第1話 トンカツ、馬車に乗る
その朝。
トンカツの家の前に一台の馬車が停まった。そこから降りて来た男二人がトンカツの家のドアをノックする。
トントン。
「はい?」
「失礼ですが、トンカツ様でございますか?」
トンカツ様……。
この時、トンカツの体内に今までの人生で味わったことのない、言葉にできない何かが注入された。
「な、なんでやんすか、あなたたち?」
トンカツなりの精一杯の上品な言葉で返した。
「私はトキタマーゴ城からの使いでやってきた者です」
「トキタマーゴ城?」
それは、あのタマゴトージ王子様がいるお城じゃない。そんなお城がなんで福井の片田舎に住む私になんか……。
「実は、あなたを王子様のお嫁さん候補として、お城にお迎えしたく、馳せ参じたのであります」
「えっ! わ、私が、王子様の!」
突然のことに、トンカツは動揺した。
あのタマゴトージ王子のお嫁さんに、この私が、そんなこと、あるハズがないわ。
「いえ、これはれっきとした事実なのであります」
「マジっすか」
しかし、わからないわ。
王子様のお嫁さん候補というのは、確か、とてつもない狭き門のはず。そこいらの高学歴の女子アナですら、門前払いされるって聞いたわ。
例えるなら、アリの肛門……そう、アリの肛門だわ。
「アリの肛門のはずよ!」
アリの肛門と言われ、使いの二人は顔を見合わせた。そして、年上の方が一拍おいて言った。
「実は、あなたの体にはトキタマーゴ家の血が流れているのです」
「えっ! 私の血に? でも、私は豚肉とパン子の子供よ! トキタマーゴ家の血なんて」
「間違いありません……あなたを揚げる時に、パン粉を付きやすくする願いを込めて、一旦豚肉を溶き卵の中にひたひたに浸すのです」
「なんですって!」
トンカツは初耳であった。自分の出生に、そんな秘密があっただなんて。お父様とお母様、すごいがんばってらしたのね。
「じゃあ、本当に私の体には」
「ええ、紛れもなく。そして、それは王家の花嫁候補になる条件を満たしております」
「よっしゃあああああああ!」
トンカツは、アッパーカットのような地を這うガッツポーズを決めた。資格を手に入れた途端、態度を急変させた。
「イエス! イエス! オーイエス!」
と、使いの男二人にディープキス。そしてビンタ!
人生の代打逆転サヨナラ満塁ランニングバントホームランがトンカツの運命に直撃した瞬間であった。
「じゃあ、すぐに荷物を取ってくるわ!」
なら、話は早い。と、ここからはトントン拍子に進んだ。というか、トンカツがトントン拍子に無理やり進めた。
憧れのタマゴトージ王子のお嫁さんになれるのよ。こんなビックウェーブ、乗らない手がないわ。
「うふ、この前の献血なんか行かなきゃよかったわ」
こんな気高き血を愚民に分けるなんて王族にあるまじき行為ね。
トンカツは冷蔵庫にしまっておいた献血の時のヤクルトを握りつぶした。それは、王家への忠誠の誓う、トンカツなりの儀式であった。
「お待たせ」
トンカツは枕とカバン一つだけを持って、使いの二人の元に戻ってきた。荷物はそれだけだ。
「ほらほら、行くわよ」
二人の使いの背中を押して、馬車に乗り込もうとする。でも、ちょっと緊張しちゃうわ。
だって、この馬車に乗ったら、もう普通の女の子には、戻れな……。
「おい、朝からどうした?」
ぎくっ。
右足を馬車の踏み台にかけ、おセンチに浸ってた最中、不覚にも旦那のソースが起きてきやがった。
「おい、トンカツ、なんだ、その馬車は? 朝っぱらかどこに行くんだ?」
使いから、かくかくしかじかと説明を受けるソース。
「はぁ! トンカツを嫁に取られるだと! そんなの許すわけねぇだろ!」
「ちっ!」
トンカツは思わず舌打ちをしてしまった。
どうして、愛する女の門出を両手を上げて喜べないのだ。この男は一体、どういう神経をしているのか?
私の幸せが、お前の幸せだろ? で、私の幸せが、私の幸せだろ? それが普通だ。
本当に、男という生き物は女を体でしか判断していないのだと、トンカツはこの時、つくづく思った。
「頼む! 行かないでくれ、トンカツ! 俺は、俺は……お前がいないと何もできないんだ」
ソースはその場に泣き崩れた。
トンカツの脳裏にも、ソースのとの結婚生活が頭をよぎった。決して裕福ではなかったけど、笑顔はお金持ちにも負けないくらいに多い日々だったわ。
「どうする」
トンカツは迷った。
「……どう殺す?」
ソースがトンカツのズボンをギュっと掴んだ。
「行くなっ! トンカツ!」
「さらせっ!」
ガフっ!
トンカツの後ろ回し蹴りがソースの顎に直撃した。楽にイかせてやるのが、今までの日々の恩返しだと判断したトンカツ。
それが愛のカカト回し蹴りであった。
「行くわよっ! 早く出しなさい!」
地面に倒れたソースをそのままにトンカツは、強盗のように馬車に乗り込んだ。
馬車は逃げるようにお城を目指して進み出した。小さくなって行く村を見て、ちょっぴりおセンチになってしまうトンカツであった。
「もう、普通の女の子には戻れないのね……」
ソースはまだ、玄関前で大の字で倒れていた。
立てるはずがない、完璧に急所を捉えた手応えが、トンカツのカカトにはまだ残っていた。
「見ててアンタ。あんたが惚れた女が、王子様のハートを射止めるところを!」
憧れの王子様のお嫁さんになる。幼い頃の夢を胸に、トンカツはカツ丼への道を歩き出した。
「バイバイ、今までの、私。純情だった、私……」
トンカツの頬を涙が伝った。
本気で涙を流しているトンカツを見て、「こいつ、どういう神経で泣いてんだ?」と、馬車を運転させる二人の使いは思った。
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