第19話 逃水(3)

 それなのに。

「……どうして、星野さんのことをそんな風に」

 思い返してみても、茜が同じ学年にいたことはまるで覚えていない。

 しかし、どうやら彼女は揚羽のことをよく知っているようだ。

 透流の告白を聞き終えた彼女は、深く長い息を吐き出すと、

「そう……ごめんなさい」

 本当に申し訳なさそうに、謝罪した。

「わたしは、あの頃の星野揚羽が嫌いだった」

「星野さんとの間に何が……」

 茜はその質問には答えずに、

「でも、今の水原君は、あの頃の星野揚羽を、嫌いじゃなかったんだね。そっか。……そうなんだ」

 茜はもう一度深く息を吐くと、

「そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。

 今でもまだ燃えています」

 詩を綴るように、口にする。

「……えっ?」

 彼女が口ずさんだのは、『よだかの星』の一節だ。

「水原君の心の中に、彼女は生き続けているんだ。星野揚羽は幸せ者だね」

 茜は冬の日に舞う蝶のように儚い笑みを浮かべた。

「ところで今の話なんだけど、宝箱が入ってた袋には他に何か入ってなかったの?」

「えっ? ……ううん、何も入ってなかったはず」

 質問の意図が掴めないまま、透流は先日押し入れから出した時のことを思い出す。

 七年前からしまい込まれていた袋には宝箱以外の物は何も入っていない。

「……そう。分かった。今日は本当にありがとう。あと、ごめんなさい。水原君の想い出を汚すようなことを言ってしまって。わたしの知っている星野揚羽とあなたが見ていた彼女は、少しだけ違うのかも知れないね」

「僕も、つい感情的になった。ごめん」

 それから、茜を駅まで送っていく。

「明日は大学に付き合ってくれない? ちょっと図書館で調べたいことがあるの」

 車から降りるときに、茜が誘う。

 待ち合わせの時間と場所を決めて、

「じゃあ、また明日」

 日曜日とあって駅までの送迎のための車は多い。茜の後ろ姿を見送りたかったが、その場に停まっているわけにもいかず、やむなく車を発進させる。

 久しぶりの運転で、ずっと緊張していたせいだろうか。バイトを終えて帰宅してからも茜のことを考えると、心が落ち着くことはなかった。

 横になると、すぐに睡魔が訪れる。

 日課となっていた茜へのメールもできないまま、透流は眠ってしまった。


 二月一八日(日)

 何から書けばいいだろう。

 彼の家に遊びに行った。お父さんに会えなかったのは残念だけど、お母さんと晴陽ちゃんに会うことができた。

 あの日以来、彼の家族の沈んだ顔しか見てこなかった。

 大好きなあの人たちの笑顔を、日常を、わたしは久しぶりに見ることができた。

 それは、とても嬉しいことだ。

 晴陽ちゃんとも、すぐに仲良くなれた。

 やっぱり、猫が好きなのは、変わらないみたいだ。

 水原家で過ごす時間は、とても楽しかった。


 ただ、帰りに中学を見てみたくなったのは、なぜだったんだろう。

 わたしの知らない、今の彼のことを知りたくなったのだろうか。

 自分の衝動が、よく分からない。

 結果的に、彼を傷つけてしまった。

 たとえ、わたしがあの頃の星野揚羽を好きでなかったとしても、でも彼女自身を否定すべきでないことは、わたし自身、とてもよく理解しているつもりだった。

 今でも、わたしは彼女なのだから。

 わたしは弱い。弱いままでいる。


 叶うなら 互いの心を 覗き見たい 頭開いて 胸を開いて

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