密偵の胸算用
ヌディア回廊を帝国へ進む馬車。
香辛料商人マレッドは、他の商人と共にお金を出し合って、護衛がついている馬車を借り、帝国へ向かっていた。
――ベネト村の調査と言われても、村へ行き着けるのか?
ルビア王国東部方面軍副司令ガラン・シューテッターから、『ベネト村の防衛体制と、ルビア王国軍をどのようにして撃退したのかを調べて欲しい。定期的な連絡は忘れないこと』と指示がきたものの、どうやってベネト村へ潜入しようかマレッドは悩んでいた。
商人の間でも、ベネト村まで行って商売するものは滅多に居ない。
ドラグニ山が難所でベネト村まで行くには、地元の住民の協力が必要だということもあり、自由に行き来しづらい。また、
――まぁ、
ドラグニ山でしか育たない作物や、特有の獣や魔獣の塩漬けされた肉は、特産品として帝都で人気があり需要はある。だから、ルビア王国とガン・シュタイン帝国を行き来する商人は、行路の途中にある
取り引きのついでに、ベネト村へ立ち寄る理由を探し、案内してくれそうな村人に依頼する。
それしかないよなとマレッドは決めた。
馬車の中には、マレッドの他に二人の商人が乗っている。見た目は何の変哲も無いが、二人ともマレッド同じく、いわゆる闇商人だ。そうでなければこの馬車には乗っていない。
休戦協定をルビア王国が破った時から、帝国との公式の交流は禁じられている。だが、だからこそ大きな利益を見込める商売がある。マレッドは、セリヌディア大陸西方で産出する香辛料を扱っている。帝都へ持っていけばかなり良い商いになるから、ルビア王国でもガン・シュタイン帝国でも認められていない商売をしていた。
ヌディア回廊の帝国側には検問所があり、そこを抜けるには、通行証が必要だ。
この馬車の御者もマレッド達商人も、通行証など持ってはいない。本来なら、通行は認められない。
だが、そこは辺境の検問所、賄賂が幅を利かせられる。
検問所の兵も、その程度の旨味がなければ、楽しみなどないこんな場所でやっていられないと考えているのである。
・・・・・
・・・
・
検問所を過ぎ半日ほど東へ進むと、
いつもならベネト村の特産品を物色し、食事をすませて、次の村を目指す。ここには、休憩のために立ち寄るだけだ。だが今回は、ここで馬車から全ての荷物を下ろしてマレッドは降りる。
――さぁて、誰か……連れて行ってくれそうな人は居ないかなっと。
香辛料の入った革袋を背負い、商いで賑わう建物を目指して歩く。
この場所では、売り場のスペースさえ空いていたら、誰でも商いができる。だから、他の商人に混じってマレッドも香辛料を売り、客の中にベネト村の住人がいたら、村へ行くきっかけにするつもりでいる。
帝国の人間だと判る旅人を眺めていると、マレッドはつい目つきが厳しくなっている自分に気付く。
――いけねぇ……。昔のことを思い出して、つい睨んじまった。
反省して商人らしい笑顔を作り直す。
父親が客に騙されて破産したあとの苦労を思い出し、帝国の人間を見かけるとマレッドはつい苛立ってしまう。
――ルビア王国もガン・シュタイン帝国も、俺には関係ねぇさ。金を払う客が良い客で、払わない客は悪い客。ただそれだけのことだ。
明日の食事も手に入れられない状態のマレッドに、密偵役の話を持ってきたのがルビア王国の諜報。
背に腹は代えられないと、その話を引き受けたのが三年前。
利用価値があるからマレッドに声をかけただけと知っているから、ルビア王国に恩があるとは思っていない。だが、助けを求めても応じてくれなかった帝国よりは、自分の価値を認めたルビア王国と手を組んでいる。
帝国の人間としては、戦争状態にあるルビア王国の手助けするのは裏切り行為なのかもしれない。
だが、生きていくための選択肢を与えてくれた国に協力することのどこが悪いとマレッドは思っている。
帝国は手を差し出してくれなかった。
ルビア王国は手を差し出してきた。
だから、生きるためにルビア王国の手をとった。
ただそれだけのこと。
「なぁあんた。これ全部でいくらになる?」
客の声でマレッドは現実に戻った。
体格の良い客は、マレッドの出した香辛料全てを欲しいらしい。
「全部ですか? これ全てとなると……金貨五枚ってところですね」
「ふむ……これはルビア王国南部で採れるヤツだな……それも鮮度がいい……」
青い瞳を意味ありげに光らせてマレッドを見てきた。
休戦協定が破棄され公式の交易が不可能な今、ルビア王国産の香辛料が高いのは当たり前。
だが、目の前に置かれているほど……革袋数個分となると、入手手段が適切であるはずはない。
足下を見た交渉を持ちかけてきているとマレッドは理解した。
「きついところを突いてきますね。……しょうがない……全部まとめて買ってくれるのだし……金貨四枚でどうですか?」
この程度の交渉は、商人なら日常的。マレッドは想定内の額まで苦笑しつつ譲歩する。
「金貨三枚」
「それはいくら何でも……」
断ろうとした時マレッドは、これだ! とひらめいた。
「いえ、ところで……お客さんはベネト村の方ですか?」
「ああ、そうだ。この辺りでは手に入らない、これらの香辛料を使って干し肉を保存すると良い香りがするので欲しかったんだ」
香辛料は、保存のためか香りや味のために求められる。
だから、客の言葉はマレッドの予想した通りだった。
「では、金貨三枚でお渡ししますが、こちらからもお願いがございます」
「ん?」
「私をベネト村まで連れて行ってくださいませんか?」
「ほう。それは構わないが……理由を聞いてもいいかい? 田舎にあるただの村へわざわざ行きたいのはどうしてだい?」
「いつもは帝都で商いしているのですが、お判りかと思いますが旅費が相当かかります。いつもはその分値段に乗せているのですが……もし、
男は腕を組み少し考えたあと返事した。
「なるほどな。判った、いいよ。一緒に村へ行こう。ただ、村には滅多に人が来ないから宿などない。我が家に泊まることになるけど、それでいいかい?」
ベネト村の調査が目的なのだから、雑談の機会が増えそうな状況は歓迎できるとマレッドは考えた。つい、しめしめとほころびそうになる表情を抑えて、人懐こい笑顔を浮かべる。
「ええ、有り難いお話です。でも、どのくらい滞在するか判らないので……ご迷惑になるんじゃ……」
「なぁに、かまわんさ。離れで良けりゃいくらでも使ってくれていい」
「本当ですか? もちろんお世話になるんですから、宿代等はお支払いいたします」
「まぁそんなのは気持ちでいいさ。じゃあ、村へ行く準備が終わったら、声をかけてくれ。他にも買っていきたい物があるんで、そこらに居るから」
男は手を振り、マレッドと別れる。マレッドは店仕舞いしながら、ベネト村まで行けることに喜んだ。
テーブルの上から革袋に香辛料を詰め直し、上手くすすめば、意外と早く任務を終れるかもしれないと計算している。
ルビア王国からの成功報酬は、経費と別に金貨二十枚。
それだけまとまった金があれば、帝都に店を持つのも難しくない。
――ルビア王国にも、ガン・シュタイン帝国にも属していないベネト村。俺には悪気はないし、恨みもないが、これも戦乱が近い状況下でのこと。……せいぜい稼がせて貰うさ。
火事場だからこそ稼げるとマレッドはほくそ笑んでいた。
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