episode2

 舞台へ上がる。

 少しすると、アストの対戦相手の生徒が現れた。髪を逆立て、屈強な筋肉が制服の上からでも分かるほど隆々とした男子生徒だ。


「よお、お前さんが俺の相手か」

「ああ。そうみたいだな」


 男子生徒はアストよりも背が高い。見下す形でアストを見ており、その口角には僅かだが笑みが見えた。

 魔法が力の強弱を決める世界とはいえ、体格差は勝敗を分ける大きな要因となり得る。

 男子生徒はアストより優位にいた。


「お前さんみてえなチビッ子と戦うのは気が引けるなあ」

「そうか? 気にすることはないぞ。好きにかかってこい」


 ヒクリと、男子生徒の眉が歪む。口角の笑みも崩れる。


「状況を理解できてねぇのか……?」


 男子生徒の声は震えていた。怒りが隠された質問に、


「さあな」


 アストはたった一言で返事をした。


「なめやがって……」


 男子生徒は歯が軋むほど噛み締める。試合開始の前に手を出してしまえば、即刻不合格になってしまう。

 開始の合図を今か今かと、拳を握り締めて待っていた。


「まあ、あまり力むと本来の実力は出せないだろからな。力を抜いて、気楽にこい」

「ふざけるな。今さらそんな保険は効かねえぞ……!」


 アストに向けられた眼光が一層鋭くなる。ひ弱な者ならそれだけで失禁してしまいそうなほどだ。

 試験官が手を上げる。そのまま向かい合う男子生徒とアストを確認すると、手を振り下ろした。

 ――開始の合図だった。


「砕いてやる!!!」


 地を蹴り、男子生徒がアストに迫る。魔法による身体強化。跳躍力が大幅に強化されていた。

 尋常ではない速度でアストの眼前まで距離を詰め、腕を突き出した。

 ドオオン、と衝撃が走る。


「――なっ?!」

「落ち着けと言っただろう」


 その拳を、アストが掴んでいた。

 強靭な腕力に身体強化の魔法、さらに跳躍した速度が上乗せされた拳を、いとも簡単に掴んたのだ。舞台外で見ているシェーネの表情は、驚愕を浮かべたまま凍りついていた。

 振り払おうと男子生徒が腕を引くも、ビクリとも動かない。


「くそっ、離せっ!!」


 男子生徒が一段強く腕を引いたタイミングで、アストも手を離す。


「おわっ?!」


 そのままの勢いで、男子生徒は尻餅をついた。今度は見上げるようにアストを睨め付ける。


「一度落ち着け。力むなと言っただろう」

「ち、畜生……」


 低く唸りながら、男子生徒は立ち上がる。ますます眼光は鋭さを増していく。


「どうした? 睨み付けるだけでは現状は変わらないぞ」

「調子に乗るなよ……!」


 男子生徒の拳に魔方陣が浮かぶ。周囲に現れた光の粒子たちが、その拳に集約していく。

 瞬間、男子生徒の拳に炎が宿る。

 またも跳躍し、男子生徒はアストへ拳を叩き込む。今度は、アストは掴まずに受け流した。

 男子生徒の口角がつり上がる。


「なんだ? どうして掴まなかった?」

「……」


 アストは無言のまま、足を振り上げる。


「がっ――」


 男子生徒の顎にクリーンヒット、後方へ蹴り飛ばす。

 舞台際で踏ん張り、なんとか耐えた男子生徒。今の一撃で殆んど満身創痍だが、その表情には希望が見えた。


「今、お前さんが掴まずに受け流した『火拳フレイムブロー』は俺の最強の魔法だ。どうやら、これなら通用するようだな」


 先程、アストが炎の拳を対処した際、余裕が無いように見えた。それを勝機と悟ったのだ。


「もっと力を上げるぞ!!!」


 轟々と炎が燃え盛る。拳から腕へ燃え移り、炎は更に激しさを増す。


「な、なんか暑いよね……」

「こっちまで熱気が来てやがるぞ」

「あんなの喰らったら焼け死ぬんじゃ……?」


 離れているシェーネや他の受験者たちも、その異変を身に感じ始めていた。


「これを喰らえばお前さんでも焼滅する。事実上、これが最初で最後の攻撃だ!!!」


