第22話 茜雲
二月二四日(土)。
朝からよく晴れている。その分寒さは厳しいが、ハイキングをしているうちに体も温まるだろう。
汗をかくことを予想して、比較的薄手の服を選ぶ。
絶好のお出かけ日和。しかし、天気予報では週明けから天気が崩れるようだ。
気温も下がり、雪の予報の日も多い。せっかくの祭りの日も降雪確率が高い。
しかし、今から数日後の天候の心配をしても仕方ない。
今日は茜とのデートを楽しもう。
透流の部屋の窓からは、今日登る予定の金宝山がよく見える。
春には新緑を繁らせ、夏には力強い日差しを照り返し、秋には黄赤に彩られ、そして冬にはときに純白に雪化粧をする。
透流は自室にいながらにして、四季の移ろいを感じることができる。
その切り取られた景色が、透流は好きだ。
山の頂きには、やはり市を代表する観光スポットである宗宮城がある。
戦国時代には天下に名を知られた城だ。
もっとも戦乱で焼け落ち、今の城は昭和になってから再建されたコンクリート製の城だが、それでも見上げる分には威風堂々とした佇まいを感じることができる。
重厚に構える金宝山、そして頂きに白く浮かび上がる宗宮城。
例えば、鳴海市から電車で宗宮に戻ってくる途中、車窓から遠くにこの二つの姿を認めると、途端に、ああ帰ってきたのだなと思える。そういう象徴だ。
透流は、ある一つの決意を固めていた。
朝、早めの時間に駅で待ち合わせる。
順調に行けば昼過ぎには頂上に着く。売店で軽く食べてから、辺りを散策して帰りはロープウェイで下まで降りる。
時間があれば麓にある宗宮公園や併設されている市の歴史博物館を回って、あとは夕飯を食べに行く。
茜には言っていないが、既にレストランの予約もしてある。
透流の決意が上手くいけば、きっと記憶に残る一日になるはずだ。
「お待たせ。今日も寒いね」
茜の服装も身軽なものだ。軽くて温かそうな薄黄色のジャケットが目にも明るく、気持ちが良い。
「動けば、きっと温かくなるよ」
路線バスで、山の麓に向かう。
透流にしてみれば、家から駅に出て、また家の方に戻ることになるが、茜と過ごす時間が増えると思えばまるで気にならない。
「山に登るなんて何年ぶりかな。子供の時以来だ」
「転んだり、倒れたりしないでね。水原君、運動はあまり得意じゃないから」
「あまり、なんてもんじゃなくて、まったくダメだよ」
これも教師を目指すにはネックだ。ついでに音感もないので、これも厳しい。
そんな心配を口にすると、
「でも、大丈夫だから。今日は一緒に頑張ろう」
茜が明るい顔で励ます。そうすると単純なもので、不安が晴れてくる。
登山口で、最初の一歩を踏み出す。
最初はなだらかな坂が続く。しばらく雨も降っておらず、足下に積もる落ち葉も踏み固められていて歩きやすい。
冬晴れということもあるのか、透流たちと同じように頂上を目指す者は多い。
緩やかなつづら折りの山道を登っていくと、その曲がり角には、時折木のベンチが設けられていて、休めるようになっている。
「ちょっと、休憩」
三分の一くらいまで来ただろうか。
「はい、お茶。冷たいのにしておいたよ」
冬の寒さも、ここまでの運動で置き忘れてきたようで、体は芯から火照っている。
その熱も茜が差し出したお茶を数口で飲み干すと、すうっと取れていく。
「大丈夫?」
「もちろん」
そんな簡単に疲れたとは言っていられない。透流にも沽券というものがある。
休憩所には、金宝山に棲む動物や鳥を紹介した看板が設置されている。
「鹿や猿なんて見たことないけど」
「猪が出たっていう話は聞いたことあるよ」
「鳥の鳴き声は聞こえるね」
姿は見えないが、冬の山を餌を求めて飛んでいるのだろうか「キョッキョッ」という鋭い声が聞こえてきた。
濃い緑の葉を残すシイノキが冬の日差しを遮り、足下は日陰になっている。
「汗も拭いて」
飲み物などは透流も持参していたが、タオルまで気が回らなかった。冬だし、汗を掻くようなことはないだろうと思っていたが、それは間違いだった。
汗が引くときに体温が下がり、一休みした後だと体が冷えてしまう。
その前に汗を拭いた方が良い。
「高木さん、慣れてるね」
「一ヶ月……ううん、二ヶ月くらい前にも登ってるから」
「じゃあ、今日は誘って良かったのかな」
「気にしないで。この雰囲気、好きだから」
登山者の中には早朝のうちに登って日の出を拝んで、もうこの時間には降りてくる人たちもいる。年配の人が多い。
すれ違う時に「おはようございます」「こんにちは」と一言交わしながら、透流たちも頂上を目指す。
やはり、普段の運動不足がたたっている。
茜の足取りは軽やかだったが、少し遅れる透流を気遣ってペースが狂ったのか次第に疲労の色が濃くなる。
途中で休みながら、体調に応じて茜が持参した冷たいお茶と、透流の用意した温かいお茶を飲み、甘いものを食べて、周りの景色に目を配るゆとりを持つようにする。
「おっきい葉っぱが落ちてる」
山道を歩くと、小さな茜の顔ならば隠れてしまいそうになるほどの大きな葉が何枚も落ちている。
「朴葉だよね」
正確にはホオノキの葉で、その上に肉や味噌を載せた朴葉焼きに使われる。
一枚を拾い上げて、自分の顔の横に並べる。
「水原君、顔、おっきいね」
「……そっち?」
そんな軽口も叩けるようになり、登り始めてから、およそ三時間後。
まず、ロープウェイの駅が見えてくる。
ロープウェイを使えば麓の駅から一五分ほど揺られて、ここにたどり着くことができる。それを三時間掛けて、二人は歩いてきた。
時刻はちょうど一二時になろうとしている。
「もう少し歩けば、展望台があるよ」
「……………………ふぅ」
「大丈夫?」
息が荒い。今度は茜が辛そうだ。
「……うん、少し靴擦れかな」
今日の靴は買ったばかりだという。最近も登ったばかりだというのになぜ靴擦れをしやすい新品にしたのだろう。
山道の途中で疲れが見えたのも、靴擦れのせいだったのだろうか。
透流は念のために持っていた絆創膏を渡す。
「準備いいね」
「自分が使うことになるかなって思ってたんだけど。持ってきて良かった」
茜はその場でしゃがみ込み、後ろを向いて靴と靴下を脱いで絆創膏を指に貼る。
「どう?」
「うん。だいぶ、良いかな」
そう言うが、気にしている素振りは隠せない。
「……手、貸そうか」
展望台まで、まだ階段が続く。
「ありがとう」
透流が差し出した右手を握り返す。
茜の汗ばんだ手が、しっとりと温かい。
急に恥ずかしくなって、無言のまま茜を先導する。
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