第7話 彩日(3)
その後、茜が歩いて行ける所にあるショッピングモールに行きたいと言うので、一も二もなく賛成する。
郊外にあるモールは、食料品から衣料、靴といったファッション関係の店舗、そしてフードコートなどの飲食店、そしてシネコンが入り、家族連れで賑わっている。地方都市の生命線とも言うべき大型商業施設だ。
「何か欲しいものでも?」
「そういうわけじゃないけど。ウィンドウショッピングは嫌?」
「そもそも、初体験かな」
女性の買い物は、たとえ買うつもりがなくてもとにかく長いという話を聞くが、茜はどうなのだろう。
まずは主に婦人服を扱うブティックを見て廻る。二月に入り店頭には既に春物が並んでいる。白や黄色を基調とした明るい色合いに、薄手のジャケットやカーディガンを目にすると、春の訪れを覚える。外に出れば、まだまだ冬本番で寒いのだけれど。
「何か欲しいものはある?」
値札を見ると決して安くはないが、ここは何かプレゼントするべきなのではないかという思いが、透流の中に芽生える。
そんな透流の心を読み取ったわけでもないだろうが、
「今日は見るだけで、充分楽しいから」
「僕は……ほとんど自分で服は買わないんだよね」
母親が適当に買ってくるものを着ているだけというのがあまり褒められたものではないという自覚はあるが、これまではそれで構わなかった。
「一緒に、見る?」
「じゃあ、ちょっとだけ」
男性向けの店は、女性向けに比べると随分少ない。需要と供給のバランスだろう。
それでも、並んでいる量はそれなりだ。数ある服を適当に見ていると、
「これ、水原君に似合うと思う」
茜が一着の薄手のセーターを手にしている。ワインレッドの、やや派手とも思える色合いだ。自分や母親なら、絶対に選ばないだろう。
「派手じゃない?」
「そんなことない。これくらいの方が、おしゃれだと思う」
「本当に?」
服を体に当てて、鏡の前に立ってみる。なるほど、これまでに見たことのない新しい自分がそこにいた。……と言うと、大げさか。
値札を見ると、先ほど見た女性ものに比べればずっと安い。これなら手持ちのお金でも買える。
「じゃあ、せっかく高木さんが似合うって言ってくれたし、買おうかな」
「……なんか、ごめん」
「謝ることなんかないよ。僕が欲しいから、買うんだ」
レジで会計を済ませて、袋に入れてもらう。それを茜に見せて、
「今度は、これを着てくるから」
彼女が選んでくれたものだ。嫌だと言われても、着てくるに決まっている。
「うん、楽しみにしてる」
その後、ジュエリー売り場を二人で見る。
指輪やネックレス、ペンダント。ダイヤがあしらわれていると安い物でも数万円はする。さすがに手が出ない。
茜も一つ一つを熱心に見ることはなく、眺めている程度だ。
「何か、欲しいものはある?」
一応、聞いてみる。
「今は見るだけ。学生だし」
茜が左の薬指を撫でながら答える。
彼女は目につくようなアクセサリは何も身につけていない。贈ってくれる相手はいないのだろうか。そう思うと、透流にも充分にチャンスはあるのかも知れない。
その白い指に指輪がはまる日は来るだろうか。それを贈るのは、自分でありたい。
一回目のデートでここまで思うのは、さすがに気が早いと思うが、思ってしまうものは仕方がない。
なんだろう、この気持ちは。
自分の思考が茜を中心に廻っている。つい数日前までは、考えも及ばなかった。
そして、どうしたって、こう考えてしまう。
『果たして、彼女は自分のことをどう思ってくれているのだろう』
施設にはペットショップも入っている。用品はもちろん、子猫や子犬が展示され、誰でも見られるようになっている。
夕方も結構遅い時間だが、多くの家族連れ、子供たちで賑わっていた。
まだ本当に小さな猫や犬が一心不乱におもちゃで遊んだり、ころんと横になって眠ったりしている様子は、それはそれは可愛らしいものだ。
「見たい?」
少し離れた所に透流と茜は立っていた。自分でも猫を飼っている彼女ならば、きっと、ああいった子猫も好きに違いない。そう思って尋ねてみたが、
「水原君は? 見たいなら、行くけど」
あまり乗り気ではない反応だ。
「僕も別に良いよ」
「もう遅いし、そろそろ帰ろうか」
夕飯には少し早いが、誘ってもおかしくはない時間だ。
どうしようか一瞬迷ったが、予定もしていなかったし、いきなり店を決めるのは今の透流にはまだ難易度が高い。
家族にも、夕飯のことは何も言っていない。それは、茜も同じだと思う。
二人は手と手がふれ合わないぎりぎりの距離を保ったまま、並んで歩いた。
「気を悪くしないで、聞いて欲しいんだけど」
茜がそんな風に切り出し、思わず何ごとかと身構えてしまう。
「さっきのペットショップ、わたし、どうも苦手」
