帰省準備

 夕食を済ませ、ナリサはアイナと同じ宿に、イルハムはヒューゴと同じ宿にそれぞれ戻る。

 ヒューゴとライカッツ、パリス、そして夕食時に合流したセレリアは、今後の話をするために飲食店に残った。


「パリスちゃんも来ちゃったのかぁ。それじゃ私もヒューゴと一緒にベネト村へ行かなきゃいけないわね。ダビドさんに謝らなきゃ……」


 パリスもヒューゴの傭兵隊に入るとなった経緯いきさつを聞いたセレリアは諦め顔で言う。

 そのセレリアの態度を見て、パリスはプウゥッと膨れる。


「……ヒューゴはリナに怒られるだけでいいのに、私だと、セレリアさんまでお父さんに謝らなきゃならないのはおかしい! もう成人してるのよ? 私だけが怒られればいいはずよ」

「そうはいかないのが大人の世界ってもんだよ? パリスちゃん」

「ライカッツまで、そんなことを言うの?」

「そりゃぁな。ダビドさんは村長だし、パリスちゃんが村を出るの良い顔しないだろうし……」

「パリスさん。僕もセレリアさんもライカッツさんも、ダビドさんにはとてもお世話になったんです。ダビドさんが反対するようなことに手を貸すのですから、きちんと挨拶して謝らなければならないんですよ」


 どうしてよとブツブツ文句を言うパリスは、十年前から変わらない。

 一人前に見られたくて、女の子扱いされるのが嫌いで、背伸びしている自分に追いつきたくて頑張る。


 なんとか納得させようとみんなで説得している。けれど、きっと最後まで納得はしない。いちいち抵抗するのが面倒になって、渋々受け入れるだけになるのは見えている。これも昔から変わらない。

 ヒューゴは、笑ってはいけないと判っているけれど、微笑ましくてつい顔を崩してしまう。


「何を笑っているのよ。……判ったわ。みんなの言う通りにする。でも、最初は私だけで話すし、お父さん達を説得する。みんなにはその後でお願いします」


 やれやれと頭を掻くライカッツと、ホッとため息をつくセレリア、そして、不満を隠そうともせず、ムスッとしているパリス。ダビド達がどういう反応するかは判らないけれど、きちんとケジメをつけられそうなことにヒューゴも安心した。

 

「それで、マークスは連れてきているのかい?」


 ラダールには、雄と雌の子供が一羽ずついる。ラダールが三歳の年に生まれた子供で、ヒューゴの命令で雄はパリスに、雌はリナに預けられている。パリスが預かり飼っているドラグニ・イーグルの名はマークス。リナが飼っている雌の名はロンド。それぞれの名前は飼い主のパリスとリナが名付けた。

 マークスもロンドも今年で七歳になり、三歳で大人になるドラグニ・イーグルとしては、もう立派な成鳥だ。 

 ドラグニ・イーグルの雄は雌より一回り身体は小さい。しかし、小さいといっても、そこはドラグニ山で最大最強のドラグニ・イーグルの成鳥。

 人間の平均的な成人男性の一回り以上は大きく、中型の魔獣程度なら軽々と捕獲してくる。

 

「もちろんよ。ヒューゴの相棒がラダールなら、私の相棒はマークス。ここまで来る間もしっかりと護衛してくれたわ」

「ん? マークスに乗ってこなかったのかい?」


 しばしばマークスに乗って、村の周囲を飛び回っていたので、ヒューゴ同様に鷲の背に乗ってここまで来たのだと考えていた。ドラグニ・イーグルの背に乗って移動した方が安全だし、何より速い。


「ええ、お父さんの馬に乗ってきた。こちらで馬が必要になるかもしれないと思って……」


 ヒューゴとパリスの会話に、ニヤリと笑ってセレリアが加わってくる。 


「ヒューゴよりしっかりしてるわ。もちろん、ヒューゴの乗る馬くらいこちらで用意するけれど、万が一を考えたパリスちゃんの方が偉いわね」

「いや、僕は……馬に乗るよりラダールに乗った方が安心なんで……」

「でも、ガルージャ王国からの帰りだって、結局は馬で移動した時間の方が長いじゃない?」

「いや、それは、鷲に乗ってると、いろいろ誤解されそうだし、ナリサ達も一緒に連れてくることにもなったし……」

「ほら、想定外のことに備えてたパリスちゃんの方が偉い……そういうことでしょ?」


 そりゃそうだけれど……と言い返すつもりでセレリアを見ると、チラッと意味ありげな目をパリスへ向けていた。その様子からパリスの機嫌を直そうというセレリアの気持ちをヒューゴは察する。


