10.ラッキースケベに対するカナの反応
アルバイトを始めてから数日、ドックのパーティで冒険に明け暮れるカナたちとは対照的に、ヤドルはずいぶん仕事に慣れてきていた。
「ヤドルも中々いい仕事するようになったわね」
「そうですか! ありがとうございます!」
「うーん、……やっぱまだまだかなぁ」
「どっち何ですか」
それはねぇ……と、武具屋の店主であるチェイスは、どこか嬉しそうに続けた。
「『ありがとうございます』とか……かしこまった態度どうにかならないの?」
「いや、別にそんなつもりは……」
「最初はあんなにタメ口だったのに、バイト決まってからそんな態度ってねぇ」
チェイスの言う通り、ヤドルのチェイスに対する言葉遣いは面接時よりも『丁寧』になる場面が多くなった。
が、理由はバイトを始めたからではなく……
――あんなこと言った手前ちょっと恥ずかしいんだよなぁ。
家族になろう、そういう事を言って一緒に暮らすようになって。
ここ数日で、チェイスとの距離が一気に近づいたのだ。
一緒に暮らすというのは、金のないヤドルにとって本望であったが、やはり見知らぬ女子と一つ屋根の下で。それもたった2人だけで暮らすというのは中々に刺激的な日々であった。
――まぁ、恋愛対象としては見れないけどな。
チェイスの体型はどこからどう見てもロリで、2人キリの生活でも変な気は起こさなかったヤドルである。
言葉遣いは同世代か年上のソレなのだが、やはり見た目はロリである。
「ねぇ、何か変なこと考えてない?」
「いや、別に……おっと、これで完璧かな」
「すぐ話をそらさないの」
そう言いながらも、見せて、とチェイスは続けて、ヤドルの方へ近づいた。
ヤドルは今、武器の手入れをしている。
全長90、刃渡り70センチ程の刀。西洋風のソードに付いている鍔のない、シンプルな形状のそれを、ヤドルはチェイスにレクチャーして貰った通りに手入れをしていたのだ。
手入れした刀をチェイスは、念入りにチェックして、
「おぉ、いいじゃない。刀も喜んでいるわ」
チェイスは自身の髪の毛を弾ませながら、嬉しそうにいった。
この『刀も喜んでいる』という言葉が比喩ではないことを、ヤドルは後に知ることになる……。
「とりあえず、この刀に名前を付けてあげて」
「名前かぁ、どういう名前が……ちょい待て、俺が名前決めていいのですか?」
「ほら、敬語っ!」
「あぁ……えっと、この武器って商品だろ。それなのに、どうして俺が」
「誰も商品なんて言っていないわよ……逆に、素人に手入れさせた武器を売ると思う?」
「そりゃ、その通りで」
――わかっちゃいるけど、ちょいと傷つくなぁ。
自分の腕を過信している訳ではないが、せっかく自分が手入れした武器なので、商品として出せるわけないときっぱり言われると、それはそれで落ち込むヤドル。
チェイスはヤドルの様子に、意味深な笑いをして、
「でも、名前はしっかりと付けてあげてね……それはあなたのパートナーになるのだから」
「ん? どういう」
「鈍感ね、その武器をあなたにあげるわと言っているのよ」
「えっ、……でも、お高いんでしょう?」
これからバイト代抜きね、とか言われないか心配するヤドルにチェイスは、
「タダで良いわよ」
「本当にいいのか?」
「しつこいわね…………(家族になったんだし、その記念も込めてよ」
「ん? 今なっ、痛っ」
――分かれ、バカッ。
チェイスはヤドルの膝を右足で軽くけったが、カナとは全く違う愛嬌のある攻撃にヤドルの心は自然と温かくなった。
