episode3

 アストとシェーネはエナ魔法学院から離れた場所にいた。

 草木一つない荒野だ。ところどころにある渓谷の底は闇に隠れ、風が吹き抜ける音だけに包まれた静寂の空間。空には満月が浮かんでいる。


「――それで、こんな荒野にまで連れてきて、何をしようというんだ?」


 先に口を開いたのはアストだった。

 冬に差し掛かる前の荒野は肌寒い。夜ともなれば、寒さは増す。

 吐いた息は白く濁り、空気に溶けるように消えていった。


「さっきも言ったでしょ? 首席候補枠を賭けて、私と勝負しなさい」

「それで、俺に勝って首席候補枠を奪おうって訳か」


 十メートル程度の間隔を空けて、二人は対峙している。

 シェーネの瞳は本気だ。迷いも恐れも感じさせない。むしろ、よく研磨された剣のような鋭さを感じさせる。

 敵意を剥き出しにして、隠す気はさらさら無いらしい。


「俺に勝って首席決定戦に出ようと思っているみたいだが、きっと出たところで負けるぞ」

「……っ、へえ」


 シェーネの身が強張る。


「これまで首席を決めるための特別試合なんて聞いたことがない。おそらく試験内容を見て、同レベルの二人が選出されたのだろう」

「ええ。その通りよ」

「なら、俺と同程度の相手がいるということになる。それにお前が選ばれなかったとなれば、俺と決定戦の相手、お前の間には大きな溝があるんだぞ?」


 シェーネは奥歯を噛む。強張っていた身に、更に力が入る。両手で体を抱えるようにしていた。


「そんなこと……戦ってみなくちゃ分からないじゃない」


 硬直していた腕を解き、両手を広げるシェーネ。両手の先で魔方陣が構築される。


「私は、私の力で首席になるの。あんたなんかに負けてられない……!」


 満月の光に照らされ、キラキラと光ながら空気中に粒子が浮かび上がる。ゆっくりと空気中を浮遊しながら、次第に魔法陣へ吸い込まれていった。

 周囲の気温が下がる。霧にも似た冷気が溢れ出す。それはシェーネの隣で形を成した。


「『氷結人形グラシアス』!!!」


 シェーネが試験で使用した魔法だ。

 氷の鎧と剣を纏った大柄な兵士。試験の時よりも一回り大きくなっていた。

 氷の兵士はアストを見て、雄叫びを上げる。


「ほう。気温が低いからか、それとも試験では力を抑えていたのか。どちらにせよ、強化されていることは間違いなさそうだ」

「よく分かったわね。試験では殺してしまわないように全力を出せなかったけど、今は全力で行くわ!」


 シェーネが手の平をアストに向けた。

 氷の兵士は命令に応えるように、アストへ猛進する。氷の剣を掲げ、重たい鎧をぶつけ合いながら、一直線でアストへ迫る。


「沈みなさい!!!」


 剣が振り下ろされた。

 荒野全体に響くような音が轟き、足元が震える。

 剣の元でアストは、


「ふむ」


 悠々と立っていた。

 片腕に炎を纏い、剣を受け止めていたのだ。

 シェーネは唖然とする。


「そ、そんな……」

「どうした? この程度では無いだろう?」

「……っ、と、当然よ」


 続けて、空いている豪腕でアストを凪ぎ払おうとする氷の兵士。その腕は鎧を纏っているとは思わせないほど、しなやかに軌道を描く。

 それも、アストの腕によって防がれた。


「どうしてっ……?!」


 シェーネの視線の先はアストの腕だ。剣を受け止めた腕ではなく、豪腕を凌いだ腕。その腕は生身の状態だった。


「素手で魔法を防ぐなんて……そんな……」

「この程度の攻撃ならば、魔法などいらないな」


 アストは氷の兵士を蹴り飛ばす。

 アストが剣の対処にだけ魔法を使用したのは、剣に拘束性の魔法が付与されているからだ。

 シェーネの試験相手を捕らえた氷の魔法は剣を振るうと発動する。

 アストは試験の試合でそれを見抜いていた。

 だからこそ、氷を溶かすための炎が必要だったのだ。生半可な炎ではなく、『火球フレイム』以上の炎。

 その点では、アストの対戦相手が使用した『火拳フレイムブロー』はいいヒントとなった。


「くっ……!」


 シェーネはもう片方の腕で構築していた魔方陣で、もう一体の『氷結人形グラシアス』を生成した。

 アストに蹴り飛ばされた氷の兵士と合わせて二体。シェーネを護るようにして立っている。


「悪いけれど、ここからは数の力を使わせてもらうわ!」


 シェーネは腕を突き出し、更に魔方陣を作り出した。

 今度は冷気ではなく、黒い雷が走る。

 魔方陣を囲うようにして迅雷が駆け抜け、シェーネの手の平に向かっていく。

 魔方陣の中心から顔を出したのは、黒い鎧と巨大で歪な弓を構えた兵士だ。


「『雷弓人形トネルアス』!!!」


 これで三体の兵士がシェーネの元に集った。

 アストの肌を刺激する弓兵の迅雷は、時折空気中を駆けるように放電される。その源にあるのは、歪な黒い弓だ。