「そ、そうですね。昔からパリスさんには敵わないですから……」


 憧れのセレリアに持ち上げられてパリスは顔をほころばせそうになった。だが、これまでの不満げな表情を、急に笑顔に変えるのは何かに負けたように感じ、パリスは真面目な表情を維持することに努めた。

 雰囲気から機嫌が直ったようだと感じたセレリアは、これまで抱えてきた疑問をヒューゴにぶつける。


「ヒューゴ、この際だから聞いておきたいのだけれど、士龍とは何?」


 酔いどれ通りへ戻るまでの間、副官のヤーザンや他の兵、ナリサやイルハムがヒューゴの近くにいたものだから、気になってはいたけれどセレリアは聞きそびれていたのだ。

 パリスとライカッツは、ヒューゴが持つ力をおおよそ知っている。士龍のことや、一部の獣と意思の疎通できることは、パリス達には秘密ではなかった。

 ヒューゴとしても、これから作戦で一緒することもあるセレリアに、いつまでも隠しておくつもりはなかった。


「……士龍は……、見えない紋章インビジブル・クレストの一つとして発現した、失われた紋章ミッシング・クレストの一つではないかと考えています」


 士龍に関しては、ヒューゴよりもパトリツィアの方が知っていそうだが、現在判っていることは伝えておこうと、ヒューゴは言葉を慎重に選びながら話し始めた。


 失われた紋章ミッシング・クレスト

 三百年前には、龍紋、獣紋、鳥紋の他にも幾つもの紋章があったらしい。

 その中でも、恐るべき身体能力を発動する神紋、そして皇龍を使役しうる皇龍紋の二つが知られている。

 失われた紋章ミッシング・クレストで特に有名なのが皇龍紋。

 ガン・シュタイン帝国の前身であるウル・シュタイン帝国唯一の皇帝であり、セリヌディア大陸全土を制圧したクリスティアン・マキシム・フォン・ロードリアに発現したと知られている。

 統龍を含む全ての竜を使役し、更に、特殊な力も発動できた……絶大な力を持つ紋章だったとのこと。


 セレリアの複紋クロス・クレストはとても稀な紋章ではあった。獣紋と鳥紋の双方を使える者は戦時と平時のどちらでも重宝される。複紋クロス・クレストはとても稀な例なのは確かだが、この数百年の間に発現した者は複数いる。なので、失われた紋章ミッシング・クレストとは呼ばれない。


 興味深そうにセレリアは黙って聞いていた。

 そして、失われた紋章ミッシング・クレストの一つ……士龍紋と呼んでいいのか判らないけれども、とにかく紋章が、見えない紋章インビジブル・クレストとしてヒューゴに発現していることは理解した。


「ヒューゴは無紋ノン・クレストではない……ということなのね?」

「今はそうです。見える形で背中に紋章が刻まれていないのは同じですが」


 ヒューゴは話を続ける。

 神紋と呼ばれる失われた紋章ミッシング・クレストは、五感のどれかが驚異的な力を発揮する。視覚であれば、相当遠くまではっきりと見えるらしいし、聴覚であれば、遠くのどれほど小さな音でも聞き分けられるらしい。士龍の力は幾つもあって、五感を含む身体能力の全般的向上や、俯瞰ふかんという……視点を身体に囚われない場所……上空等へ持っていき、そこから地上や周囲を力もある。

 知能が高いという条件はあるが、獣を使役できる力もある。知能が高くても魔獣は使役できない。

 多分、この力のおかげでドラグニ・イーグルのラダールを相棒にできたこともセレリアに教える。ただし、ヒューゴの力では、ドラグニ・イーグルを三羽同時に使役することはできるが、まだ成長が足りないらしく三羽以上は使役できない。


 ヒューゴが更に成長したなら、他にも力が発現するかもしれないと士龍から伝えられている。


「なるほど。マーアムの王宮で見せた人間離れした力は、士龍の力によるものだったのね」

「はい、このことはベネト村の人でも一部の人しか知りません。ですから……」

「判っているわ。他言無用ね。それじゃあ、私が考えていたことを実行しても大丈夫そうね」


 セレリアは、ヒューゴ、パリス、ライカッツの順に視線を流し、それぞれの表情を確認する。

 その様子にピンッとくるものを感じてヒューゴは問う。


「何かあるんですか?」

「ええ、休暇を利用しての旅だけど、ベネト村へ行く途中で賊退治したいのよ」

「ああ、ここらの食料輸送を襲っている賊ですか?」

「そうよ。移動には、輸送らしく見せる馬車を用意する。私達は食料商人を装うの」


 セレリアによると、ガルージャ王国で起きていた食料流通の問題……賊による商人の襲撃はガン・シュタイン帝国内でも起きているという。各商人も護衛をつけて移動しているが、それでも被害に遭う件数が最近増えている。軍も兵を巡回させてはいるが、まだまだ被害件数は多い。

