侵攻の裏側

 ルビア王国国王アウゲネス・ロマークはもともと武門の人であり、国王となり前戦に出ることの無くなった今でも、剣の訓練を時折行う。視察の合間、予定が空いた時間があれば随伴している警護の者とすら楽しそうに打ち合う。

 相手をさせられる側は怪我などさせられないから、相手に選ばれると非常に困る。それでもアウゲネスからの命令だから慎重に相手する。アウゲネスも相手が本気ではないことくらいは判っている。気を遣わせていることも知っている。それでも剣を振り身体を動かすことが楽しく、やめるつもりにはならない。


 ――我は本来国王には向いていない。前戦で将軍として戦っているほうが性に合う。ディオシスの方が向いているのだろう。


 アウゲネスはそう考えている。だから、弟ディオシスを宰相にし、政務は基本的に任せていた。


 王宮では、ディオシスを悪く言う者が大勢居て、噂が耳に入ることもある。

 だが、アウゲネスと接する弟は、国を豊かに強くしようとする姿勢に溢れていた。前国王であり、アウゲネスとディオシスの父ヨアヒム・ロマークが突然死した時も、王位を簒奪するような素振りなどなく、アウゲネスの即位を率先して進めた。


 確かに、ヨアヒムが生前に、ディオシスには注意しろと言っていたことはあった。だが、幼き頃から今に至るまで、ディオシスがアウゲネスを兄として建ててくれなかったことはない。

 

 ――事実、ディオシスの献策に従ってきて、ルビア王国はこの大陸の西側を支配したではないか? 多少、荒く厳しい面もあるかもしれぬが、弟の方針は間違ってなどいない証拠だ。そもそも大国は、綺麗なことばかりでは治められるはずはないだろう。兄の自分くらいは、ディオシスを信用してやらねば……。


 護衛兵を相手に、迷いを振り切るようにアウゲネスは剣を振る。

 ひとしきり身体を動かすと、ニコリと笑顔を見せ……。


「ああ、無理を言ってすまなかったな。良い運動になった。感謝するぞ」


 剣を下げて礼を伝え、次の予定……ディオシスとの面会へアウゲネスは向かった。


・・・・・

・・・


 王宮の中庭には、ディオシスが従者を一人連れて既に来ていた。


「待たせてすまないな」


 アウゲネスが用意された椅子に座ると、ディオシスも座る。


「いえ、それで、先日の件なのですが……」

「ああ、帝国側に魔獣を送りこむ件であったな。その後どうだ?」

「はい。ドラグニ山へギャリッグサーペントを送り込むことには成功しました。ですが、やはり私からの距離が離れすぎますと、制御できなくなりました」

「では、計画は変更するか?」


「いえ、送り込んだ魔獣の討伐には私共の兵でも手を焼くのです。帝国軍も苦労するでしょう。ましてウルム村やベネト村ならば……。ですので魔獣は数を送り込み、同時に兵も送り込んで、今度こそウルム村の制圧を……」

「だが、ヌディア回廊の出口には帝国軍が居るだろう? その排除はどうするのだ」

「帝国も統龍を前戦に出しては来ません。ですから、グルシアス・ラメイノク司令には北東方面軍の全軍でヌディア回廊の出口を押さえていただきます。そして千名程度の分隊をウルム村へ送り込もうと」

「そうか。……ヌディア回廊の帝国側に拠点は欲しい。兵の損害を極力出さぬよう計画してくれ」

「心得ております」


 ディオシスは席を立って、アウゲネスへ立礼する。その後、従者と共に中庭から歩き去って行った。

 綺麗に整えられたブラウンの短髪の弟を見送りながら、アウゲネスは従者にお茶を一杯と頼む。


 ――ああして、ルビア王国のために勤勉に働いているではないか。誤解されやすい奴なのだ……きっと……。


・・・・・

・・・


 執務室に戻ったディオシスは、それまでの冷静な表情を悔しげに崩した。その後、窓際の執務机の上に、手にした書類を叩きつける。


「くそっ…あのギャリッグサーペントを捕まえるのに、こちらは屠龍が必要だったのだ。ベネト村の民兵ごときに……それも送り込んでから十日だ。発見してからすぐに対処しやがったとしか思えん」


 苛立ちを抑えられないディオシスにヒュドラが話しかけてきた。


『そう怒るな。ギャリッグサーペントをこれから十体送るのだろう?』


「ああ、今度はウルム村へな……。だが、ベネト村と同じように対応してきたら……。兵を送り込んでも占領できるとは限らん」


『お前には珍しく弱きではないか』


「士龍が現れたのだぞ? 悠長にしていられるか」


『それはそうなのだがな。双方が統龍を使えないのだから、魔獣を使える分、こちらが有利なのではないか?』


「そこだ。問題はどの程度有効なのかということなのだ」


『お前が前戦指揮すれば良いではないか? さすれば臨機応変に動かせるものを……』


「以前も話したが、宰相となった以上は軽々しく前戦には出られぬのだ」


『ならば、今回の作戦を捨て駒にすれば良い』


「どういうことだ?」


『今回は敵が嫌がることをやればいい。処刑予定の者達を、敵兵の前に出して盾とすれば、兵士でもない者達には簡単に手を出してはこない……そうではないか?」


「それはいいが、勝てぬではないか」


『だから捨て駒と言っているのだ。今回は負け戦でいいのだ。その代り、ウルム村周辺に兵を常駐させるよう仕向け、敵の隊を分散させればいい』


「なるほどな……そして、次回以降の作戦で、数の減った本隊を叩く……ということか……」


『そうだ。その時にお前が前戦に出られるように、今回の作戦は負け戦でいい……そうは思わぬか?』


「そうか……その時は、わざわざ魔獣を送るのではなく、前戦で指揮すればいいのか」


『うむ、その方が結果として早くヌディア回廊の出口を確保できるのではないか?』


「……」


 ディオシスはヒュドラが出した策について考えていた。

 統龍が出てこないのだから、魔獣と魔獣兵を使えるルビア王国が有利になる戦術を使える状況を整備した方が良い。それはヌディア回廊の制圧だけでなく、その先に待つ帝都占領へ向けての侵攻で必要な状況でもある。

 ならば、今回の作戦で一敗したとしても良いではないか。


 確かに、ルビア王国兵と帝国兵同士で今のままぶつかっても、お互いに兵数を減らすだけだ。それでは総兵数が多い帝国を利することになる。


「わかった。……では敗戦のための侵攻準備を始めよう」


『冷静になったようだな』


「うむ、助かった」


 ディオシスは落ち着きを取り戻し、適度に装飾が施された椅子に座る。

 そして呼び鈴を振り、部屋の外で待機している従者を呼んだ。


「グルシアス・ラメイノク北東方面軍司令に、明日ここへ来るよう伝えてくれ」


 ディオシスの指示に一礼して従者は出ていく。


 ――フッ、奴は嫌がるだろうが構うものか。どうせ奴では帝国軍に勝てないだろうからな。俺が出て行かなければ……。


 ディオシスは口端をあげ、皮肉を込めた視線を扉に向けていた。

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