Episode23 【N】の烙印

頭の中を裂くような耳鳴りに耐えきれずに、その場に膝をつき頭を抱え込む。

そんな私を見物するように頭上から眺める人物。

深くフードを被っており顔は見えない。細身の身体に艶のある革製の衣類を纏い、手にはグローブをはめている。


「お前の相棒はどこにいる」

私を見下ろし、低い声で語りかける。

それは感情のこもっていないジャヌの口調に酷似している。


「ニーデか?」

突然のジャヌの声に、その人物は顔を上げた。


「久しぶりだ」

顔を上げジャヌを見る。

同時に、切り裂くような耳鳴りが止んだ。


「なにも変わっていないようだ」


私の横を抜け、ジャヌへと近寄った。

眼前まで顔を近づけ、睨みを利かせるように深々とジャヌの目を見る。


「お前の探しているものはここには無い」


それを聞き、ジャヌはうすら笑みを浮かべ鼻で笑った。

「お前も変わってないな。 相変わらずの変態だ。 人の考えを読んでなにが楽しいんだ? 気持ち悪いだけだ。 寒気がするよ」

「それを言う資格が、お前にあるとは思えないが」

「脳みそが沸騰してるのか? 自分の方が上だと思ってるのか? とんだ勘違い野郎だ」


お互い一歩も引かずに食ってかかる。

ふたりのやり取りは終わりがないように思える。

よくもこれほど反論の言葉が出てくるものだと、関心するところもある。

だが、互いに罵り合うだけでは話が進むわけもない。

子供の口喧嘩と同じだ。


「だいたい、いきなり現れて気味が悪いんだよ。 お前は……」

「やめろ、やめろ。 いつまで言い争う気だよ。 この男はなんだ? どうなってる? ……いや、それは後だ。探してるものがないならここにいる意味がない。 早く離れよう」

