Episode 5

#1

 ここ、どこだろう。


 背中で重力を感じていた夏海は、心の中で呟いた。本日二度目の迷子だと理解すると、途方に暮れた。


 身体が……だるい。


 目が覚めた直後は、聡太を探しにガルダに来たという目的すら忘却していた。


 目の前に広がる、一面コンクリートで構成された無機質な天井は、湿気からか灰色に泥を塗ったように薄黒い斑点が浮かんでいる。


 片手を突いて身体を起こした夏海は、ずきずきと痛む頭をもう片方の手で押さえた──その時、左脚に電撃が走るような痛みに襲われ、唸り声が漏れた。


 そうだ、思い出してきた。私は瓦礫の山から落ちたあと足を怪我して、それから……いや、そのまま気を失ったんだ。あの時、誰かいたような……。


 時間と共に、脳に蔓延はびこっている靄のようなものが晴れていく感覚があった。


 少し躊躇われたが、先程から痛みを伴っている左脚の方へ目を配った。


「へっ?」


 あり得ないその光景に、思わず素っ頓狂な声が出る。


 治っていたのだ。筋肉が剥き出しになっていた筈のあの傷が、まるで怪我をした事が幻影だったかの様に消えていたのだ。


「縫合……したにしても綺麗過ぎる。塞がったと言うより、あの傷が無かったものになってる感じ」


 まるで死の淵に立ったかのような激痛に悶たあの時間は、すべて幻だったとでも言うのだろうか?


 俄に信じられない自分の脚にそっと触れると、今しがた感じた電撃のような痛みが再び夏海の全身を駆け巡った。


「ん! うぅ……」


 この痛みだ。この痛みだけが、あの時の出来事が事実であった事を物語っている。


 鈍痛とも刺痛とも言えるその衝撃は、脚を痙攣させながらゆっくりと、そしてじんわりと尾を曳きながら消滅した。


 この一連の流れだけでも、夏海は過度の体力を消耗していた。


 呼吸が乱れ、肺に酸素を送る事さえままならなくなっている。心臓がぎゅっと締め付けられる感覚に捕われ、両の手で胸元の服を鷲掴みにすると、前のめりの状態になったまま硬直した。


 じんわりとした気持ちの悪い汗が全身から吹き出し、額から顎にかけて大粒のそれが線を描くように落ちていった。そのスッと通った感覚が、脚を切ったと理解したあの瞬間を彷彿させ、夏海は酸っぱいものが胃から食道へ逆流するのを感じた。


「おぇ! げぇ、うぶっ。ぅげぇ!」


 もう残っていないだろうと思っていた食べ物の残骸が、びちゃびちゃと体外へ流れ出る。


 一頻ひとしきり嘔吐した夏海は、だんだんと冷静さを取り戻していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る