 男子生徒が姿勢を低くし、駆ける。

 先程よりも一段上の速度で、アストの懐へ潜り込んだ。

 観戦している者たちが驚嘆を露にする。


「身体強化系の魔法は一ヶ所にしか使えないが、他の魔法との同時発動は可能なんだよ!! 見誤ったな!!」


 腕を下から大きく振り上げる。

 誰もが男子生徒の勝利を確信した。拳は既に顎先。避けることは不可能だと思われた。

 ……だが、


「がぼぉっ――?!」


 男子生徒の口から鮮血が垂れる。口内から流れた血液は、腕で燃える炎の熱によって黒く変色する。

 見ていた者が状況を理解する前に、男子生徒は跳躍したときよりも遥かに早い速度で吹き飛んだ。

 壁から近い舞台ということもあって、男子生徒はアストから最も近いできる壁にぶつかって落ちた。


「な、なに……がぁ……」


 吹き飛ばされた男子生徒は状況を理解できない。勝利を確信した瞬間の出来事だった。

 腹に激痛を覚え、男子生徒は膝を着く。


「悪いな」

「……っ!」


 舞台上からアストが見下ろしている。

 試合前とは完全に立場が逆転していた。


「お前の魔法結界は大したものだった」

「貴様……いつから気付いて……!」


 二人称が崩れるほどに、男子生徒は余裕を失っている。額から脂汗が吹き出て、痛みに必死に耐えながら顔を上げた。


「――ひっ?!」


 アストを見た途端、男子生徒の全身を悪寒が走る。毛が逆立ち、背中を冷や汗が流れる。

 その感情は言うまでもなく、恐怖だ。

 見せつけられた圧倒的な力の差は、心身に恐怖というトラウマを植え付けた。


「どうやら戦闘不能のようだが……」


 くるりと反転し、アストは試験官を見る。

 試験官は腕を上げていた。


「試験終了! 合格者はアスト・ヴァンクリーフ!」


 自身の合格を確認し、アストは舞台を降りる。

 沸き上がる生徒の間を歩き、人混みから抜け出す。観戦していた生徒たちは早くも次の試合に注目をそらしていた。

 アストとしてはありがたい。静かに試験終了を待ちたかったのだ。

 今朝と同じ隅へ移動し、壁に背を預ける。

 瞳を閉じて、アストは再び意識を捨てた。




「――グリーフ! アスト・ヴァンクリーフ!」


 誰かがアストの名前を呼ぶ。

 その声でアストは目を覚ました。

 周囲は静けさに包まれ、皆がアストに視線を向けている。


「なんだ?」


 寝起きの頭では理解できない状況だ。


「あんた、首席候補に選ばれたのよ。聞いていなかったの?」

「……首席候補に選ばれたら何かあるのか?」


 アストの知らぬ間に隣に立っていたシェーネに問う。

 シェーネは溜め息を洩らした後、面倒くさそうに口を開く。


「首席候補に選出された人は、追加でもう一試合。もう一人の首席候補と戦うのよ」

「それは面倒だな」

「……」


 ピクリ、とシェーネの眉が動く。

 それきり黙り込んでしまった。


「アスト・ヴァンクリーフ。首席決定戦は三十分後、中央舞台で行う。充分に、準備をしておくように」


 それだけを告げると、アストを起こした声はなくなった。

 次第に周囲の者たちは観客席の方へ消えていく。ただ、シェーネだけが隣で黙っている。


「お前は観客席に行かないのか?」


 アストが聞くと、シェーネはようやく反応した。


「……あんたは何処に行くの?」

「静かなところで三十分間寝る」


 アストの返事で、シェーネの感情が爆発した。シェーネはアストの腕を引き、会場の外へ連れ出した。

 自動販売機やベンチなどが置かれた、休憩スペースだ。

 アストは壁へ押され、その顔の横をシェーネの手が通る。壁ドンだ。

 シェーネはアストを睨み付けて、脅すように言った。


「あんた、私に首席候補枠を譲りなさい」



























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