第23話 茜雲 (2)
「着いたー」
開けた高台に到着する。
疲労が滲み出ていた茜も吹く風に身を縮めた後、晴れやかな笑みを浮かべる。
「すっごく見晴らしがいいよ」
眼下には、宗宮市の北側を一望できる。
市内には永瀬川という大きな川が流れていて、まずはその清流が目に入る。
宗宮市は、主にその永瀬川の北側が住宅街、さらには山間部、南部が官公庁や会社が並ぶオフィス街や、昔ながらの商業街と分けられる。宗宮駅も、その南部にある。
透流が住むのは北側で永瀬川からも近い。
太陽は南天に差し掛かり、透流たちが見下ろす宗宮市街をあまねく照らしている。
遠くには、どこまでも連なる山々を見ることができる。陽光にぼんやりと浮かび上がる深い緑が目に優しい。
近くに視線を移せば、数え切れないほどの色とりどりの屋根がある。その一つ一つに人が住んでいるのだ。
「僕の家は、あの辺りかな」
透流が指した先を、すぐ隣に並ぶ茜も顔を寄せて「そうだね」と頷く。
「晴陽ちゃんはどうしてる?」
「家を出るときは、寝てた。今日は父親が休みだから一緒に遊びに行ってるかも。僕がねこしゃんのお姉ちゃんと遊びに行ってるって知ったら、うらやましがるだろうな」
「また、会いたいね」
呟く茜の口調は、どこか寂しげだ。
「いつでも、遊びにおいでよ。高木さんの家はどこ?」
駅の方角らしいということしか、彼女の住んでいる場所を知らない。
「わたしの住んでいる所はね……ここからは、ちょっと見えないな」
「じゃあ、後でお城まで登ろう」
展望台からは主に北の方しか見ることができないが、ここからさらに進んだ山頂にある再建された宗宮城に登れば、四方を見渡すことができる。
宗宮城はコンクリート造りで、いわば外見だけの城だが中は資料室になっている。
かつては天下に名を知らしめた山城として、何度も戦乱の舞台となった。
名の知れた武将が使用した刀や槍、鎧、書状といったものが展示されている。
「レプリカって書いてあると、ちょっとがっかりしない?」
確かに作りは精巧で素人目には真贋は分からないが、説明書きに複製とあると一気に価値が落ちる気がしてしまう。
「本物と偽物、か……。どんなにそっくりでも、どんなに同じにしか見えないとしても、やっぱり偽物は偽物なのかな」
「何を以て本物って呼ぶかだよね。僕たちがこうやってケース越しに見ている分には、レプリカと書かれていれば偽物と呼ぶしか仕方ないけど、でも、レプリカの一文がなかったら、僕たちには、これは区別はつかない。
このお城みたいにいかにも作り物だったら、また話は違うけれど区別がつかなきゃ、実際はあまり大した違いはないのかも」
城の四階は最上階になっていて、外にぐるりと回廊が設けられている。
ここからならば、四方を見渡すことができる。
「あそこが、僕が通った小学校だよ」
透流が自分の家から少し北を指さす。
「あっちが、中学だね」
茜が指すのは、この間二人で校門前まで行った場所だ。
「大学は……ちょっと、遠いか」
郊外にある宗宮大学は、さすがに霞んでしまい姿は分からない。
「永瀬川、水が少ないね」
「最近、雨が降らないから」
台風などがあれば、ときに水害をもたらすこともある川だが今は流れも細い。
「でも、清流には違いないよ」
「蒼い空と白い雲、緑豊かな山と透明な川。わたし、この町が好きだなあ」
空を見上げて、茜が微笑む。
「水原透流って名前、だからわたし、好きなんだ」
「えっ?」
「すごく綺麗。ここから見える景色みたいで、水原君にぴったりだと思う」
「……うん」
綺麗な名前。そう言われたのは、茜からは二回目、そして揚羽に続いて二人目だ。
自分が空っぽみたいに思えた、この名前も。
生まれた時からずっと住み続けて、悲しい想い出もあるこの町も。
彼女の一言で、なんだか好きになる。
茜の横顔を眺める。
見れば見るほど、揚羽に似ている。七年前を最後に、もちろん彼女とは会っていないけれど、記憶の中にあるその顔が大人びれば、きっと茜のようになるだろう。
今は遠くを見ている瞳に透流は吸い込まれそうになる。
綺麗だと思う。
ただ、彼女の外見に惹かれているだけではない。
水族館でのできごとに象徴されるような、彼女の信念、芯の強さ、それと同居している、例えば透流の家で見せたような、茶目っ気、優しさ、時には弱さ。
そういった内面も魅力的だ。
何よりも不思議だと思うのは、茜といる時の自分自身だ。
とても、自然でいられる。
知り合って、まだ一ヶ月と経っていないのに、まるで何年も前から、ずっと一緒だったかのような錯覚を覚える。
思い出されるのは、揚羽のことだ。
彼女と過ごした一ヶ月も、同じことを思った。
ともにモモを愛で、ともに勉強し、ともに本を読んだ。
穏やかで、静かで、心安まる時間だった。
茜と過ごす日々はもう少し賑やかで、心騒いで、しかし、とても心地よい。
一方で、懸念を抱かないでもない。
揚羽によく似た茜に、揚羽の代わりとして惹かれているだけなのではないか。
高木茜という一人の女性として見ていないのではないか。
この気持ちは、偽りではないのか。
だが、それは先ほど透流自身が答えたとおりだ。
偽物と本物に区別などない。
自分が思う気持ちが、本物だ。
ただ、彼女にはまだ謎が多い。
住んでいる所、家族、経歴。中学が一緒だったというが、やはり記憶にない。
何かしら言えぬ事情があるのだろうが、それを知りたいというのは、ただのわがままではないだろう。
これからも共に彼女とあるためには、必要なことだ。
その一歩を今日、踏み出すのだ。
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