「ははっ、チェイスって可愛いな」
「なーっ何をっ……あぁいいから、さっさと名前を決めてあげなさいって」
「へいへい、でも名前って言われても武器の名前なんて全然思いつかないぞ」
「好きな女の名前でも付けたらいいじゃないっ!」
顔を真っ赤にしながら、やけくそ気味にいうチェイス。
――そんなこと言われても余計に分からんのだけどなぁ。好きなやついねぇし。
しかし、ヤドルの脳内にはある言葉がふって沸いた。
「サクラでいいな。この刀、日本って感じがするし。サクラがぴったしだ。チェイスはどう思う?」
「…………ふぇっ?」
名前が決まったというのに、チェイスは唖然とした顔をしばらく。じきに、無言で涙を流した。
「あれ、俺のネーミングセンス……泣くほど酷かった訳?」
「いや違うの……そうじゃなくてね……」
チェイスは不安気に質問を続ける。
「……ヤドルって好きな人いるの?」
「何でそんな話になるんだよ……あぁ、ちげぇよ。サクラってこうパット思い浮かんだだけでしてね」
「やーどーるぅぅぅ」
そんなこんなで、婚約者に不倫の証拠が見つかった時の旦那のように、ヤドルは冷や汗を流しながら、説明に追われた。
――いや、何で俺、こんな焦ってんだよ。
* * * *
説明して、かれこれ数分。
「はぁ、まぁ分かったわよ。でも彼女が出来たらちゃんと私に言うのよ」
「何でだよ」
「家族だからよ」
「……あっ」
「……うっ」
チェイスは未だに顔をほんのりと赤くしたまま、話をそらした。
「ほら、さっさと用具片づけて。ほらほらほら」
「へいへいへいへい」
「いや、武器はちゃんと身に着けてって」
「へいへいへいへい」
「……適当に返すなっ」
「痛っ」
チェイスはヤドルに渡した刀、『サクラ』で鞘のままヤドルを突く。
ヤドルは武器を受け取ると、無骨な見た目のソレを改めて見て、
――何か、ちょっとショボく見えるなぁ。
そう思った瞬間、武器の鞘がガクンッと動いたがヤドルはあまり気に留めず、ぎこちない動きながらも片づけを始めた。
水差しの水を外へ捨て、布を洗う。
砥石は日本で一般的なレンガ状の物ではなく、手のひら大の小さな四角い石を使う。砥石や水には魔力が混じっているらしい。
基本的にメンテナンスに使った道具は、一回で使い捨てるのがチェイスの店のやり方らしいが、今回はヤドルの練習用ということもあって、砥石を保存しておくことになった。
「よし、この砥石はどこに」
「それは取り合えず棚の上に……そこじゃなくて、もっと上の」
脚立を使い、ヤドルは砥石を片付けようとして……。
そして、チェイスはヤドルの足元で仕舞う場所を教えていて……。
「「あっ」」
ヤドルがバランスを崩し、脚立から落っこちてしまった。
「うわぁぁっ……イテテッ」
「痛……くない」
ヤドルは、顔面から地面に向けて落っこちたのだが、感じたのは柔らかさであった。
その感触に驚いたヤドルは、反射的に閉じていた目を開けた。
「ちょっとヤドル……何をして」
「うっうわぁぁっ」
真っ赤に染めた自身の顔を両手で隠すチェイス。
ヤドルは、その少女の胸に顔をうずめる形で倒れていた。
「すまん、まじですまん」
謝りながらも、急な出来事で脳の処理が追い付かないヤドル。
オンラインゲームで回線落ちしたような状態のまま、ヤドルは、
――チェイスって見た目に反して、胸大きいんだな……。
そんなチェイスの意外な一面を感じていると、
ガチャンッ!!
