第8話 彩日(4)

 二月一一日(日)、建国記念の日。

 朝から晴陽と遊んでいた。

 四歳児の体力は無尽蔵だ。駆け回って、かくれんぼをして、お馬さんでハイハイをする。最近はすっかり重くなってきて、四つん這いは腰に負担が掛かる。

 昼が過ぎると、二人ともすっかりくたびれてしまい、晴陽は昼寝タイムに入る。

 透流も一休みした後、まだ眠っている妹の布団を直してから自室に戻る。

 昨日の夜に届いた、茜からの返信メールを何度も見直しては頬が緩む。

 それから、ふと思い出して押し入れの奥から箱を取り出す。

 何年ぶりかに目にするそれは、記憶の中にある姿よりも小さく思えた。

 両の掌の上に載る大きさ、プラスチック製の安っぽい造りのおもちゃの宝箱だ。

 開かないと分かっていても、透流は蓋を動かしてみる。

 遊び部分が動くものの、それだけだ。正面には鍵の差し込み口があるが、その鍵を透流は持っていない。所在も分からない。

 箱を振ると中でかさかさと音がする。

 何かが入っていることは間違いない。だが、何が入っているのか。

 重い物ではなく、おそらく紙だと見当をつけているが、真実は分からない。

 いっそ壊してしまえば、分かるのだろうが。

 それもまた透流は選ぶことができないまま、七年が経っている。


 白銀祭り。

 七年に一度、二月最後の日に行なわれる、宗宮市にとって特別な祭りだ。

 市内の中心近くに鎮座する白銀神社には、白銀と黄蝶というひと組の男女に纏わる悲恋が伝わっている。

 その二人が祀られているのが白銀神社だ。市の中心部にありながら、社の裏には深閑とした山がそびえ、市民からは神聖な場所と畏れられ、また『白銀さん』と呼ばれて、親しまれている。

 彼らが命を落としたとされる二月晦日、その夜は銀月の夜と呼び習わされ、二人の鎮魂を目的として盛大に、そして粛々と祭りは執り行なわれる。

 七年に一度しか行なわれないため、その賑わいは初詣の比ではなく、市を挙げての一大イベントとなる。

 もっとも、これまでの祭りは透流の記憶にはあまり残っていない。

 二一歳の透流は生まれた年に祭りがあった。もちろん何も覚えていない。七歳の時は両親と神社に行き、凄い人出と熱気だったことだけは頭の片隅に残っている。

 そして、一四歳。中学二年生の時。周囲では誰と行くかが話題だった。早熟なクラスメイトは、既に男女の仲に積極的な者もいて、いや、そうでなくても、誰が誰を好き、というのは話のネタの一つだった。

 祭りの準備が始まる二月初めには、誰と行くかというのは皆の興味の中心になる。

 透流には関係のない話だったが。特に仲の良い友人もなく、また家族と行くことになるだろうと思っていたくらいだ。

 いや、それは正確ではない。

 もし、行くことができれば、それが現実的ではないと分かった上で漠然と頭の中に思い浮かべていた相手が、一人いた。

 ――星野揚羽。

 透流のクラスメイトで、密かに気になっていた少女だ。

 それが、恋愛感情であったかどうか、今となっても透流には判断がつかない。

 ただ、その他のクラスメイトとは違う特別な存在であったことは間違いない。

 もし、白銀祭りに行くとすれば、揚羽と。

 しかし、透流のその願いが成就することはなかった。

 それどころか、七年前の二月二八日は彼女の命日となってしまった。

 茜は、その揚羽に似ている。

 しゃべり方や性格はあまり似ていない。揚羽は口数が少なくて大人しかった。

 ただ、顔立ちがそっくりだ。

 一四歳の少女と二一歳の女性という違いはあるが、成長した揚羽はきっと、こんな容姿だろうという様をありありと思い浮かべることができる。

 そして、ふとした時に見せる表情が、言葉では上手く言い表せない彼女の感性が、自分の記憶にある揚羽とよく似ている。

 もちろん揚羽が既に亡くなっていることを差し引いても、まったく同じというわけもなく、別人だという認識は持っている。

 それでも、赤の他人とも思えない。

 きょうだいはいないと言っていたが、本当は双子だということはないだろうか。

 ……と、一人で考えていても答えも出ないし、ろくなことはない。

 透流はもう一度、手元にあるおもちゃの宝箱を手に取る。

 七年前の白銀祭りの当日、いつの間にか自宅の玄関先に置かれていたもので、落とし物なのか、贈り物なのか。本来の持ち主は誰なのか。

 一切、不明のままだ。

 以来、透流はこうしてずっと部屋の押し入れの奥にしまっている。

 大掃除の時など捨てる機会はいくらでもあったはずだが、誰かの大切な思いが詰まっているような気がして、捨てられずにいる。

 だって、宝箱だ。いくらおもちゃでも、そこに詰められたものは誰かにとってかけがえのないものに違いない。

 茜に出会い、この箱の存在をふと思い出したのは、透流が心の片隅で贈り主が揚羽なのかも知れないと考えているからだろう。

 それは何の根拠もない、ただの願望だ。

 だから、壊してまで開けることはできないでいる。答えを知ることが怖いのだ。

 そのまま、少し部屋の片付けをする。

 大学の授業で使うテキストは、種類も多く一冊ずつが分厚くて場所を取る。もう、三年生も終わる。使う予定のないものは、少し早いが仕舞い始めよう。

 そんなことを夕飯までしてから、アルバイトへと向かった。


 就寝前。スマホを前に、透流は悩んでいた。

 茜にメールを送りたい。しかし、特に用事もないのに送っても良いものだろうか。

 迷惑に思われたら、しつこいと思われたらと考えてしまうと躊躇する。

 いや、明日の予定を確かめるだけだ。信用してないと思われたら、どうしよう。

 堂々巡りだ。

 決して、送らない理由を探しているわけではない。むしろ、透流は送りたいのだ。

『高木さん、今日は何をしてましたか。僕は部屋の片付けをしていました。明日は、一一時に駅前で。楽しみにしています。おやすみなさい』

 絵文字は使った方が良いだろうか。使うとしたら、どれが良いのだろう。

 変換候補を見ると、あまりにも様々だ。

 可愛らしい方が良いのか。でも馴れ馴れしいと思われるかも。

 結局、絵文字を入れることなく、ただそれだけの文章を書くのに、またもや相当の時間と体力を費やした。

 送信ボタンをタッチするのに、さらに時間を使う。

 最後は、えいやとばかりにメールを送ると、返信は早い。

『水原君、部屋は綺麗ぬなりましたか? わたしは片付け我苦手で、いつも怒られています。明日はプラネタリウム、とても楽しみにしてい舛。おやすみなさい』

 片付けは苦手なんだ。明日は、とても楽しみなんだ。良かった。

 ただ、これだけのメールで心が軽くなる。

 不思議なものだと、我ながら思う。


 二月一一日(日)

 こちらからメールしようと思っていたら、先に彼から届き、驚いてしまう。

 同じタイミングで、同じことをしようとしたのだと思うと、とても嬉しい。

 でも、今日何をしていたかは書くことができなかった。

 彼が望むようなことを、わたしはすることができない。

 ただ、狭い部屋でじっとしているだけ。

 ……気持ちを切り替えて、明日を楽しみにしよう。


 三つ星を 並べて数え 瞬いて 恋するだけの プラネタリウム

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