第6話 彩日(2)

 前もってネットで場所や外観も調べていたが、思っていた以上に目的の猫カフェはこぢんまりとしたお店だった。

 住宅街の一角にあり、看板が出ていなければ通り過ぎてしまいそうだ。

「ここでいいんだよね……」

 中はどんな店なのか。ちゃんとした所なのか。少し不安になる。

 茜は気にしていないと言ってくれたが、昼食時の失態に続いてここでもミスをしてしまえば、嫌われるのではないか。そんな恐れが、また湧いてくる。

 だが、茜は慣れているように「早く、入ろう」と扉を開けた。

 まず軽く獣くさい臭いが鼻をつくが、不快と思うほどではなく、すぐに慣れる。

 店舗の入り口は確かに狭いが、明るい店内は清潔感がある。

 物珍し気にきょろきょろと、辺りを見回していると、

「水原君、こっち、こっち」

 茜がてきぱきと受付を済ませて階段へ向かう。一階は受付とグッズ売り場だけで、猫がいるのは二階のようだ。

「猫……、だ」

 思わず、感嘆の声が漏れた。猫が外に出ないように、少しだけ開けた扉から素早く体を滑り込ませると、そこには多くの猫が思い思いに遊んでいた。

「暑いね」

「猫のために暖房が効かせてあるから」

 汗が出てきそうだ。透流も茜も上着を脱ぎ、椅子の上に置く。

 スペース内には、先客が六名。カップルもいれば、親子もいる。子供が嬉しそうに一匹の猫を撫でている。真っ白い猫はおとなしく、されるがままになっている。

「……触って、いいんだよね」

 ごくり、と唾を飲み込んだ。

 部屋の壁には、大きな猫の写真が名前とともに貼ってある。飼われている猫は、全部で十八匹。ただし、その日の体調などにより店には出ていない猫もいる。

 見える範囲には、十三匹がいる。キャットタワーで眠っていたり、お客から餌をもらっていたり、我関せずと高みの見物をしていたり。

「物陰にも隠れてる」

 ソファの下に潜るようにして、焦げ茶色の猫がいる。他にもいるとすれば、もう少し頭数は多いだろうか。その全てに触れることができるのだ。

「どの子にしようか」

「わたしは、この子にする」

 茜が先に、床に楽な姿勢で腰を下ろす。近づいていた三毛猫は、そのまま自ら彼女の膝の上に乗り、静かに撫でられている。ゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえる。

「自分から捕まえるのはダメだけど、乗っかってくる分にはオッケーだから」

「……いいなあ。僕も撫でていい?」

「お腹がたぷたぷで、気持ちいいよ」

 確かにちょっと太り気味で、その分触り甲斐がありそうだ。

 この猫はレモンという雌猫らしい。……見た目と全然、関係ない。

「ぷにぷに」

 思わず、声が出てしまった。なんて柔らかいんだろう。まるでお餅だ。

「モモは痩せてるから、触り心地はいまいちだけど」

「そうだ。写真は?」

「あ、うん、……ごめん。今日も持ってないから。いつか、また」

 透流は、茜の膝の上にいるレモンのお腹を触る。嫌がらずに大人しくしている猫も大したものだ。きっと、猫には日常なのだろう。しばらく、黙って感触を楽しむ。

 透流と茜はレモンのお腹の別々のところを撫でているが、猫は猫、額ほどではないが、お腹もそれほど広いはずもない。

 自然と、手と手がとても近くになる。

 ただでさえ、一匹の猫を挟んで隣り合わせ。

 猫を撫でるのに夢中になっていると、いつの間にか、茜の顔がすぐ傍にある。

 上着を脱いだのに暑いのは、暖房のせいだけではないだろう。

「そう言えば、餌があったはず」

 慌てて、透流は立ち上がる。

 部屋を出てすぐにビニール袋に小分けになった餌が置かれていた。一度、外に出て、深呼吸をする。ついでにフリーの冷たい烏龍茶を紙コップに注いで一気に飲み干すと、ようやく落ち着いた。

