王と王妃
五百年以上続くウェーザー王国にはかつて二人の名君がいた。
一人は武をもって近隣諸国を併合し、領土を広げたレオン・ボイド・ウェーザー。海のないウェーザーに北海を支配するトマ一族を取り込み、海軍として起用したことで外洋との交易が可能となった。
もう一人はその子アレン・トマ・ウェーザー。智をもって諸国と堅い和平の盟約を結び、西の大国シラーの王女を妃に迎えたことで、長きにわたる戦乱の世に終止符を打った。
ともに民を愛し、国を富ませた名君である。
さて、その血を継ぐ現国王フラン・ヨエル・ウェーザーは、ゆったりとソファーに寝そべり、退屈そうにグラスの底に残ったワインを揺らしていた。
歴代の王と同じく端麗な容姿ではあるが、その顔色はひどく悪く、気怠げで、どうにも覇気がない。
夜も更け、そろそろ夜会が終わろうかという時に、ふとフランはほほ笑んだ。
「へえ……運命の乙女が見つかったのですね」
退室しかけた貴婦人はドレスの裾を踏み、楽士は音をはずし、小間使いは積み上げた皿を滑り落とす。欠伸を堪えていた大臣は目を覚まし、近衛隊は槍を落として国王に注目した。
「西の国境の街……アリーセですね。ああ、本当に予言通り黒髪に碧色の瞳。小柄で愛らしい方です」
フランは楽しげにグラスの中を覗き込む。だがそこにはぬるくなった赤い液体が少し。夢でも見ているのかと、みな怪訝な顔で様子をうかがった。
「ふふ、詳しいことはスーク・ラヴィラに聞くといいですよ。ねえ、アナベル?」
しかし、向かいのソファーで身を起こした王妃アナベル・ヴァッシュの表情は険しい。ドレスの端を握る手が震えている。
「……何のことでございましょう」
苛立たしげに白金色の髪をかき上げ、きっとフランを睨みつけた。
フランはやれやれと肩をすくめる。
落ち着かないのは大臣たちだ。至急、会議を開かねばと騒々しい。酔いなどすっかり醒めてしまった。
「まあ、そんなにあわてなくても」
フランがたしなめると、彼らはますます目をつり上げて詰め寄った。
「何を呑気な! 黄金の王が運命の乙女と戻られたなら、陛下は譲位せねばならんのですぞ!」
「たとえ賢王アレン様の御言葉とはいえ、今さらあんな化物に……!」
「貴殿、それは口が過ぎるぞ!」
まったく、そんな大声を出さなくても聞こえるのに。これだから老人どもは。フランはうんざりと耳をふさいだ。
現国王を支持するもの、別の王を擁立したいもの、王政を廃止したいもの、長い歴史の中でそれぞれの思惑が交錯する。彼らは己が利権のためにあれこれと思案した。
その様子を冷ややかに見ていたアナベルは、おもしろくなさそうに立ち上がる。
「気分がすぐれませんので、お先に失礼します」
フランと視線を合わせることもなく言い捨て、呼び鈴を鳴らした。すぐに侍女と私兵が駆けつけ、目立ちはじめた王妃の腹を守りながらゆっくりと扉に向かう。
「……大事になさい」
返事はない。アナベルの心は遠く国境の街アリーセへ、あの美しい黄金の王の元へと想いを馳せる。今、隣に見知らぬ女がいると思うと、はらわたが煮えくり返って仕方なかった。
「……アナベル、もし黄金の王に王位をお返ししたら、私は東の別邸あたりでのんびりしようと思います。アナベル、君はどうしますか」
王妃はゆっくり振り返り、抑揚のない声で答えた。
「……御心のままに」
不要となった腹の子とともに離縁を言い渡されるなら、それでよし。もとより心無い婚姻、想い人に近付くためだけに受けたのだから、こちらとしてもありがたい。
フランはほほ笑み、そしてため息をついた。
「まったく、成り上がり貴族の娘のくせになんて生意気なんだ」
目くじらを立てて毒づくのは近衛隊長ニコラス・ノイエンだ。ウェーザー王家とともに五百年続く名家の当主には、なぜあのような容姿しか取り柄のない小娘が良いのか理解できない。
「彼女を悪く言うのはやめてください。こう見えて、私は心から彼女を愛しているのですから」
ニコラス・ノイエンはやれやれと肩をすくめた。
「できることなら彼女と子と三人で、のんびりと暮らしたいのですが」
顔色の悪い国王は咳き込み、もう一度大きくため息をついた。
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