継ぐ者

 退屈な会議を抜け出し、バルコニーで風に当たっていたレオン・ボイド・ウェーザーは、むっと眉をひそめて口元をひきつらせた。

 学舎へと続く渡り廊下に少年たちの歓声が響く。いいぞ、やれとはやしたてられ、騒ぎの中心の二人がつかみ合い拳を振り上げた。力は互角か、いや、目立つ金髪の少年の方が、体勢を崩したもう一方に馬乗りになり、執拗に殴りつけている。

 見なかったことにしようと目をそらした先では、植込みの陰に隠れて戯れる少年と少女。きれいな顔立ちの少年は慣れた手つきで少女を抱き寄せ、髪に、頬にくちづける。

 レオンは頭を抱えた。

 少しは成長したかと思ったが、相変わらず兄のカインは喧嘩に明け暮れ、弟のアレンは色恋沙汰にうつつを抜かす。

「まったく、誰に似たんだか」

 レオンがため息をつくと、親友である近衛隊長ハロルド・ノイエンが笑いながら答えた。

「間違いなく、あなたですよ。二人とも、若い頃のあなたにそっくりだ」

「殴られた小僧も、キスされた娘も、おまえの子じゃないか、ハル?」

 ハロルドはあわてて柵から身を乗り出し、目を凝らした。

「あの、馬鹿王子ども!」

「悪かったな、俺に似ていて」

 レオンはふんと鼻を鳴らして会議室に戻る。ハロルドも舌打ちして後を追った。

「なあ、ハル。次の巡察に、二人を連れていこうと思うんだが」

「いいんじゃないですか。あなたが十二の頃には、すでに戦場を駆け回っていたでしょう」

「ふむ」

 王子として、ウェーザーの現状を学ばせることは必要だと思う。だが、できることなら危険にさらしたくはなかった。

 レオンは憂鬱そうにため息をつく。

 夕食の時に王子たちに巡察の同行を命じると、案の定カインは腕が試せると喜び、アレンは泣きそうな顔でうつむいた。

「ああ、その……カイン。おまえは出発までに、髪を染めておきなさい」

「え?」

 今になって、なぜ。ようやく他人と違う容姿を気にしなくなってきたのに。

 カインの気持ちを慮り、アレンは自分が染めると申し出たが、即座に却下された。

「目立たせてどうする。染めるのはカインだ。いいね」

 父の言葉には逆らえず、それきりカインは口を閉ざし、誰とも視線を合わそうとしなかった。

 出立の時に、アレンはおずおずとカインのシャツの背をつかんだ。

「ねえ、カイン。僕から離れないでね?」

「……」

 返事はない。

 双子の王子の心を映したような暗い空、風さえ重く感じる。

 西へ続く大街道を行軍し、国境に到着したのは夕暮れ時。レオンの巡察隊は砦からぐるりと周辺を一望した。

「ウェーザーと違い、山岳地帯の多いシラーは農耕に適さなくてね。このアリーセ平原がほしくて仕方がない。だが、ここを奪われると、ウェーザーの防衛線は崩れてしまう。なんとしても守らなければならないんだ」

