第26話 茜雲 (5)

 目を覚ますと、窓の外はまだ陽が昇り切っていない。それでもはっきりと分かるほど重苦しい曇天模様となっていた。

 時計を見ると、午前六時。普段ならば、まだ眠っている時間だ。

 酷く悪い夢を見た気がするが内容は思い出せない。心臓の鼓動が妙に速い。

 そして、透流は昨日のできごとを思い出す。

 そうだ。茜は――。

 慌てて、枕元の携帯を確認するが、やはり彼女からのメールは届いていなかった。

 何度か睡眠と覚醒を繰り返し、ようやくベッドから出たのは九時過ぎだ。

 もう一度、携帯を見るが結果は変わらない。

 外では雨が降り出していた。夜には雪に変わるかも知れないという予報だ。

 どれほど心が弱っていてもお腹は空く。トイレにも行きたくなる。

 なかば自動人形のように透流は日課をこなす。

 遊んで欲しいとせがむ晴陽が、

「ねこしゃんのおねえしゃん、また来ないかな」

「……もう、来ないかも知れないね」

「来ないの? また、あそびたいのに」

「……そうだね、僕も会いたいよ」

 結局、頭が痛いからと部屋に戻ってしまう。

 どれだけ辛くても、晴陽に当たることだけはしたくない。一緒にいたら思わず声を荒らげてしまいそうだった。

 丸一日、家にこもっていた。

 夜になり、少しだけ体が動くようになると、気に掛かっていたことに手を付ける。

 それは、中学時代の卒業アルバムを探すことだ。三年生の時に撮影されたアルバムには、当然揚羽は載っていない。

 正確には別枠で顔写真と名前が載せられているのだが、それがかえって彼女の死を物語っているせいで、透流はあまり目にしたくなかった。

 彼女の顔は今でもありありと自分の記憶の中にあるのだから。

 これまで敢えて見ることを避けていたが、茜に連絡を取ろうと思えば、そうも言っていられない。

 押し入れの奥から目的のアルバムを引っ張り出す。

 当時は全部で一〇クラスもあった。小学校が違えば、三年間ずっと顔も覚えないままの同級生も多い。

 こんな生徒はいただろうかという思いで、ページを丹念に見ていく。

 しかし、高木茜という名前は見つからない。

 何かの事情で苗字が変わっているのかも知れない。茜という名前の生徒はいたが、顔は彼女とは似ても似つかない。

 さらに、何度もアルバムを見直すが、高木茜は見つからない。

 彼女と一番似通った顔をしているのは、アルバムの最後に白黒で載せられた星野揚羽だけだった。

 ……茜が言っていたことは嘘だったのか。

『わたしのわがままで、わたしの嘘で、トールを傷つけている。それは、充分に分かってる。でも、真実を知れば、もっとあなたを傷つける。

 ……だから、さようなら』

 彼女の言葉が甦る。いったい、彼女の吐いた嘘とは何か。

 ただ、同じ中学に通っていたという言葉だけではないだろう。

 そもそも――彼女は、どこの誰なのだ。

 この数週間を共に過ごした女性が高木茜と名乗っていた。

 透流が知っているのは、ただそれだけだ。

 スマホを取り出し、しばらく睨んでいた末に透流はある番号に電話する。

 相手は落合だ。

 大学で再会した時に互いに連絡先は教え合っていた。これまで、一度も連絡したことはなかったが。

 落合は連絡に驚いていたが、頼みは快く引き受けてくれた。

 明日の午後、大学の近くで会う約束をする。

 白銀祭りまで、今日を入れてもあと四日。

 叶うならば、もう一度、彼女と時間をともにしたい。

 彼女が別れを告げたのならば、それにしがみつくのは滑稽でみっともないことかも知れない。

 だがそんな理屈は、もう一度会いたい、真意を確かめたいという感情の前には無力だ。改めて、透流は自分が変わったことを思い知る。

 寝る前に、茜に電話を掛けてみる。考えたらほとんど電話をしたことがない。

 それだけ、頻繁に会っていたということか。

 呼び出し音が鳴り続けるが、出ることはなかった。

 着信拒否や契約解除という事態になっていなかっただけでも、安堵する。

 電話を切り、再びメールを送る。

『どうしていますか。靴擦れは、大丈夫ですか。

 良かったら、連絡下さい』

 女々しいと笑われるだろうか。

 たとえ切れそうな細い糸だとしても、繋がっていたい。

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