#6

 そこには加山海奈と記してあった。


「なに今更照れてるんですか? 私が下で呼んでいる時は博信さんも下で呼んでくださいよ」


 ずいっと顔を寄せてくる加山海奈に、博信はどきどきと心臓の鼓動が煩いくらいに鳴っていた。


 ふわりとシャンプーの匂いが鼻に香り、博信は耳の先まで顔を赤らめる。


「み、みな? さん?」


「…………」


「…………」


 やばいな。これは、あれだ。恐らく間違えたやつだ。ほら、この顔。明らかに不審がっているではないか。……というかこの女は何でこんなに馴れ馴れしいんだ! 駄目だ。いろいろと限界だ! 混乱と興奮でいよいよ訳が分からなくなり、博信は考える事を放棄した。


 無音の空間が幾許か時を流れる。


 そんな中、先に沈黙を破ったのは海奈であった。


「あの、博信さん」


「はい」


「『みなさん』はやめてとほしいとあれ程言いましたよね? これはイントネーションの問題じゃないんですよ。私もう怒っちゃいましたからね」


 あ、名前を間違った訳じゃなかったのか。と博信がほっと胸を撫で下ろしていると、海奈がついとそっぽを向いた。


「あ、あの……えーっと」


 博信があたふたとしていると、海奈は膨れ面のままこちらへ向き直った。


 …………綺麗だ。

 思わず漏れ出す心の声は歯止めが微塵も無くなっていた。


「今なんと?」海奈が訊いた。


 博信は心中で呟いたつもりが、言葉が口から漏れ出ていたらしい。どうやら歯止めの歯の字すら欠けているようだ。


「はぁ……まぁいいです。何だか博信さんの心の声が聞けたような気がしますし」


 膨れ面のまま、海奈は人差し指を突き立てると続けた。


「でもですよ! 次またあんな呼び方したら許しませんからね! 全くもぅ……以後気を付けるように、全く、もぅ」


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