 そこで、一件でも被害を減らすために、セレリア達で賊退治をしようということらしい。

 酔いどれ通りからバスケットへ向かう道は、商人が通行する経路でもあるから、賊が出現する確率も高いだろうと。


 セレリアの説明を聞いたヒューゴは懸念をセレリアに伝える。 


「ですが……アイナさんとナリサには危険なんじゃないですか?」

「そうね。だからヒューゴの士龍の話を聞くまでは、やはり止めようと思っていたのだけれど」

「アイナさん達をどう守るつもりですか?」

「私かヒューゴが二人のそばから離れなければ危険はないと思う。ラダールに上空から見張っていて貰えば、賊の接近にも早く対応できるでしょ? それに、賊退治には国から報奨金も出る。どうかしら?」


 ヒューゴ自身も賊程度ならどうとでもなると思ってはいる。

 しかし、絶対に安全などということはない。五年前、パリスの婚約者だったミゴールを亡くした際に、そのことをヒューゴはよく知っている。

 だから、危険な状況にアイナとナリサを連れていくようなことはできるだけ避けたい。


「ヒューゴ。ミゴールの時のようなことが起きたらって考えているのね?」


 ヒューゴの心情を察したパリスが口を開いた。

 パリスの青い瞳が優しくヒューゴを捉えている。 


「うん、あの時も安全なはずだったんだ。少なくとも、誰かが死ぬようなことはないはずだった。それだけの顔ぶれで賊を追った。それでも……」


「私はセレリアさんの考えに賛成よ。ヒューゴの気持ちも判るわ。でもね? 私はこう考えるの。あの時、私達はミゴールを失った。だからこそあの時以上に慎重に対策を考えられるようになったのよ。ミゴールを失ったことで、賊退治の機会が減るとしたら、彼は悲しむと思う」


「パリスちゃんの言うことももっともだ。それにだな。賊を野放しにしておくと、ウルム村が襲われたように、どこかの村が賊に襲われるかもしれないんだ。それはヒューゴも許せないだろ?」


 北グレートヌディア山脈にあるウルム村。

 ベネト村とほぼ同じ人口の村を、五年前、大勢の賊が襲った。

 ウルム村を守るためにベネト村の仲間は戦い、そしてヒューゴの作戦により殲滅した。だが、最後の最後に、死ぬ間際の賊が放った弓が、ヒューゴの二歳上の仲間であり、パリスの婚約者だったミゴールの命を奪った。

 ヒューゴは自分を責め、パリスはいまだに独身のまま。

 あれは避けられなかったと頭では判っていても、ヒューゴの気持ちの中には、何とか防ぐことはできなかったのかという自責の念が消えたことはない。


「セレリアさん。賊は捕まえなくてもいいんですね?」

「ええ、いいわ。退治した証拠はその場に残るでしょ? バスケットに到着したら、あの辺を巡回している兵に確認させる。それで賊退治の報奨も貰えるでしょう」

「今回は、報奨はどうでもいいんです。アイナさんとナリサを、怪我をさせずにベネト村まで送ることができればいいんです」


「報奨を貰えるということはね? 実績を作ったということなの。それは今後、ヒューゴに仕事を頼むときに必要なことなのよ。実績のない傭兵隊には頼める仕事も少ない。もちろん、私が依頼するのだから、ある程度はどうとでもなる。パトリツィア閣下も口添えしてくれるでしょうね。でもね? 軍隊が組織である以上は、上からの許可が必要な時もあるの」


 これだから軍隊と関係した仕事というのは面倒だとヒューゴはため息をついた。

 しかし、ヒューゴ達だけでできることはまだ少ないし、戦線での影響も小さい。セレリアやパトリツィアと協力する必要があるのはヒューゴも判っている。


「判りました。では、アイナさんとナリサにはセレリアさんとライカッツさんが付いてください。馬車に近づいてきた賊は、パリスさんとラダール、そしてマークスで倒し、離れた場所の賊は僕とイルハムさんで対処します」

「いいわ。今回は休暇中で、それにヒューゴの隊に加わる形ですもの。指示に従うし、アイナさん達は必ず守る」


 セレリアが同意した横でパリスも頷く。


「まぁ、ヒューゴだけじゃなくパリスちゃんとラダール達が居れば問題はないだろうな。俺も居るし……」


 ヒューゴ達の力を知っているため余裕ある様子のライカッツも同意した。


「じゃあ、明日から宜しくお願いします」


 ヒューゴの案で一旦は決まったが、それは後に変更される。

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