第2話 とりあえずOKはしたものの……

「で、結局そのイケメンの告白OKしちゃったわけね」


 コスプレ仲間のにのまえ月路つきじが生中のジョッキ片手に、小さなげっぷを吐きながら言い放った。見た目どころか飲みっぷりさえも本来の性別とはかけ離れている。


 ここは梅田の居酒屋、今日のイベントに参加したコスプレイヤーたちの打ち上げ会場だ。私と月路を含め10人ほどの女性レイヤーが長テーブルの座敷に座り込み、やいのやいのと趣味の談議に耽っている。


 通常なら本日の反省と写真の交換、次の計画を練るための場であるが、月路と隣合った私は今日に限ってはもっぱら突然の告白のことを話し合っていた。


「うん、でも冷静になると本当にこれで良かったのかなって……私、男の人とろくに付き合ったこと無いし、しかも相手は高校の時の先生だよ。私で釣り合うのかな……」


 一口も付けていないファジーネーブルをマドラーでからからと回しながらぼそぼそと呟く。当然ながら既にコスプレ衣装は脱ぎ、愛用のロングスカートに眼鏡と街を歩いていても絶対に印象に残らない格好に落ち着いている。


「いいじゃんいいじゃん」


 月路はそんな私の頭を男子顔負けの大きな手でつかむと、わしわしと乱暴になで回した。


「相性なんて付き合って初めてわかるもんよ。じゃないと破局とか離婚なんてあり得ないじゃない」


「別れる前提みたいに言わないの!」


「まあ良かったじゃない、安定した仕事で将来性もあるし、何より憧れのイケメンなんでしょ? 断るだけの理由なんて無いじゃない」


「それはそうなんだけど……でも私、数学の成績良くなかったし、そこまで藤谷先生とも親しくなかったし……他にもっと仲良かった子もいたのに、よりによってきっかけがコスプレなんて。これから付き合っていけるか不安で仕方ないのよ」


 ブツブツと垂れる私の隣で、月路ははあと大きくため息を吐いた。


「辛気臭い女ねえ。あんたコスプレの時は自分からポーズ作っちゃうくらいノリノリじゃない、何を今さら不安がってんのよ」


「それはコスプレだからよ、コスプレをしている時は自分じゃなくてキャラになり切れるでしょ。でも普段の私ってファッションにも疎いし、男の人が何が好きかってのもわからないし……それに同じ年代の男子と過ごしたことが女子中に入ってからずっとないから、若い男の人と一緒にいるとどぎまぎしちゃって、どうすればよいのかパニックになっちゃう」


「あー、そう言えばあんたのバイト先、店長のおじさんしかいないのよね」


 私がバイトしているのは60過ぎた夫婦が経営する近所の小料理屋だ。おじさんも私のことは娘のように可愛がってくれるが、異性として意識することはできない。


 地味で引っ込み思案な私は小学校卒業後、中高と女子学校に進学した。そこでも変わらず真面目に勉強をして、栄養士を目指して地元奈良の女子大に進学した。


 大学での私は至って真面目、無遅刻無欠席で授業や実習を重ね、堅実な成績を修めている。しかしそれは裏を返せばこれといった趣味も特技も無ければ華やかさも無い、合コンやおしゃれとは縁遠い生活だ。


 入学してしばらく、私は大学の4年間を日陰を歩くダンゴムシのように過ごすだろうとさえ思っていた。


 だが初めての夏休みを迎えんとしていた2年前のある日、私の人生は一変した。同じ学科の月路に「あなた、コスプレに興味ない!?」と唐突にイベントへの参加を誘われたのだ。


 聞けば一緒に参加する予定だった友達が祖父の葬儀で1週間ほど北海道に行くことになったらしい。週末のイベントに某人気ファンタジーRPGの男女ペアのコスプレで参加するつもりで相方が必要になり困っていたところ、その友人の体型と私がよく似ていたので衣装がピッタリだと思い声をかけたのだという。


 幸いにも私もそのゲームをプレイ済みで、その日は何の予定も無かった。だがほとんど話したこともない相手からのいきなりの勧誘に相当戸惑いパニックに陥った私はごり押しになされるがまま、気が付けばイベント参加の約束を結んでいたのだった。


「月路ならどうする?」


「私?」


 私をコスプレ道に誘った張本人はちょうど空っぽになったジョッキを口から離すと、口の上に泡の髭を作りながら即答した。


「そんなの、とりあえず付き合うに決まってるじゃない。やっぱり伴侶にするなら第一に経済力、第二に相性よ。経済面は文句無しよね、で相性は少なくともコスプレ趣味を理解してくれるなら、まずは及第点じゃない?」


「月路って私とは違った意味で面倒な女よね」


 ここまでぶれないのも考えものかな。私にコスプレの楽しさ、普段の殻を打ち破る感覚を教えてくれたのには感謝しているけど。


 そんな私たちの会話をじっと聞いていたのか、一番奥の上座に腰かけていた黒一色の服を着た女性は日本酒のおちょこをくいっと傾けると、静かに、しかしよく通る声で話し始めた。


「男女の仲は良い悪いだけで言い表されるものではありません」


 途端、思い思いに談笑していた一同が静まり返る。


「さやか様が口を開いたわ!」


 そしてわずかなどよめきとともに、さやか様と呼ばれるこの女性に全員が視線を向けた。


 関西コスプレ界の重鎮。年齢、経歴、私生活は一切不明だが、少なくとも15年間、同じ容姿を保っているミステリアスな美女。身長自体は高いとも低いとも言えないが、その役柄は美男子からあどけない少女まで幅広く完璧にこなしてしまうのだ。


 そんな憧れの先輩のさやか様は打ち上げでも滅多に話さない。だが時折口にするお言葉は重みがあり、私たち後輩コスプレイヤーにとっては神の啓示にも等しかった。


「好きだ、愛してる。そんな一般的な言葉で片付けられるほど、その感情は単純なものではありません。恋愛とは人類の一生のテーマ、永遠に答えの出てこないもの。だからこそ今でも恋愛を扱ったドラマや小説、映画は新たに生まれ続けるのです。100組の男女がいれば、その愛情の在り方も100通り生まれるのです」


 おおーと歓声をあげるコスプレイヤーたち。異論をはさむような者は誰ひとりここにはいなかった。


「ほら、さやか様だっておっしゃってるのよ。いいじゃない、付き合えるだけ付き合ってみるのも」


 月路も私の手をつかんでやたら激しく振り回す。


 さやか様の放つ圧倒的なオーラと月路の強いプッシュに、私は「う、うん……」と頷くしかなかった。

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