と、ひときわ大きな音を立ててドアをぶち開ける女の姿。
「ヤドルあんたまさか! ……なっ、なにを」
「おい、違うんだカナ。これは、そのちょっとした事故で」
「見損なったわ、この性欲衝動の塊ッ!!」
店に入り込んだ女はそのまま、ヤドルをチェイスからひっぺ返し、そのまま空中で膝蹴りを繰り出した。
そう、女とは……女神カナのことである。
* * * *
数分後。冷静さを取り戻したカナが、
「まさか、あんたが女と二人きりでバイトしているなんて思いもしなかったわ」
チェイスは、椅子に座るカナにお茶を出しながら、
「あの……カナ。ヤドルにあなたのような彼女がいたなんて思いもしなくて……本当に申し訳ありません」
「いや、チェイス。こいつに謝る要素は一つもないし、こいつこそ畏まる必要なんて一切ないし……そもそも俺の彼女じゃねぇよ。こいつは」
「そっそうですよね、ヤドルは彼女いないって言っていましたよね……では、カナさんとはどういった関係で」
ヤドルは、カナが女神であると口が裂けても言う気が起きなかったし、こんな奴が女神であるなんて認めたくなかったので、
「いいや、ただの冒険者仲間だよ。そこにいるのが、フェイル。そいつも俺の冒険者仲間だ」
「よろしくです、フェイル」
「こちらこそ、チェイス」
――何か、名前似てるなぁ。この2人。
――名前似てて、言い間違えそうね……。
ヤドルとカナは、チェイスとフェイルの名前がこんがらがりそうだなぁって思ったが、今更苗字呼びにするのも、余所余所しい気がしたし。あだ名を考えるにしても、「ふぇーちゃん」「ちぇーちゃん」くらいしか思いつかなかったので、素直に口に出さないでいた。
何より、名前が似ているのが関係しているかは分からないが、チェイスとフェイルが仲良く談笑を始めたので、そのままでいいや、とヤドルとカナは思ったのだ。
ヤドルが談笑する2人を微笑ましく眺めていると、カナが、
「ねぇ、どっちが好みなの?」
「急に何の話だよ」
「チェイス? ほら、さっき胸に飛び込んでいたし」
「ちげぇって。あれは事故だったんだって。それに俺はロリコンじゃねぇし」
「はぁ……まぁいいでしょ。それにしても、チェイスってロリのくせに意外と胸大きいのね」
「そうだなぁ……ん?」
カナの言う通り、チェイスの胸は思っていたより大きい。いや、一般的なサイズよりも大きいビックなモノを持っている。
が、それは外から見ただけではかなり分かりにくく、ヤドルは今回の『事故』で知ったのだ。
――それなのに……
「なんでお前が知っているんだよ、それ」
「……今日のクエストが終わったら一回ヤドルの様子見に来ようと、前に教えてもらった通りこの店に来たのよ」
「うん」
「んで、店のドアを開けようとした瞬間『感覚共有』で……顔面にドーンッ! ってめっちゃ柔らかい感触があって……これは絶対におなごの胸だと、私は理解したわ」
「どうしてそうなるんだよ……」
「……自分の胸に聞いてみたのよ」
カナは自身の胸を張りながら言った。
しかし、ヤドルがカナのそこを見ても……明らかに。
「あぁ……世の中、神様にもどうしようもできないことってあるんだな」
「あっ、あんたねぇ!!」
「ふっ、その攻撃は効か……あっ」
ヤドルは一部思い出した自分のカラテスキルを活用し、カナの膝蹴りを避けようと構えをとったが……
――なっ、何か動けない。よく分らんがよけちゃダメな気がして、動けねぇんだけっど!
ヤドルの身体は自身の気持ちに反し、素直に膝蹴りを受けてしまった。
「痛っ、いい加減やめろって。その蹴り」
「…………」
「おい、聞いているのか?」
「…………へっ? あぁ、うん」
一方、カナは動揺していた。『感覚共有』された痛みなんて無視するようなほど。
ヤドルの『構え』に……そして、急に動きをやめ、素直に膝蹴りを受ける姿に、強烈な既視感、デジャブを感じたのだ。
カナは記憶を取り戻した訳ではないが、……ふっと湧き上がる気持ちに思わず口を開いていた。
「ねぇ、私たち。ずっと前に出会ったことないかしら」
真剣な表情のカナに対しヤドルは、
「今更、どこかの宗教勧誘の決まり文句のようなこと言い出すなって。気持ち悪いぞ」
「…………てんめぇ」
「あっ?」
「こなくそぉぉ!」
また、ヤドルはカナの膝蹴りを避けることができず、チェイス武具店に本日数回目のヤドルと、『感覚共有』で痛みを感じたカナの絶叫が響いた。
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