「苦手?」
「うん。まだちっちゃな犬や猫に値札が付いて売られているのを見ると、どうしても、可愛いって思うより先に悲しくなっちゃう。もし飼い主が見つからなかったら、どうなるんだろうって。勝手な感情だって分かってるけどダメなんだ」
「その気持ち、分かる」
彼らとの出会いは、ほんの一瞬に過ぎない。「可愛い」と数分間眺めて、そして立ち去る。それで、終わり。後のことなど自分が考える必要性はどこにもない。
でも、自分の手が伸びる範囲、自分の目が届く範囲で、小さい者を守りたいという気持ちが芽生えてしまうのは否めないのだ。
それを苦しいと思うなら、最初から見ないという選択肢しかあり得ない。
二月の日没は早い。外に出るとすっかり暗くなっていた。西から吹く風はますます冷たく、晴れているだけに余計に身を切るように感じられる。
「暗いし、心配だから家まで送っていこうか」
バスを待つ間、自然と透流の口から出た言葉に、
「バス降りたら、すぐ家だし、大丈夫。本当に大丈夫だから」
「じゃあ、気を付けて」
しつこくしても嫌がられるだろう。その話はそれで終わらせる。
タイミングが悪いのか、次のバスまで五分以上ある。いや、悪いと言うよりは、透流にとっては良いと言うべきか。
「猫、かわいかった」
「ほんと、可愛かった」
猫カフェでの至福の時間を思い出すと、つい顔がにやける。
もし茜が一緒でなくても、一人でも行きたいくらいだ。もちろん、彼女が隣にいれば、もっとずっと楽しいだろう。
「ペットショップの猫は苦手で、猫カフェの猫は大丈夫な理由はなんだろう。……わたし、勝手なのかな」
「そこに大人の猫がいるか、いないかの違いじゃないかな。子猫は可愛い。でも同時に壊れてしまいそうで怖い。大きくなるまで守られるかどうか、分からない」
「猫カフェだって、本当はそうだよね。でも、最後まで見守れる訳じゃない」
「多分、僕たちは普段、そこまで考えないんだ。僕も、高木さんも」
「そうだね。考えるって難しい。でも、考えることは放棄したくない」
話題が暗くなってしまった。
「モモ、どうしているかな」
こぼれ落ちるように茜が呟く。
「どうかしたの?」
飼い猫ならば、家に帰れば会えるだろう。
「そんなに、会うのが楽しみなんだ」
「えっ……あ、ああ、うん」
照れたように笑うと、
「少しでも離れると、どうしているか心配になるよ。水原君もジンジャーに会えないと、寂しくない?」
「ジンジャー?」
猫カフェでのおしゃべりの中で出た猫の名前だ。そして、テンプラに向かって、茜が呼び掛けたように思えた名前だった。
「あっ、え、……あ、ああ、ごめん。わたしの勘違い」
「……そう?」
誰の猫と勘違いしたのだろう。それが気になってしまい、透流は無口になる。
彼女には他に親しい男性がいるのだろうか。その影を垣間見た気がした。
しかし、確かめる勇気は透流にはなかった。
「神社と言えば、もうすぐ白銀祭りだね」
今月末に行なわれる、宗宮で最大の祭り、それが白銀祭りだ。
「白銀祭り。……あ、うん。そうか、そうだね」
対する茜の口調は、どこか弱々しい。
「高木さんは、誰かと行くの?」
「まだ、分からない」
透流の顔を見る。
「僕も決まってないんだ」
茜の顔を見る。
「その……」
言いかけて、口を噤む。
自分は何を言おうとしたのだろう。ただ、流れで祭りの話題になっただけだ。
それ以上の意味を、持たせてはいけない。
透流は自分に言い聞かせて、
「ごめん、何でもない」
掠れた声で謝罪を口にした。茜もそれ以上は何も言わない。
「高木さん、明後日は空いてる?」
「うん」
彼女が静かに頷く。
「また、連絡するから」
口にしたすぐ後、茜が乗るバスが停まる。駅の方へと向かうバスだ。
彼女の姿が乗降口から、その中へと消えていく。再び、冬の闇に舞う蝶のように。
夜。ベッドに横になり、透流はスマホを取り出す。
茜の電話番号、そして今日教えてもらった、彼女のメアドを繰り返し眺める。
顔を直接見ず、電話で話すことにはまだ抵抗がある。率直に言えば、怖い。
相手の表情が分からないまま話すというのは結構なストレスだ。
決して、彼女と話すことが嫌な訳ではないが、もう少し慣れてからにしたい。茜に同じことを思われることも辛い。
やはり、メールだろう。
彼女の携帯はスマホではないため、SNSはできないそうだ。もっとも、透流もほとんど使ったことがないので、それはそれで助かる。
メールソフトを開く。何と書けば良いか迷い、書いては消し、書いては消しを繰り返した挙げ句、
『今日は、ありがとうございました。とても、楽しかったです。明後日、どこか行きたいところはありますか? 良かったら、プラネタリウムに行きませんか?
