第12話 彩日(8)
彼女が望んだとおり、白銀神社まで戻る。
先ほどは横に見るだけだった通りを曲がり、神社へと向かって歩いて行く。
空を見上げれば、冬の星座が澄んだ空気に燦然と輝く。
今宵は新月。月の姿は見えない。
およそ二週間後に行なわれる白銀祭りの夜は、満月に近い月が見えることだろう。
「今年の銀月の夜は、きっと月が綺麗だね」
その様子を思い浮かべて、透流は独りごちた。
白銀祭りの夜、即ち銀月の夜は月齢、天気に関わらず銀色の円い月が輝くという言い伝えがある。
伝承は伝承に過ぎず、満月でないことが多いのだが、不思議と晴れると言う。
「七年前は覚えてないけど、その前は半月だったかな。すごく綺麗だった気がする」
「前回の祭りは、三日月だった」
茜は補足すると、
「水原君、銀月の夜に輝くのは月じゃないらしいよ」
「どういうこと?」
「白銀祭りの由来は知ってる?」
「それくらいは」
石畳を歩きながら、透流たちは大きな石造りの鳥居の手前へと至る。
普段は夜になると、そこから先は進入することができない。
そこで立ち止まると、石のベンチに身を寄せ合うように二人で腰掛ける。
白銀祭りは、白銀と黄蝶というひと組の男女の鎮魂を目的としている。
かつて、宗宮の地に白銀という青年と、黄蝶という娘がいた。
二人は互いに惹かれ合っていたが、悲しいことに白銀の身分は低かった。
黄蝶は地元の有力者の娘で、彼女と白銀の恋を一族は面白く思わない。万が一、二人の間に子供ができたら次の跡取りになるかも知れない。
結局、白銀はだまし討ちのような形で黄蝶の一族に殺される。
それが二月晦日の深夜のことだった。
嘆き悲しんだ黄蝶は一匹の蝶に姿を変え、姿を消した。
やがて、白銀を殺した者たちに災いが降りかかり、主立った者はみな死んでしまい、じきに黄蝶の一族の血は絶えてしまった。
そして、七年が経つ。
いつしか七つくらいの男子が黄蝶が暮らしていた家に現れ、暮らすようになった。
彼の周りには、一匹の蜘蛛と黄色い蝶がいつも飛んでいた。
誰ともなく、蜘蛛と蝶は白銀と黄蝶の生まれ変わりだと言われるようになる。
少年は長じて、白銀と黄蝶の魂を弔うべく神社を建立した。
その霊験はあらたかで、二人の鎮魂を七年ごとに行なう限り、宗宮の地は災いから守られると伝えられている。
以後、七年に一度ずつ、祭りが行なわれる二月晦日の深夜に今でも蜘蛛と蝶は姿を現わすという。
特に黄蝶の化身である蝶はソウミヤチョウと呼ばれ、市のシンボルとなっている。
透流が語った話に茜は相づちを打つ。そして、
「黄蝶が姿を消したのは池に身を投げたからだという言い伝えがあるの」
「身を投げた」
透流の知っている話では姿を消したというだけだ。それが言外に《死》を意味しているということは分かる。ただ、池に身を投げたという話は初耳だ。
「池の名は鏡池。お祭りの夜には、その鏡池が満月のように輝く。だから、どのような月の形をしていても銀月の夜と言うんだって」
「その池はどこにあるの?」
平常、白銀神社は参拝客もそれほど多くない閑静な社だ。
透流も何度か訪れたことはあるが、そのような池は知らない。
「今では、もう場所は分からないみたい。水原君、銀月の夜には奇跡が起こると聞いたことはある?」
「うん」
ただ、その《奇跡》が具体的にどのようなものなのか、知る人はもちろんいなくて、単に恋愛や仕事、学業に御利益があるという一般的な《奇跡》として伝わっている。
白銀と黄蝶は悲恋に終わったのに、いや、終わったからこそ恋愛成就なのだろう。
「わたしは、その《奇跡》を知っている」
茜は、躊躇うことなく口にした。
「もう会うことのできないはずの人たち、もう二度と交わるはずのない人たちが再び、僅かな間だけ巡り合う奇跡。それが、この白銀神社で銀月の夜にだけ起こる奇跡」
彼女の瞳は、真剣だった。
酔いはまだ醒めていないのか紅の差した頬のまま、しかし眼差しは揺らぐことなく、夜の闇の中で透流をしっかりと見つめていた。
透流は「うん」と頷くことがやっとだった。
彼女の言葉は、おとぎ話にしては荒唐無稽で、信じるにしては滑稽で、でも笑い飛ばすにしては、あまりにロマンチックだった。
天に月が、地に池が、銀色が、真円を描き輝いている。
その幻光に照らされて、離れ離れになった者たちが鏡池を境にして再び向き合い、微笑み合う。
そんな奇跡だ。
透流は、自らの隣に座る人を見る。
今宵は新月。月の光はない。
町の灯りも乏しく、すぐ傍にいる茜の顔もぼんやりとしか見ることはできない。
それでも、もう会えるはずのない《彼女》と面影のよく似た高木茜という女性が、透流の傍らに座っている。
この瞬間は、茜の語る《奇跡》を夢見たいと思った。
「今度、また水原君の好きだった人の話を聞かせて」
「うん。話すから。僕の大切だった女の子の話を」
「楽しみにしてる」
自分が好意を寄せる女性が、自分がかつて好きだった人の話を聞きたがる。
真意は分からないが、なぜか不安にはならなかった。
「寒くなってきたね」
「さすがに」
「帰る前に、これを渡さなきゃ」
茜は今日一日、ずっと持っていた手提げ袋を透流に差し出す。
「バレンタインのチョコだよ。どういうタイミングで渡せばいいか、なんかずっと迷っちゃって。……もしかして、気になってた?」
「正直」
「忘れて、持って帰るところだった」
「……渡してくれて、ありがとう。開けても良いかな」
プレゼントを目の前で開封することは礼儀に反するだろうか。
でも、一刻も早く中を見たい。中身を確かめたときの反応を茜に見て欲しい。
「うん」と茜が答えるのを確認して、透流は丁寧に包装された小箱から慎重にテープを剥がす。さらに蓋を開けると小さなチョコレートが一ダース、綺麗に並んでいる。
「……ありがとう」
感極まった声で、それだけを告げる。
「おいしいことは保証する。きっと気に入ると思う。とろけるような口当たりで甘さ控え目だから」
茜は自信たっぷりだ。
「……ありがとう」
本当に、ありがとう。
透流は繰り返して、一つを口に入れる。茜が言う通り甘さ控え目で、舌の上で蕩けるように消えてなくなってしまった。
帰宅後、もう一つを口に入れる。残りは一〇個。一日一つ食べていると、二週間も経たずになくなってしまう。
……大切に仕舞っておこう。そう決めて、机の引き出しに入れる。
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