする。

 

 駐輪場からもう立ち漕ぎで思いっきり自転車漕いで脇目も振らず一目散にウチを目指すんだ!ホームルームが早く終われば運よく3時台には帰宅出来る。


「近頃なんかつきあい悪いな?」って景子からは冗談交じりに言われたけど、えへへっと笑って誤魔化した。ごめんな!大切な友達よりも、気張らにゃらなん事は解ってる受験勉強よりも今何より優先したい、否、されるべき時間を私は遂に手に入れたから。



……



 着座位置、ミラーよし、腰のところで2点式のベルト金具を留め、キュッと絞れば幾分心許こころもとないが、腰骨から下腹部あたりで収まる。ベルトよし、その動作の延長で視線は伴わず少し伸ばした右手の小さな遊び、その感触が告げた、スポルトのシフトポジションよし、


 すうっと一つ息を吸って、私は厳かに'儀式'を始める。


 アクセルをパタパタと何回か足踏みしてから、そして最後のひと踏みで何mmか気持ち少しだけ右足を残し開けた侭、おもむろに左手でキーを捻ってやる!と、ズ、キュルルルルル……!セルモーターは勢い良く回り出す。透かさずあるタイミングでクッ!……と更に右足を少し踏み込んでやると、


 ズウォオム!一吼、4気筒発動機フラットフォーに火が入り目覚める瞬間だ!


 その刹那、回転計タコメーターの針はぴょん!と跳ね上がりそして、するするすると落ちてゆく、オレンジのランプがまばたき完全に点灯するその直前迄にアクセルを何度か煽ってやると右足の動きに呼応して、ズウォム!ズウォォム!ズウォオオォ〜ム!とまったく気っ風の良い快音を轟かせるのだ!

 

 「うん、いいコ」


 最初は爺ちゃんの所作を模した見よう見真似に過ぎなかったけど、だいぶ自分のそしてポルシェ機関の理に適った間合いで出来る様になってきたんじゃないかな?と思う。


 キャラキャラキャララララロラロラロラロラロ……


 安定してゆくアイドリング。その暫しの暖気のお時間がupすれば、手を伸ばしてキコキコと右側の席のクランクハンドルを回して窓開けて、爺ちゃんに行ってくるね!と告げる。「あいあい、気ぃつけて行きや〜」決まって爺ちゃんは作業しながら同じ台詞でなんら咎める事なく、いや寧ろ生気を取り戻した私にポルシェとの時間を推奨するかの如く、毎度送り出してくれる。


 そして私は薄暗い工場からピークからは少し傾いたが、まだまだ高い陽射しの中へ飛び出すんだ!

 自転車での彷徨とは比較にならない機動性と航続距離を得た私は自由に行動範囲を拡げることが出来たし、彼方此方巡るうちにお気に入りのドライブルートなんてのも出来た。

 勿論、如何にスポルトマチックとはいえまだまだシフトチェンジ/アクセルのタイミングとかおっかなびっくりな所はあるけど、繰り出す度に運転そのものにも徐々に慣れ、ポルシェの癖にも少しづつ順応していった。何より日々濃くなってくるシンクロ……それは私にはイマイチよく理解出来ないけど、おじさん達の会話によく出てくる所謂ポルシェのクラッチのそれではなく、車=ポルシェと私の!それが何よりもいちばん嬉しいんだ!


 例えばほら、この住宅地と交通量の多い市道から勾配を駆け上りトンネル抜ければ産業道路の山道に入る。すると三角窓から吹き込んでくる風の匂いも変わってくる。'風' 、それはしかし最早纏わりつく様なあの夏の湿気をはらんだ饐えたそれではなく乾いた掌で優しく肌と髪をさらさらと撫でてゆく心地よさ。

 屋根タルガトップを外せば、それはもう少し強い力で私の中にまで吹き込んできて誰にも言えない胸の奥底に堆積した諸々の塊を、このひと時だけでも掻き出して後方へ吹き飛ばしてくれる。アクセルをひとつまたひとつ踏み込んで加速してゆくその度に軽いふわふわした類いのやつなんかから順に消し飛んで行くんだ!


 不器用にコーナーを曲がる。掌を少し開けてやれば、するするとその中を滑って戻るか細いウッドステアリングの感触が凄く好き、


 この今は使われてない料金所跡のゲートをくゞれば長いアップダウンの区間に差し掛かる。アクセルを遠慮なしにグイ!と踏みつけてやると、ポルシェは瞬時に私の意を汲んで後方の4気筒発動機を大袈裟な爆音と共にフルに回し一般道で体感出来る最大の部類の加速を味あわせてくれるんだ!爺ちゃんとのこのポルシェでの初めてのドライブで感じた'地面に杭を打ち込む'あのフィールを自分でステアリング握る今ではその右足の裏っ側からダイレクトに得る事が出来る!

 まるで速度計の針と連動してるかの如く、今迄味わった事のない昂まってくる。足裏から伝搬してくるそのざわめきはゾクゾクゾクと鳥肌を沸き立たせ、躰の奥の真ん中辺りからは悦楽の物質の類いが止め処なく溢れ出す。


 「ああああああああああぁ!」声にならない声が思わず叫ぶ!もう少し重い塊もそのこころの咆哮といっしょに私とポルシェから吐き出され直接繋がってる空に吹き飛んで、そして溶けていった。そのは私の体全体を痺れる様に征服しそして背中のあたりから抜けてゆく……


 心の中の話し相手、一番古い付き合いのソイツも嫉妬するくらいに濃密な無言の対話、


 それは自分を解き放ってくれる魔法の様な時間。あぁなんて快感?このペダルをもっと更に踏み込んだら、私は一体どうなっちゃうんだろう?自在に駆ける高三の晩夏初秋。今、この時、この瞬間、ポルシェと私は一体となりそして果てしなく自由で無限だ。






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