また、今日と同じように午前一一時に、駅前で待ち合わせでどうですか?』
時間を掛けて、それだけを送った。
返信が来るまでの時間がとても長く感じられた。
既読無視なる言葉を知識としては知っていた。
そんなことをいちいち気に病まなくてもと他人事のように思っていたが、なるほど、返信を待つというのは、こんなにも辛くて、こんなにも胸が高まるものなのかと透流は初めてその気持ちを知った。
メールの場合は相手が読んだかどうかも分からないのだから、余計にそう思う。
本を読んでいたが、頻繁にスマホを開いてはメールの着信を確認していたので、内容は頭に入ってこなかった。
返事があったのは、一時間ほどしてからだった。
『はい。私の法こそ、今日はあるがとうございました。あさって、了解しましち。よろしく、お願いしみす』
短い文章だった。
話しぶりとは違う硬い文章は新鮮で、しかも変換ミスや誤字が多い。どこか《彼女》を思い出させて、懐かしくもあった。
透流はその一文を、嬉しくて何度も読み返した。
二月一〇日(土)
数え切れないほど何度もデートした。でも、今日は初めてのデートだった。
これほど一日を長く感じたことはなかった。だけど、あっという間だった。
懐かしい、この感じ。……本当に懐かしい。彼と過ごす一日は、いつもこんな感じだったってことを、思い出した。
わたしの知る彼とは、また違って、とても新鮮で、とても楽しい。
その気持ちを上手く、伝えられないのがもどかしい。
でも、それは、いつものことだ。
わたしは、結局、彼に伝えきれなかった。後悔はしたくない。
今日は失敗もしてしまった。
なるべく言葉を選んで、慎重に、間違いがないようにしているつもりだけど。
でも、長年の癖は簡単には抜けない。
ジンジャーのことは、ミスをしてしまった。ごまかせていると良いのだけれど。
それにしても、テンプラには驚いた。
本当にジンジャーにそっくりだ。もしかしたら、本人(本猫?)かも、知れない。
そういう巡り合わせがあっても、素敵だ。それこそ、奇跡だと思う。
写真を撮ってもらうことをためらってしまう。いずれ訪れる日のことを思うと、わたしという証を残すべきか、否か。答えは分からない。
夜にはメールが届く。とても、ぎこちなくて、よそよそしい、でも、考えてくれたんだろうなっていうのが、手に取るように分かる文面。
こんなやり取りは、本当に久しぶり。
わたしも、どうやって返事をするか、とても悩んで、結局は彼と同じように、そっけないメールになってしまった。
分かってくれるだろうか。
それにしても、慣れない携帯のせいでとても使いにくい。読み直したら、何箇所も間違えている。
恥ずかしすぎる。
白銀祭りの話も出た。彼は誘おうとしてくれたのだろう。でも、誘われなかった。
それを口にできなかった彼の思いは推し量るより他にない。
一緒に行きたい。行きたいに決まっている。
でも、今はまだ、その日のことを考えられない。
……思い出したくなんて、なかったのに。
揺さぶられ キラキラ流れ 透き通る 綺麗なものに わたしはなりたい
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