ジャヌの言葉を遮り口調を強くして言った。

それが面白くないのか、ふたりは私に睨みを利かせた。

睨まれても困る。しかもここは殺人の現場だ。こんな所で堂々と口論するなど正気の沙汰ではない。


「なんだよ」

「確かにこいつは、俺たちの探してるものは無いと言ってるが……。 それ以上のものが目の前にいるぞ」


ジャヌの言葉に、いつもなら飛びついただろう。

今はそれよりも早くこの場所から離れたくて仕方がなかった。

この男が誰であれ、安全な場所で話をする必要がある。

ふたりにどんな力があろうが、私にはなんの力もない。

この状況を切り抜ける力さえも。


私はふたりに背を向け、ひとりで屋敷を出た。

後ろから私を追ってくる様子もなく、姿すら見えない。

気にするだけ無駄だ。屋敷を離れ、ルーエンへ急いだ。


夜中で人通りは少ないものの、それでも人が多く感じ、私への視線が気になって仕方がなかった。

頼むから見ないでくれ……。そう願ってもすれ違うたびに視線を感じる。

これほどストレスが溜まることはそう無いだろう。

うつむき加減で歩みを進める私の後を、怪しげな人物が付いてくるのがわかった。

歩みを速くするが、やはりその者も同じペースで付いてくる。

嫌な予感を抱きながら、人通りのない路地へと素早く入り込んだ。

身を隠し、追ってくる者を待ち伏せたが、現れない。

数分が経過しても姿を見せない。

私の勘違いだろうか。身の回りのもの全てが脅威に感じている今の私に、冷静な判断などできる訳もない。

それから更に数分、様子を見ていたが、やはり誰も現れない。

私は大通りを避け裏通りからルーエンへ向かうことにした。


私が物陰から身を出したその時だった。

「隠れても、逃げようとしても無駄よ」


私の行く手を阻むように、裏通りへの道を塞ぐ女。

サリッサだ。


最悪だ。こんな場所で、しかもこのタイミングでなぜこの女と会ってしまったのか。

いや、会ってしまったのではない。ここで顔を合わせるのも決められていたことに違いない。

運命か、サリッサの思惑通りか。

何はともあれ、危機的状況だ。今の私に、サリッサへの対抗手段などあるはずもない。

得体の知れぬ力を持つ者に、どう抗えばいいと言うのか。

……考えても仕方がない。逃げられるわけもない。

私はサリッサへと近付いた。


「好きにしろよ」

「なんですって……?」


私の言葉を予想していなかったのか、サリッサは少しばかり困った表情を見せた。

なぜそんな顔をするのか。

好きにしろと言われれば、そうすればよいではないか。

私を狙っている者からすればこれ以上に都合のいいことはない。


「好きにしろと言ったんだ。 お前の好きにすればいい」


サリッサはもっと別のことを予想してたはずだ。そう表情から読み取れた。

拍子抜けした様子で私を見るサリッサは、しばし黙り込んだのち、口を開いた。


「そう……。 抵抗する力すら無くなった?」

「いや違う。 俺には何もできないからだ。 なんの力もない俺が、お前に勝てるはずもないだろう? できることと言ったら……この夢を終わらせることくらいだ」


情けないといった面持ちで私を見る。

サリッサの目的は不明だが、やりたいようにすればいい。


「わかったわ。 これ以上の機会は滅多に無いだろうから」

漆黒の鞘を取り出し、私の目をまっすぐ見つめながらゆっくりと刃を抜き、私の首元へ突きつけた。

「本当にいいのね? ここであなたの人生が終わっても」


嫌に決まっている。まだ人生に幕が降りるには早すぎる。

しかし……この状況では私の人生は終わったのも同然。

だが、あくまでも〝この夢の中では〟の話だ。

私は度重なる問題でこの夢に嫌気がさし、投げやりになっていた。


「この世界だけではないのよ? あなたの世界も、終わりを迎えることになる」

「なに?」


ここでの死が、現実でも起こるというのか。全てが繋がっていると言いたいのか。

あり得ない……。そんなことは絶対に起こりえないと思っていた私にとって、それは見過ごせない事態だった。

確かに、この世界での記憶、痛み、傷に至るまで現実に引き継がれている。

が、〝死〟までも影響するとは考えてもみなかった。

いや……それも、ありかもしれない。

これから先、生きたとしても待っているのはたかが知れている。

生きるために必死になって、困難や苦境を繰り返し乗り越えるだけの人生だ。

もちろん、良いこともあるだろう。だがそれは、過酷を乗り越えた〝褒美〟でしかないではないか。

こんな人生に意味があるのか、疑問だ。


「あぁ……好きにしてくれ。 やれよ」

「……本気なの?」


なぜだろうか。追っていた獲物が目の前に、しかもいつでも狩れる状態にあるというのに、サリッサの額からは汗がにじんでいる。

刃を握る手は先ほどまでとは違い、小刻みに震えている。

サリッサを動揺させるようなことがなにかあっただろうか。


しばらくすると、サリッサは刃を下ろした。

なにがどうなっているのか。

なにが原因で意気消沈したというのか。


