皇龍のストラテージ ~英雄と呼ばれた青年の物語~

湯煙

第一部 舞台への登場

プロローグ

旅立ち(新帝国歴三百六十年)


 君も知ってるとおり、僕の背には紋章クレストが刻まれていないだろ?


 僕は無紋ノン・クレストとみんなに呼ばれ、ヒューゴという名前を呼ばれることはあまりなかった。

 名前を呼んでくれたのは父さんと母さん、そしてほんの数人だけだった。


 みんなが当たり前のように持っている紋章クレスト


 五歳になった頃には、どうして紋章クレストを持っていないのかと母さんに聞き、そのたびに泣かれたな。

 父さんと母さんはいつも喧嘩していて、やがて父さんは家に帰らなくなり、いつの間にか僕と母さんのそばから居なくなった。


 僕と母さんは、暖かい土地で暮らしていたのを覚えている。

 それがどこなのか、ルビア王国のどこかってことくらいしか、僕には今も判っていない。


 母さんは、僕を連れて別の土地へしばしば引っ越した。

 

 そして七歳になった年、僕のそばから母さんも居なくなった。

 母さんと最後に暮らしたところは、暖かい時期が短かったような気がする。


 ごめん、そこもどこか覚えていないんだ。


 一人になった僕は、近くの村に母さんが居ないか何日も探し回った。

 だけど、母さんは見つからなかったな。


 食べ物は、誰かの畑から野菜や果物を獲って食べていたよ。

 母さんと一緒に暮らしていたころも、そうやって暮らしていたから、それが悪いことだなんてちっとも思わなかった。そうして食べ物を手に入れるのが当たり前だと思っていたんだよ。

 でも、大人に見つかるとひどく殴られたし、みんなが僕を怒るから、やってはいけないことなんだって判るようになった。


 寝るところは、人が住んでいない家を見つけては、そこで寝たよ。

 見つけた家には、たまに服もあって、僕の身体に合わない大きな服でも気にしないで着ていた。

 これも母さんと暮らしていた時と一緒さ。


 だけど、大人に見つかると、やっぱり怒られて、出て行かなきゃならなくなった。

 そしたらまた別の家を探して、そこで寝た。


 この頃には、無紋ノン・クレストは、人から馬鹿にされ、嫌われ、憎まれていると判った。

 人なら持っている紋章クレストがないんだもの、人とは思われなくても仕方ないとも思っていた。


 僕らが住んでいる世界には、無紋ノン・クレストはどこにも居る場所がないんだ。

 そう思っていたんだ。


 僕と一緒に居るととても困るから、父さんも母さんも逃げたんだって、この頃判ったよ。

 誰も悪くない、僕だけが悪いんだって思っていたよ。


 その後は、君にも話したよね。

 ……集団農場へ連れて行かれて……そしてこの村に逃げてきたんだ。


 無紋の僕だけど、僕は生きたかった、死にたくなかったんだよ。


 誰かに生きていていいって言って欲しかった。

 君が言ってくれたように、一緒に居てもいいって言って欲しかったんだ。


 無紋ノン・クレストだろうと関係ない、毎日一緒に頑張って、村の皆と努力すればと呼んで貰える喜びを、この村に来てはじめて知った。

 ここには家族と呼んでくれる人が居る。

 友達と呼んでくれる人も居る。


 生きていていいどころじゃない、一緒に生きようと……一緒に居ていいどころじゃない、一緒に居てと君達は言ってくれた。

 

 これがどんなに嬉しくて幸せなことか、僕は今、それを知っている。

 そう言ってくれた君達がどんなに愛しくて大切なのか、僕は説明できる自信がない。

 

 村の誰かが亡くなったときは、とても悲しくて、とても辛かったよ。

 仲が良かったミゴールが亡くなったときなど、胸が張り裂けそうなくらい辛くて……僕は自分の無力を責めた。


 でもね? 

 この村に来てから今日まで、不幸だなんて思ったことは一瞬もないんだ。

 君と一緒になってからは、幸せで、毎日が素晴らしくて、僕は生きていて本当に良かったってずっと思っている。


 リナ、僕はね?


 命を救ってくれたダビドさんやパリスさん達のために、仲間と呼んでくれたこの村の人達のために、友達だと言って遊んでくれた人達のために、そして、ずっとそばにいてくれる君の幸せのために生きていきたいんだ。


 だから、僕は行くよ。


 この村のことだけ考えていても、みんながこの村で安心して生活できるようにならない。

 今の僕はただの無紋ノン・クレストだったときの僕じゃない。

 自信はそんなにないけれど、でも、この村のためにできることがあるなら僕はやるよ。

 発現した力、訓練して、勉強して、経験して身につけた力の全てを、僕の愛しい人達のために使いたいんだ。


 だから、行くんだ。


 あ、まとまった休みには、君に会いに必ずここへ戻ってくるよ。

 リナ、君の隣が僕の居場所だからね。

 ラダールに乗れば、この大陸のどこにいようと帰ってこれる。


 この手紙を読んだ君は怒るだろうか?

 帝国軍に入るわけじゃなくても、帝国軍の手伝いをする僕を怒るだろうか?


 ベネト村は、どの国にも頼らず、自立するのが昔からの誇りだからね。


 だけど、この村のためにルビア王国を放っておけない。

 僕を必要だと言ってくれたセレリアさんの力になって、ルビア王国を倒してくるよ。


 早く休みを貰えるよう祈っていてください。

 頑張ってきます。


 

 ――君から離れるのが辛いヒューゴより


・・・・・

・・・


「うーん、僕らしい内容だけれど弱々しいかなぁ。でも、伝えたいことを素直に書いたからいいよね」


 リナが帰宅したら必ず目を向ける台所に、二つ折りにした手紙をヒューゴは置いた。リナのお父さんにはきちんと話し、納得してもらえたけど、リナはどうだろうか?


「君が出かけている間に行くけれど、許してね。でも、僕が戦いの場へいくと言ったら、君はきっと悲しい顔をするだろ? その顔を見たら、僕の決心がぐらつきそうになる。だから、ごめんね」


 ヒューゴは家から出て、空を見上げた。

 雲一つない空を、鷲が気持ちよさそうに舞っている。

 

「ラダール。行くよ」


 ヒューゴのつぶやきに反応した、羽根先が白い漆黒の大きな……いや巨大な鷲が舞い降りてくる。

 その背から落ちないよう掴まるためだけの手綱を太い首に回し、地面に身を低くするラダールの背にヒューゴは乗る。


「あ、パリスに宜しくって書いておくの忘れたな……。でも、いいか。彼女ならきっと……」


 ヒューゴのことをリナと同じくらい判ってくれているパリスなら、この決断に文句を言いながらも、きっと受け入れてくれる確信が彼にはあった。


 鷲の首に当てた手に力を入れ、ヒューゴはパンッと叩く。

 

「さぁ行ってくれ! この村のために、ルビア王国を倒すために、僕に力を貸してくれ」


 クゥウウ……と鳴き、バサァアと翼をはためかせる。

 手綱を掴むヒューゴを乗せたラダールは、真っ青な空に向けて、大気を切り裂くようにグングン上昇していった。

 顔に当たる風が心地良く、清々しい気持ちをヒューゴは楽しんでいた。

 

 ……ヒューゴが振り向くことはなかった。

 

 新帝国歴三百六十年、旧帝国歴六百十年、二十歳の無紋の青年ヒューゴ、後に皇龍紋の軍師ストラテージと呼ばれる彼がガン・シュタイン帝国の正史に初めて記される年。


 この年から、セリヌディア大陸は大きく動く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る