 黒い雲と夕日が混ざり、なんとも不気味な空色。広がる草原がさざ波のように揺れる。その向こうの鬱蒼とした森では、シラー軍が狙いを定めているのだろうか。

「二人とも、どうした?」

 レオンの講釈などまるで上の空で、カインとアレンは何かつぶやいている。両目を見開き、顔面は蒼白、全身を戦慄かせ、ついにカインが剣を抜いた。

「来るな……来るなっ!」

「うわああああっ!」

 突然の王子たちの乱心に、一同は騒然とする。レオンは驚き、はっと空を仰いだ。

「おまえたち、あれが見えるのか!」

 禍々しい空に飛び交うのは、おびただしい数の怨念。長い戦乱の中で命を落とした者たちが恨みつらみを撒き散らす。その光景はおぞましく、子供たちを恐怖に陥れた。

「二人とも、落ち着け! ちくしょう、まさか、おまえたちに見る力があっただなんて……!」

 レオンは押さえつけるようにして双子を抱きしめる。直後に、草原からいくつもの火柱が上がった。吹き抜ける疾風がさらに炎を強め、全てを飲み込む勢いで燃え広がる。

 これが、二人の力。レオンと同等か、それ以上だ。

「ハル! 二人を頼む!」

 子供たちを親友に託し、レオンは天に向かって魔法陣を描いた。すべらかに動く指先から光がこぼれる。

「ウェーザーの十二の精霊たちより水を司る者、風を司る者、慈雨をもって業火を鎮め、迷える魂を祓いたまえ!」

 全身全霊を込めた祈りに応えて雨雲が集まり、涼風が邪気を吹き飛ばす。

 レオンの力が勝ったのか、双子の力が尽きたのか、ようやく消し止めた時には、兵士たちの目は畏怖と嫌悪の色に変わっていた。

 立つこともままならず、ハロルドの肩を借りて医務室に向かう。ベッドに寝かされた愛し子を見つめ、ため息をついた。

「知らなかったんだ。今まで、そんな素振りを見せなかったから」

 代々ウェーザー王家に伝わるひとならざる力。正統な王位継承者の証だが、この場合は。産まれた時から不吉だと言われた金髪金瞳のカインが、ますます忌み嫌われはしないだろうか。

 やわらかな髪を撫でてやる。ただ兄弟仲良く、幸せになってほしいと願うだけなのに。

「……父上」

 先に目を覚ましたアレンが、大きな瞳を潤ませた。

「父上……取り乱して申し訳ありません……」

 平和な王都で育った王子たちは、その暮らしが無数の犠牲の上に成り立つことを知らなかった。国のため、愛するもののために散った命。あるいは、戦いたくなどなかったかもしれない。どれほど悲しくて、どれほど悔しかっただろう。彼らの気持ちを想うと、涙が止まらなかった。

「……いつから見えていた?」

「わかりません。言葉を覚えたころには、すでに……はじめは失くしものの場所や、明日の天気を教えてもらっていたのですが……それが他の者には気味の悪いことなのだと知り、カインと黙っていようと決めたのです」

 なるほど、とレオンはうなずく。勘のいい子たちだとは思っていた。とくにアレンは年のわりに落ち着きがあり、穏やかにほほ笑みながらもどこか冷めているところがあった。

「城で僕たちに話しかけてくる精霊は優しくて、あんな恐ろしい悪霊が存在していたなんて……」

「人間だって、優しいものが怒り悲しみ、ひとを呪うこともあるだろう。同じだよ。王たるもの、良い念にも悪い念にも心を傾けなければならない。だが、それらに流されてはいけない。強い意志を持ち、公平で、公正に民を導くんだ」

 こんな話をするのは、もっと先のことと思っていたのに。いや、教えてやらねばと思っていたのだから、ちょうどよかったのだ。

 頬を伝う涙を拭ってやり、レオンはふと笑って肩をすくめた。

「この程度で驚き惑うようでは、まだまだ王位は譲れないな」

 それまで眠っていると思っていたカインが、もぞりと起き上がる。きっとつり上げた金瞳が、激しい怒りを込めて父と弟を睨みつけた。

「やっぱり、父上はアレンを……」

 震える声でつぶやき、部屋を飛び出す。

「いけない! 父上、早くカインを追って!」

「あ、ああ」

 レオンは急いで後を追った。

 すでに夜も更け、みな明日に備えて寝静まっている。兵舎の間を駆け抜ける影を、見張り兵があわてて呼び止めた。

「どうなさったんです、アレン様?」

 影は苛立たしげに彼らを睨みつけ、そのまま闇に消えていった。

(ちくしょう……!)

 父上は、アレンに王位を譲る気なんだ。だからオレに髪を染めろと言って、アレンの身代わりを……オレが忌み子だから!

