黒の侵攻篇
episode1
太陽が最高点に達する直前の空から、まぶしい光が降っている。
国立エナ魔法学院の校門前。生徒たちが忙しく出入りする中で、アスト・ヴァンクリーフは立っていた。
少し小さくなった中学の制服を着ている。黒髪に黒い瞳と、特別取り上げるような特徴はない。いたって普通の男子生徒だ。
空には雲が流れ、時折太陽の光を遮る。
花が咲き、ようやく春を感じさせ始めた時期。
アストはエナ魔法学院の入学試験を受けに来ていた。
周囲を行く人たちも、全員が受験者。揃わない制服がそれを証明している。
賑やかな声を無視して、アストは校門脇に植わった木々を眺めていた。
「ねえ」
どこからか声が聞こえた。女の声だ。
アストは声の方へ振り返る。
「邪魔よ」
振り返った先で、少女が鋭い目線をアストに向けていた。
茶色がかった髪を靡かせ、自信満々といった雰囲気を醸し出している。
「ああ、悪い」
「……ふん」
アストは一歩横へずれる。
少女は歩き始め、ついさっきまでアストが立ってところを通る。その際、アストの方を向いて鼻を鳴らしたのは気のせいではないだろう。
明らかな挑発行為だったが、怒りは沸いてこなかった。アスト自身、不思議に思う。
「さて、どこかで会ったか?」
何か胸に引っかかる気分だった。
***
試験会場である鍛錬場までは、校門から数分で辿り着いた。
円形に建築された鍛錬場は、学院内でも特別大きく作られている。最大で約三百人の人間を収容できる大建築物だ。
その中には、アストを含めた約百五十の人が集まっていた。
「流石に多いな」
ここにいる人は皆、全国選りすぐりの生徒たちだ。だが、今はそんなことを思わせないほど和気藹々と会話を楽しんでいた。
そんな生徒たちの隙間を縫うように、アストは鍛錬場の隅へ移動する。
生徒たちは中央に集まっているお陰で、ここには人はいない。
壁に背を預け、静かに瞼を下ろして、試験官の到着を待つ。周囲の雑音も次第に小さくなり、意識は断ち切られた。
――どのくらい待っただろうか。
アストが目を開いたときには、試験官は既に説明を始めようとしていた。何とか間に合ったようだ。
事前に知らされていたことを復唱するように説明し、最後に舞台番号を告げられた。
入学試験、その方法は実戦である。
幾つかある舞台に別れ、自分の相手に選ばれた人と対戦する。勝てば合格、負ければ不合格。手加減は無用で、殺す気で戦うことが前提とされた試験だ。
当然、受験者は力に自信を持った者たちだ。生半可な実力では相手にすらならないだろう。
各々が舞台に別れていく。
アストは五番目の舞台。鍛錬場の隅にあたるため、目の前の舞台だった。
近付くと、同じ舞台で戦うであろう人たちがいた。
一回戦目の受験者は既に舞台に上がっている。 その片方とアストの目が合う。
「あんたは校門にいた……」
今朝、校門で出会った茶髪の少女だ。
「よう、朝はご挨拶だったな」
「それはどうも。挨拶のお返しにでも来たの?」
「まさか。そんな面倒なことはしない」
事実、アストは彼女がこの舞台にいることなど知らなかった。完全に偶然である。
「まあ、いいわ。どうせ私の力を見れば、そんな気も失せるだろうしね」
「……ほう」
少女は傲慢と呼ばざるを得ない態度をとる。
「なら、楽しみにしておこう」
「勝手にしなさい」
少女はまたも鼻をならし、対戦相手に向く。途端に周囲のざわめきは無くなり、舞台上に試験官の腕章を付けた男性教師が登る。
向かい合う二人を見て、試験官は手を天にかざして、
「――開始っ!!」
振り下ろした。
直後、舞台上には二つの魔方陣が浮かび上がる。
『
少女の前に浮かぶ魔方陣から霧が現れ、次第に形を成して人型に変化した。氷の鎧を纏い、鏡のように輝く剣を握っている。
対して、対戦相手の魔方陣からは一本の剣が顔を出す。
「どうだ! これが俺の魔剣フェルレントフリットグレイブレイク――」
「長いわ」
少年が魔剣の柄を握った瞬間、氷の人形が剣を振り下ろした。
剣は舞台に突き刺さり、そこを中心に氷が這う。氷は舞台を広がり、少年の足を捕らえた。
「な、なんだよこれっ! 卑怯だろ!」
「あら、実戦で相手の攻撃を待つバカがいるはずないでしょ?」
必死に氷を剥がそうと魔剣を突き刺す少年を、少女は嘲笑う。
アストたちがいる舞台外にまで冷気が漂う。氷に触れている少年は寒いなんてものではなかった。
長く触れていれば、その分だけ体力が削られていく。
早く脱する必要があった。
「くそっ! 剥がれろよ!」
魔剣を振り回すが、氷には傷が付くばかりで砕ける様子はない。
「無駄よ。時間をかければ出来なくもないけれど、そんな暇はあげないわ」
少女は手を前へ突き出し、叫ぶ。
「やりなさい!」
氷の人形は雄叫びをあげ、重たい足をゆっくりと動かし始めた。その度に冷気が増す。
舞台上は氷結地獄と化していた。
「くそ、くそぉぉぉぉ!! 砕けろよぉぉ!!」
絶叫するも、状況は変わらず。
魔剣を片手に振りながら、空いた手で炎の魔法を連発する。
「『
相性では炎が勝っている筈だが、足を捕らえた氷は溶けない。
ついに、氷の人形が少年の眼前に迫った。
「う……。く、くそがぁぁぁぁぁ!!!」
少年が魔剣を振り上げる。氷の人形も振り上げる。
同時に振り下ろし、金属音が鳴り響いた。
結果は一目瞭然。魔剣は二つに砕け、少年は遥か後方へ吹き飛んでいた。
氷の人形は霧になって消えていった。
「ふん。呆気ないわね」
少女は物足りなそうに呟く。
その隣で、試験官は手の平を空へ向けていた。
「勝負あり!」
茶髪を手で靡かせながら、舞台を降りてくる少女は、アストの側へ来たときぽそりと言う。
「どう? まだ私に何か言うことある?」
自信に満ちた表情の少女。対戦した少年も決して弱くはない。エナ魔法学院の入学試験を受けることを許された猛者の一人だ。
選りすぐりの猛者をあっさりと倒した少女は、その上であることを証明した。
そんなことは承知だが、アストは笑って答えた。
「無いな」
「そう。まあ、当然––––」
「が、まあ、お前が最強ではないぞ」
少女は目を見開いて驚いた。
こんなことを言われたのは人生で初めての経験だったのだ。
「アスト・ヴァンクリーフさん。舞台へ上がってください」
アストの名前が呼ばれる。
驚愕している少女を他所に、アストは舞台へ足を進めた。
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