 百円玉を小箱に入れて、キャットフードを手に部屋に戻る。

「ほら、レモン」

 意識して茜から少し距離を取った上で、数粒を掌の上に載せてレモンに向けると、ぱくぱくと食べ始める。

 ざらざらとした舌の感触が、確かにくすぐったい。

 レモンは餌がなくなっても、しばらく透流の掌を舐めていたが、もうもらえないと分かると、また茜に甘え始める。

「わたしにも買ってきてくれる? お金は後で払うから」

 膝に抱えていては、立ち上がれないだろう。もう一つ餌を買ってきて、茜に渡す。

 さっそくレモンに与えると、透流からもらっておきながら、茜からの分もぺろりと平らげる。これだけ食べれば、お腹もぽちゃぽちゃになるはずだ。

「写真、撮ってもいいんだよね」

 スマホなどによる撮影は自由となっている。

 茜に抱かれるレモンに、カメラを構える。

「その、高木さんも写していいかな」

「ごめん、えーと、恥ずかしいから無理。猫だけ撮ってくれる? ごめんね」

 仕方ないので、茜の手と膝だけが映り込んだレモンの写真を撮る。

「他の猫も触ってくるよ」

 気まぐれなトラ猫、動かない黒猫、俊敏なぶち猫、猫はそれぞれ個性的で、見ているだけでも飽きない。

 最初に見つけた、ソファの下、その陰に隠れてじっとしている焦げ茶猫が気に掛かる。眠っているわけではなく、こちらを上目遣いで見つめている。

 他の猫に比べて愛想がなく、片耳が折れていていまいち不細工で可愛げがない。

「おいで、おいで」

 餌を見せるが、出てくる気配はない。

「これはどうかな」

 猫じゃらしをソファの下に入れて左右に振ってみるが、ちらりと見るだけだ。

 興味がないわけでもないのだろうが。

「そういうおもちゃは、子猫の時しか遊んでくれないから寂しいよ」

 傍に来た茜が、残念そうに呟く。

 こいつの名前は、と壁の写真を捜すと、テンプラとある。

「……お前、天ぷらなのか?」

 名前の由来は謎だ。

「テンプラ? お寺で拾われたのかも」

「どういうこと?」

「お寺だから、テンプル」

「ダジャレ?」

「そう、ダジャレ」

 茜が堂々と胸を張った。

「じゃあ、神社で拾ったらジンジャーかな」

「…………っ、きっと、そうかも、ね」

「高木さんの家の猫はモモだったよね。川で拾ったの?」

「どうして?」

「桃だから、川で拾うでしょう」

「やっぱり、水原君だ」

 彼女が、また柔らかな笑顔を見せる。

 自分の言ったことで楽しんでくれた。笑ってくれた。それが、嬉しい。

「そのテンプラが、どうかしたの?」

「なんか気になるんだ。暗いところでじっとしているし。元気がないのかな」

「猫は眠るのが仕事だから。寝る子で、猫と言うくらいだし」

「そうかも知れないけど。……ほっておけなくて」

 独りぼっちの境遇に勝手に共感しているだけだと言われれば、それまでだ。

「猫にも色んな子がいるから。それは猫の個性。気になるのは分かるし、放っておけないのは、水原君の優しさだと思う。でも、急いだらダメだよ」

「そう……だね。また今度な、テンプラ」

 覗き込んで手を振ると、ちらりとだけこちらを向いて、また丸まってしまった。

「どんな猫? わたしにも見せて」

 それまで透流がずっと前に立っていたせいで、茜はテンプラを直接見ていない。透流と同じようにしゃがみ込んだ茜は猫と目が合うと、そのまま動かない。

「……ジン、ジャー?」と彼女は確かに、そう呟いた。

「うん?」

「い、いえ、なんでも、ないから。気のせい、だと思う」

 起き上がった後の茜の表情は、今にも泣きそうに見えた。

「本当に大丈夫? どうかしたの?」

「多分、毛のせい、だと思う。くしゃみが出そう」

 言ったすぐに「くちゅん」と無理矢理かみ殺したようなくしゃみをした。

「猫アレルギー?」

「そういう、わけでも、ないんだけど」

 気を取り直したのか、茜は先ほどまでの笑顔に戻る。

「ゆっくりと仲良くなろう。きっと、大丈夫」

 テンプラのことを言ったのだろう。

 しかし、その言葉はまるで、透流と茜、二人のことを指しているようにも思えた。

《彼女》とも、そうして関係を築いた、あるいは築こうとしたのではなかったか。

 つい、テンプラに《彼女》の面影を重ねてしまったのかも知れない。

《彼女》を思い出すのは、何よりもその面影が色濃い隣の茜のせいだろう。

 夕方になり、名残惜しいが猫カフェを出る。結局、滞在は二時間をオーバーして、追加料金を払うことになった。満足度に比べれば大した金額ではない。

「他の猫カフェは、どんな風なんだろう」

「鳴海に出れば、まだたくさんあるよ。本当に、色々と」

 鳴海市は、宗宮市から電車で二〇分ほどの所にある隣県の日本三大都市の一つだ。商業の中心で、透流の周りでも買い物などは鳴海まで出る者が多い。

 デートスポットも、鳴海の方がずっと多い。ショッピングや動物園、水族館などいずれは、茜と遊びに行けたら良いなと思う。

「行ってみたいね」

「……うん。行きたい」

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