 悔しさのあまり涙がこみ上げる。

 どこをどう走ったのか、広い湖にたどり着いた。アリーセ平原を潤す水がめは、今は夜の闇を吸い込み深く深く心を沈める。

 湖面が揺れ、映る姿がぐにゃりと歪み、まるで半身があざ笑っているように見えた。

 おまえなどが、王になれるはずがない。

 誰にも認められない、嫌われ者の忌み子。

(ちくしょう……)

 ざぶりと湖に頭を突っ込む。息が苦しくなるまで堪え、それから顔を上げた。髪を染めていた染料が溶け落ち、新品の軍服を汚す。濡れた金髪が月明かりを受けて淡い光を放った。

『その髪、ウェーザーの第一王子だな!』

 がさりと背後の藪が揺れ、現れたのは黒装束の男たち。

「しまっ……!」

 目の前に白刃が煌めくのが見えた。次に、鈍い衝撃が全身に響き、かっと胸が熱くなる。力が抜け、崩れるように倒れた。

「カイン!」

 遠のく意識の向こうに、父の呼ぶ声が聞こえる。

 幾度か金属のぶつかる音と怒声が飛び交い、やがて静寂が戻ると、力強い腕に抱きしめられ、頬に落ちる何かを感じた。

 それは温かくて、悲しくて、父の言いつけを守らなかったことをひどく後悔した。

「……ん」

 まぶたを通過する強い光が色素の薄い瞳を刺激する。眩しさに耐えられず寝返りを打とうとして、全身に激痛が走った。

「まだ、動くのは無理だよ」

 枕元に立ち影を作るのは、目を真っ赤に腫らした弟。ずっと寝ていないのか、泣いていたのか、それとも両方か。ひどい顔だ。

「僕から離れないでって言ったのに」

「……」

 ゆっくりと周囲を確認する。見慣れた寝室、どうやら王都に戻っているらしい。何があったのか、ぼんやりとする記憶をたどり、カインはアレンから視線をそらした。

 アレンはむっと頬をふくらませ、カインの隣にもぐり込む。

「い、痛い、痛い! さわるな!」

 抵抗しようとしても、押し返す力すらない。

 アレンはふわりとカインを抱きしめた。鼻先をくすぐるやわらかい髪、慣れた匂いに心が安らぐ。二つの呼吸が重なる。

「あは……思ってたより、ずっとひどい怪我だったんだね」

「アレン……?」

 胸を押さえてうずくまるアレンの顔が青ざめ、息が乱れる。一方で、指先を動かすことさえ困難だったカインの痛みが軽減していた。

「アレン、まさか……?」

「ん……だって、僕たちは、二人で一つだもん。嫌なこと、苦しいことも、半分ずつだよ」

 無理に笑うアレンを抱きしめる。

 なんて、愚かだったのだろう。

 つまらぬ嫉妬と猜疑のせいで傷を負い、その苦痛をアレンにまで押し付けてしまった。生まれる前から隣にいた、誰よりも大切で、愛しい半身に。

「ごめん、アレン。ごめん……」

 どうすれば、ひとを恨んだり、妬んだりせずにいられるのだろう。こんな小さな器では、父の後を継げないのも当然だ。王になどなれなくてもいい、強く、優しくなりたい。

 様子を見守っていた父王レオンが、にっこり笑いながら部屋に入ってきた。

「父上……どうしたんですか、その顔?」

「エリシアに殴られたんだよ。おまえたちを危険なめに合わせたってね」

 俺も命がけだったのにとぼやきながら撫でた左の頬が、ひどく変形している。本来ならば指先一つで治せるはずだが、まだ治癒の魔法を使えるほど回復していないらしい。

「二人とも、腕を出してごらん」

 レオンは子供たちの腕に、紅い花をしぼった染料で精霊文字を書き込んだ。

「きちんと使えるようになるまで、力を封じておくよ。よく勉強して、正しく使えるようになりなさい」

 双子は不思議な文字をしげしげと見つめる。こすっても消えない。ほのかに、父の気配を感じた。

「俺も、子供の頃はよく力を暴走させて、周りに迷惑をかけていた。こんな力、なければいいのにと思っていたよ」

 完璧な父がまさか……カインとアレンは思わず顔を見合わせた。

 それはまるで鏡のようによく似ているのに、性格はまるで違う。良いところ、悪いところ、互いに補えるように。

「俺には、おまえたちどちらかなんて選べないよ。二人でよく話し合って、助け合って、民意をよく聞き、どうやって国を治めるか決めなさい」

 双子の王子はそろって「はい」とよい返事をした。

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