「いけ!!! 焼き焦がしなさい!!!」


 シェーネが合図をすると、氷の兵士が駆け出し、黒い弓兵は弓を引く。

 黒い弓兵が放った矢は迅雷で軌跡を描きながら、空中で三本に増殖する。勢いを落とすことなく、三本の矢はアストを襲う。

 矢の衝突で爆発した迅雷を掻き分け、二体の氷の兵士が剣を大きく振り抜いた。

 大地を揺るがす衝撃は、荒野を抉っていく。


「こ、これなら……」


 息を弾ませながら、シェーネはアストを確認する。そして、驚愕した。

 攻撃の中心で、アストは当然のように立っていたのだ。三体の人形が繰り出した攻撃は、全て、アストには届いていなかった。


「『魔法結界ノグタル』」


 アストの周囲に浮かぶ魔方陣が、全ての攻撃を完全に防いでいる。


「な、なによ……それ……。そんな魔法……聞いたことないわよ……」

「当然だ。これは俺の魔法だからな」


 魔法の多くは世間に浸透し、その魔方陣も効力も熟知されている。だからこそ、大抵の魔法の穴を、大抵の人は知っているのだ。

 だが、世の中には僅かながら知られざる魔法が存在する。限られた者にしか使用することが出来ない魔法。その一つが、『魔法結界ノグタル』だ。

 そんな魔法をシェーネが知るはずもなかった。


「さて、どうする? 『魔法結界ノグタル』を破らない限りお前に勝ちはないが、見たところ、お前にこれ以上の手は無い」

「……っ!」


 シェーネは力強く拳を握る。

 一体でも強力な人形の同時召喚は、シェーネの奥の手だった。

 これ以上の手はもうない。


「……終わりのようだな」


 アストが腕を横に一閃すると、壁となっていた魔方陣が三体の人形を押し退ける。

 体勢を崩された人形は揃って背中を地に着け、転んだところを魔方陣に呑み込まれていく。


「あっ――……」


 その情景を眺めることしか、シェーネには出来なかった。

 アストは目を伏せるシェーネに歩み寄る。


「聞かせてくれ。なぜ、お前は俺をそこまで敵視する?」


 重々しくも、シェーネは声を出す。


「そんなの……」


 肩を震わせながら、シェーネは言葉を紡ぐ。


「校門前であんたの後ろ姿を見たとき、背筋が凍ったわ。底知れない何かを感じて……怖かった」


 アストは何も言わずに聞く。


「嫌だったのよ。見たこともない、何処の誰とも知れない相手に怖がる自分が。だから……」

「倒して、自分の方が上だと証明したかったのか」


 コクリと、首肯く。


「けれど、もういいわ。私じゃあんたには勝てない」

「敗けを認めるのか?」

「そう言ってるの。何度も言わせないで」


 伏せていた目を開くシェーネ。うっすらと滴が溜まっている。


「あんた、私に勝ったんだから、絶対に首席になりなさい。敗けは許さないわよ」


 アストの胸に、シェーネの握り拳が当てられる。シェーネは今にも溢れそうな涙を堪えて、何とか笑みを作った。


「勿論、ただで終わらすつもりはない」


 アストも笑みを返す。

 シェーネの瞳を揺らす滴が一滴、頬を伝った。

 アストは指で、滴を拭う。

 瞬間、ボンッとシェーネの頬が赤く染まる。


「ち、ちょっと、止めて……!」


 シェーネは、アストの胸に当てている握り拳を解き、手の平でアストを押して離れる。

 突然の奇行にアストが首を傾げていることに気付き、シェーネは咳払いをした。


「も、もう戻りましょ! 決定戦が始まるわ!」

「ああ。もうそんな時間か」

「ん」


 シェーネが差し出す手をアストが取り、


「『転移ポート』」


 アストが作った魔方陣から放たれた光の粒が、二人を包み込んだ。



 ***



 視界から白い光が消えると、二人の足元は休憩スペースへ戻っていた。


「決定戦は間もなくです。両生徒は速やかに中央舞台へ向かってください」


 放送が流れる。

 見れば、二人の視界にはお互い以外に誰もいない。


「じゃあ、頑張ってね」

「ああ」


 シェーネの声援の受けて、アストは踵を中央舞台の方へ向ける。その反対にある観客席入り口へ、シェーネも足を運んだ。

 アストが他とは一回り大きい扉を潜ると、中央舞台の上に二つの影が見えた。

 一つは試験官。もう一つは決定戦の相手だ。

 観客席から感じる視線の嵐に耐えながら、見向きせず舞台の階段に足を掛ける。

 舞台へ上がると、感じる視線の数は更に多くなった。


「リーダー……?」


 居心地の悪さを感じていたアストにかけられた声。それは遠い昔に聞いた覚えがある、否、聞き馴れた声だった。

 アストの呼び名も同じ。声も同じ。

 アストは反射的に顔を上げていた。


「ミゾレ……?」


 濃い紺色の髪の少女。勇者ブレイヴァーミゾレ・サーフェンクスが、そこにいた。














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