ヒュドラ

 王宮前に作られた処刑場の中央で、苦しんでいたディオシスの動きが止まった。

 次の瞬間、その身体から赤黒い光がグワァと広がる。処刑場や王宮だけでなく、ルビア王国全域に広がったその光は逃亡中のメリナや金龍にも感じられた。


『ディオシスの意識が消えた』


 金龍から伝えられたその情報が意味するところを、馬を駆けさせているメリナは理解できず聞き返す。


「どういうことだ?」


『ディオシスの身体が支配されただけでなく、意識も魔獣王のものとなったのだ』


 メリナはその意味を正確に把握し、表情を険しくする。


「では、もう人としての判断などしないと……」


『ああ、その通りだ』


 金龍から伝わる感覚が、怒りなのか焦りなのかメリナには判らない。しかし、統龍でさえ動揺する事態だということは判る。

 メリナは、旧ズルム連合王国方面へ向かうと決めた。最近ルビア王国軍の基地を襲っているのは士龍ヒューゴに関係している者達と掴んでいる。飛竜の姿を確認している者が居るのだから、士龍が関係しているに違いないと確信している。


『気付いているか?』


「何をだ」


『我らの鎖が解き放たれたのを』


「ああ、アウゲネス陛下が亡くなった。急ぐぞ」


 自由への喜びと将来への不安の双方が渦巻く胸の内を押さえ、馬の尻へ鞭をあてて速度をあげる。

 金龍とそれに続く屠龍達も足を速めた。


◇ ◇ ◇


 呆然としていたディオシスが、意識を取り戻したように歩き出す。

 処刑場に居る者達は、兵も住民も何があったのか判らないままディオシスの動きを見守っていた。

 処刑された国王への悲しみを態度に表したくても、ディオシスが放つオーラの圧力に押されて身動きもできないでいた。


 ディオシスは処刑台の横で立ち止まる。


「国王の首と身体は正門の前に投げ捨てておけ。朽ち果てるまで国民の目に留まるのだ。ククク、さぞ喜ぶことだろう」


 その一言を処刑人に伝え、返事を無視して王宮の正門の前に立つ。

 そして空を見上げ、おどろおどろしい歓喜に満ちた人のモノとは思えない低く重い声で叫びをあげた。


「ワハハハ、思い出した……いや、取り戻したぞ。歴史からも、我の記憶からも失われた全てを。そうだ。我の力、我の憎しみ、ああ、これだ。皇龍よ、お前に封じられ失われていた全てを今取り戻したぞ」


 両腕を胸に当て、そして頭上に掲げ振り返る。

 まるで世界を手に入れたかのように手を握り、掴むものもない感触を味わっていた。


「人間など、我が眷属の人形、餌、その程度の存在でしかない。だが、可愛いディオシスに免じて、滅ぼしはせぬ。士龍を倒すための人形として、せいぜい働いて貰おう。できぬならば、ただの餌だ」


 短めの金髪が文字通り逆立ち、青かった瞳は血の色のように濃い赤で光り、端正な顔は残忍な笑みを浮かべている。身体から吹き出す赤黒い光は一瞬ごとに強くなり、直視することも難しい。体感する気温はさほど低くないはずだが、その場の者達は身震いを抑えられない。

 

「さぁ、再び始めようではないか。魔獣われらと龍族との戦いを……。ククククク……士龍では我には勝てぬぞ? どうする? ひととき我に世界を委ねるか?」


 誰に向けての言葉かは、その場の者達には判らない。だが、ディオシスの瞳は語りかけた何者かに向けて鋭く光っている。

 歓喜の笑いをあげているディオシスの身体は、何倍もに膨れ上がっているように見えた。


 両手で門を開き、ディオシスは……ディオシスだったモノは王宮内へ歩きだす。


◇ ◇ ◇


 ――なんだ? 今の悪寒は……。


 帝都にて将官と打ち合わせし政務をこなしていたヒューゴは、ザワッと身震いをする。


『……ヒュドラ……魔獣王が蘇った』


 士龍の深刻そうな感覚が伝わってきたヒューゴは、これはおおごとのようだと将官に書類を渡し、用事を思い出したと自室へ向かう。 

 皇宮内の廊下を歩きながら、思念で士龍に訊く。


 ――どういうことだ、どこで蘇ったんだ?


 士龍の知識を一部分だけ共有しているヒューゴは、魔獣王ヒュドラの存在とその脅威は知っている。しかし、それはいにしえの記憶であり、士龍の記憶ですらうっすらとしたものだ。

 

『ヒュドラはルビア王国で復活したようだ。遠いからその程度しか判らん』


 ――皇龍しか倒せないというヒュドラか?


『そうだ。我と統龍全員で向かったとしても倒せない』


 自室に到着し、扉を開けて入る。

 窓際に椅子を持ち運び、外を眺めるように座った。


 ――教えてはくれないのだろうが、皇龍なら倒せる理由は何だ? いや、すまん、統龍達で倒せない理由は何だ?


 皇龍については教えてくれなくても、ヒュドラについてなら教えて貰えるだろうとヒューゴは考えて質問を変えた。


『高速回復』


 ――何だそれは?


『首を落してもすぐ生えてくるのだ。そうとうな怪我でも瞬時に回復してしまうのだ』


 ――だが、皇龍が居ないからといっても放置しておけないだろう?


『皇龍へ至る可能性あるおまえを狙ってくるのは明らかだ。まだ対決の時期ではない』


 ――しかし……。


 窓の外に見える帝都。その遙か遠くにはドラグニ山があり、ベネト村がある。ヒューゴを狙ってくるとしたら、ベネト村が危ない。

 勝てる見込みはなくても、大切な人達が傷つかないようにすることは、今のヒューゴにでもできるのではないか?


 ――とにかくベネト村へ戻る。ベネト村のみんながいつでも逃げられるようにしておかなければ……。


『そうだな。今のお前にできるのはその程度だ』


 ――先にアーテルハヤブサを飛ばして準備させておこう。


 ヒューゴはセレリアに状況を説明するために、椅子から立って早足で歩き出した。

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