第20話 放課後の風景 part 2 'TOYOTA 86'

 制服衣替えの移行期間。



 私はシンプルな白い半袖のセーラー服にスカートの紺色に合わせた学校指定のカーデガンを羽織ったいでたちで、景子は既に冬服で下校中ならんでんで自転車を漕いでいた。


「なぁ、才子。今日これから時間ある?」


「なん? 何か食べて帰る?」


「肥らすな!……違うんよ、今日兄ちゃんが車貸してくれるって言うからちょっと乗ってみたいんだ。横乗ってくんない? 才子お爺ちゃんとよく練習しててもう一人でも大丈夫やん?」


 ふむ?友達と二人っきりで車に乗るのは初めてだったけど、景子も兄に乗って貰って何度か練習してるの知ってたから、別に断る理由もないし近頃付き合いも悪かった後ろめたさもあって、暗くなる迄戻るって事だったから別段考える事もなく了承した。


「ありがと。着替えたら迎え行くわ! じゃね〜!」


 商店街抜けた次の交差点で、そう言ってこっちを向いてニコリとした景子。迷惑な並列走行の二台の自転車は夫々の方向へ。


 帰宅すると、ボンネットに首を突っ込んで黙々と作業する爺ちゃんにただいま!って言って、近頃は頻繁に出し入れするから入り口に一番近い所に停めてる初心者マーク付きのポルシェに一触れ撫でしてから居間に上がる古いガラス戸をカラカラッ!と開ける。それが私の近頃の決まったルーティーンだ。


 トントントン! と軽快に急傾斜な階段を駆け上がり、そそくさとセーラー服を脱いだ。女の子二人、別段気取る事もない。デニムに薄いルーズなセーターだけ被って景子の到着を作業場で……ポルシェと戯れながら待つ事にした。


 一台のスポーティな車が乾いた音を響かせながら修理工場の前に入ってくる。


 老整備士も「お!」と言う感じでボンネットの中からひょいと顔を上げた。それは景子の乗ってきたTOYOTA 86G。


 トヨタとスバルが共同開発した水平対向4気筒エンジンを搭載した魅力的なライトウェイトFRスポーツカーであり、そのモデル名は漫画"頭文字D"でも人気かつシンプル明快なベースマシンとしての楽しみに溢れ長い人気を誇るスプリンタートレノAE86=通称ハチロクに倣って命名された。低価格でありながら徹底的に練られたコンセプト、現代的でスポーティーなデザインもあり若年層からミドル/シニア世代まで人気を博している。


「お待たせ!」と、景子はエンジン掛けたままスーっと窓を開けてこちらに向かって短く言った。


 お!? 景子、なんかいつもと違う雰囲気でカッコええな? 私もポルシェの車内から、キコキコと硬いクランクハンドルを回して窓を開け応える。


「え〜? それが噂のポルシェ? 凄い可愛いやん〜!」


景子は思わずシートベルトを外してアイドリング状態の侭86から出てきて駆け寄ってきてしげしげと一瞥、ペタンと窓の所に両手両肘を付いた景子。そのスタイルはまるで'50sのアメリカン!そんな風情でドア越しにすかさずわきゃわきゃと他愛もないガールズトークが始まった。


 その時、ハザード点けた86の脇にキュ!っと一台の自転車が停まった。


「あ!」


 2人の女子高生は、一人はポルシェの車内からもう一人はそのドアの所に手をついて背中とお尻を向けた侭振り返ってその自転車の方に視線をやった。


「森?」


 森と呼ばれた男子生徒はアイドリングしたままの86と同級生達が戯れる古いクラシック・ポルシェに少し視線を動かした後、車内の才子の方を見た。才子は反射的にルーズなセーターの開いた襟ぐり胸元に手をやった。瞬間、視線を逸らしたかの様な制服姿の森はそのまま再びペダルにグッと力を入れると立って自転車を漕ぎ出し、何も言わずそのまま走り去った。


「あいつ、見たよね?」


 え?もしかして胸元丸見えだった?思わず赤くなるが景子は全くそんな事は意に介さずって調子でボソッと漏らした。


「車!…免許の事、先生にチクったりしないよね?」


 ああ、そっち!そうだよね? ……一応、校則では在学中の普通自動車運転免許取得はご法度。でもそれは建前上で'見つからなければ'な…御多分に漏れずな空気が支配していたから別段気にもとめずにいた。まぁ森は余り周りと接点を持とうとしないヤツっぽいから多分チクりはないだろうと踏んだ景子と私は予定通り、道路が混むから工場や自衛隊の退勤時間前の5時過ぎ頃迄には戻ってこよう!と出発した。


 しかし蓋を開ければまだ慣れない景子の運転はよく言えば超慎重で……スポーツカーに大凡似つかわしくないトロトロとした超低速でゆく。そんな若葉マークの86は片側1車線に自然渋滞をつくり、数珠つなぎの様に後続車を引き連れて恐る恐る練り歩いた。私は一人後方をチラチラ気にしながら何かこちら迄緊張が伝染しそうだったので冗談の一つ二つ言ってみたけど「今、喋りかけないで!」と背筋のピーン!と伸びた姿勢で肘を直角に'小さく前にならえ'宜しく胸のすぐ近くでハンドル握り鬼の形相で前方だけを睨み続ける景子に一喝される始末。


 仕方ないから、手持ち無沙汰だし同期してる彼女のスマホ弄って音楽でも?(まったく羨ましい機能だ)と思ってやり方訊ねたら「音楽?気ぃ散るからやめて!」とこちらも一蹴。


「……」


 只々おし黙ったまま、音楽もかけずに車内に入ってくるエンジン音と夕暮れ前の街の喧騒だけBGMに初めての友達とのぎこちない無言サイレントドライブタイムが過ぎて行く。

 それでも才子にとっては免許取得以来、古い車しか乗った事がなかったから、最新式の車の滑らかさと言うか圧倒的な密閉感や制御された感じがある意味とても新鮮だった。まぁ景子の運転ではこの86の、その本来の魅力のきっと1/10も味わってないだろう事は火を見るよりも明らかでちょっと惜しいな……と。


 そんな景子は相変わらず前を凝視したまま。それでも私は何故だか解らないけどこの只々流れてゆくだけの不器用な時間が愛しくずっと続けばいいなと思った。


 ……


 森昌浩は、運動/文化系どちらの部活に所属せず、クラスでも別段仲のいい友達も居ない様。身の回りは割とこ綺麗にしてるし活発でお洒落な男子グループにいてもおかしくはない雰囲気を纏ってはいるが、どちらかと言えば大概の時間は独りでいる暗くあんまり目立たない(様にしてる?)ヤツ……所謂、陰キャラな印象がある。勿論、プリントの回収とか掃除の時とか必要ある時以外に喋った記憶はない。


 翌日の放課後の事、


 教室で帰る準備をしてると背後から唐突に男子から声を掛けられた……



「ちょっと、いい?」








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