第39話 険道の白と黒

 その黒はまるでピアノの様な深い鏡面で、鈍い光沢を放ちフロントフードに冬のどんよりとした鉛色の空、そして雲の紋様を静かに映し出していた。


 な、なんて美しいんだ。


 思わずつつ……とその肌に指を這わせたい衝動に駆られるのをナントカ抑えた。黒くフラットな屋根とサイドのロゴラインが白いボディカラーにコントラストを描き、少し覗くシートとヘッドレストの内装色が絶妙な差し色となっているスポーティで躍動感のあるウチのポルシェ、モノトーン無彩色であるが色相的には対極=補色に当たると云えようこのブラックナローはクーペとタルガの差こそあれ同じ型のスポーツカーとは思えない優雅さを湛えている。



 ズヴォム! セル一発始動!鋭い金属音が山間の静寂を切り裂く!


 瞬間、百舌か何かの鳥が数羽奇声をあげ乍ら一斉に樹々の枝から飛び立った。


 シャ〜ン!シャァア〜ン!と爺ちゃんが更にアクセルを2度程軽く吹かせてやったあと空冷水平対向6気筒発動機は精密機械が正確に回転・こすれ合うシャラシャラシャラ……と規則正しいアイドリング音を刻み出発を待った。



「それじゃあお預かりしますぞ。また諸々電話で連絡しますでの」


「よろしく頼みます、才子さんも運転気を付けて。またドライブがてらコーヒー飲みにいらっしゃい」


 ハイ! とニコリと笑顔をつくってはみたが、あの苦く酸っぱい味を思い出し梅干し条件反射的に舌がキュッと窄まった。


「……あ! 国松さん、彼方あちらの方も引き続きご英断お待ちしてますよ」


 '樂園'を後にする際、宮田さんは最後に爺ちゃんにそう付け加えた。



「?」



 2台の同じ1968年製のナローポルシェは今日来た道を引き返す。この場所の成り立ちなんかを聞けばなんとなくこの荒れた道も納得は出来るが往き来が増えればきっと整備手入れされるのかな?


 ……それより、前を往く911Tの後ろ姿よ!


 シゲルコの914に同乗してエアクールドパair clous de parisリで隊列走行した時に前方を護衛してたのが同じ911Tだった。そのアイヴォリーカラー追いかけた記憶が空冷6気筒フラット6発動機のサウンドと共に蘇る。あの時と同じ野太い排気音と精密機械金属音の惚れぼれする様な快音デュエット


 散らばった枝葉や礫で荒れた'樂園'付近の原生林の道では路面を気にしながらの走行であったが、植樹された山道を経て川沿いの道を下る頃にはすっかりコンディションも良好に戻り、2台の黒白ナローポルシェは山間に音階の異なった空冷サウンドを轟かせながら疾走した。老整備士はバックミラーとVDOスピードメーターとを常々交互に視線を遣りながら = 孫娘が付いて来れる間合いと速度で、長年自らが手掛け面倒を看続けてきた911Tを以って暫しドライビングを愉しんだ。追随する才子も、どうやら自らのポルシェがいい状態に仕上がった事を知り気分があがる。


 "4気筒だって!"


 そう思ったその刹那、


 山あいを抜ける3車線の国道に出たところのなだらかにダウンしてアップになる直線、他車がいないのを見計らった爺ちゃんは悪戯いたずらにアクセルを開いた!鋭く呼応する6気筒発動機は一吼え咆哮! 突如マフラーから青白い排気煙がまさにスパイラルに渦巻き、優雅な黒を纏って淑女を装ったTは、瞬間その本性たる瞬発力を剥き出し、地を蹴るようにふっ飛んだ!!


 "こ、これが911!?速っ!"


 あっという間にぐんぐん車間が開くのを私は呆気に取られながら見送ると、ハッ!と我に返って前を見据えターゲットをロックオン!グッとステアリングを握り直し右足に少し力を込めた!……が! 同時にここ数日、そして出発前の爺ちゃんの言葉を思い出し渋々アクセルを戻す。その先に待っていたであろうは、


 暫く忘れかけた、あの感覚。そう、さっき言いかけた"4気筒だって!"の続き、


 5速でアクセルを踏み込むと鉄のハンマーか機械でズドドドドドド!っと喧ましい音と振動を伴ってアスファルトに杭を打ち込んでゆくかの如く、ぐい!ぐい!と加速するこの4気筒発動機 特有の'悦楽'、いや? その打杭はアクセルペダルを通して足裏から私の心臓……心を何度も何度も激しく打ち抜く最早'官能'と言っても差し支えないあの瞬間だ!


 それを味わうのはもう少し先、ピストン/シリンダーが馴染んでから……



 しかしこ憎たらしいのは、自分で嗾けときながら'その瞬間'をお預け喰らわせた意地悪爺ちゃんだ!前をゆくTはゴメンゴメンとばかりスピードを緩め才子のポルシェが追いついて来るのを待った。

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