「今回は退くわ……。 次に会う時までに、自分のことについてよく考えておくことね」

そう言い残すとサリッサは夜の闇に消えていった。

「病んでるな」

「お前に言われたくない」


サリッサが立ち去ったのを見計らったようにジャヌが現れた。


「避けてたのか?」

なぜサリッサの前に姿を見せなかったのか、ジャヌに尋ねた。


「なんの話だ?」

「サリッサだよ。 さっきまでここに居た。 分かってただろ」

「クソ女がここに? それを知ってれば、飽きるほど痛めつけて八つ裂きにしてたさ」


どうやらジャヌは本当に知らないらしい。

何かがおかしい。サリッサの存在にジャヌが気付かないはずがない。

それどころか、つい先ほどの出来事の一部始終すら把握していなかった。

なんでもお見通しのジャヌに限ってこんなことがあるのか。嘘をついたり隠すような理由も思いつかない。


考えても無駄だ。

ジャヌを一瞥し、ため息を吐いた。


「あいつは?」

「誰だ?」

「屋敷で会った男だ」

「あいつなら消えちまった。 俺が怖くなったんだろうさ」


相変わらず達者な口だ。

「あいつは何者だ?」


「ニーデ・リーゼン。 変態さ」

「お前と同じように、人の心を読む。 それに、無感情だ」

「そうだ。 あいつは、表には出ない人の本質を覗き見て、快楽を得てる」

「お前と、関係のある存在か?」


ジャヌはそれ以上聞くなと言った目で私を見る。

〝それ以上のもの〟と言われれば、気になるのは当然だ。

「あの目、あの挙動、お前と同じに感じた。 無感情な言葉も、全部含めてな。 それに、付き合いが流そうじゃないか」


私はジャヌに話を遮られよう、思い浮かぶことをを片っ端から言葉にした。


「なぜ心を読める? お前らの得体の知れない力はなんなんだ? サリッサもそうだが、奴らの目的は一体なんなんだよ」

負の感情をここぞと言わんばかりに吐き出した。


「そんなに知りたいなら教えてやるさ。 そうすれば少しは黙ってくれるか」

両手を広げ、首を横に振りながらジャヌは言った。


「確かにあいつとは、嫌になるほど長い付き合いだ。 お前も分かってるだろうが、俺には烙印がある」


私は軽く頷いき、ジャヌの胸に目を向けた。


「あいつにも、同じように烙印が押されてる。 Nとな。 俺たち烙印を持つ者は特別なんだ」

「特別? なにが特別なんだ?」

「存在自体が、特別なんだよ。 その辺を歩いてる肉の塊共とは訳が違う」


見下したような目で語るジャヌに、少し腹が立った。

肉の塊だと?

与えられた人生を生き抜くために、日々を過ごす者達への冒頭だ。

中にはなに不自由なく生活している裕福な者も、顎で人を使う者もいるだろう。

だが、どんな人間であれ、生きることを否定することはできない。

それを、歩く肉の塊などとは、あまりにも酷いではないか。

今に始まったことではないが、時々ジャヌやその周りの者の発言に心底腹が立つ。

人生を軽く終わりにしようとした私が言える立場ではないが……。


「何が特別なのかは、そのうち分かるだろう。 そして目的だが……はっきり言うと分からん。 俺の目的は分かってると思うが、奴らも同じ目的とは限らない」

「奴ら? その特別な存在が、他にもいるのか」


ジャヌのような得体の知れない者が、まだいると思うと嫌気がさす。皆、ジャヌのような人物なのか。勘弁してほしいものだ。

「目的不明の特別な存在……。 敵か味方かも分からないが、少なくとも味方ではなさそうだな」

「どうだろうな。 どちらにせよ、あいつらを甘く見ないことだな。 殺されかねない」

「お前も含めてか?」


ジャヌは深いため息と同時に首を振った。

「俺があいつらに殺されるとでも? あり得ない、それだけは絶対にな」


なぜそう言い切れるのか。仲間だからか? 特別な存在同士だから? 互いに殺し合いはできないと? 次々と疑問が押し寄せる。

珍しく素直に説明したかと思えば、疑問を残すような言い方をする。

いい加減にしろと言いたいが、問い詰めたところで意味がないだろう。

普段のジャヌを思えば、これだけ聞ければ大収穫だ。


「それで、なぜ殺されないと分かる?」

私は期待せずに聞いた。

「よく考えてみろ。 あいつらに俺を殺せるほどの力があるか? 少し考えれば分かるだろうよ」


そんなもの分かるはずがない。奴らが何者で、どれだけの力を有しているのかさえ、検討もつかない。ジャヌの力すら未だにどれだけのものか、分からないのだから。


その時、警備兵が慌ただしく屋敷の方へ向かい駆けて行く姿が目に入った。

屋敷で起きたことなど忘れていた。

できれば思い出したくなかった。忘れたまま旅を続けられればどれだけ楽か。

どんなに願ってもそれは実現しない。人を殺したという罪に苛まれながら生きていくのだ。

私はそれを受け入れるしかない。


「話は後だ。 ルーエンへ」

「待ってるぞ」

そう言うとジャヌは闇へ消えた。

「全く……。 他人事だな……」



闇に溶け込んだ影は、立ち去る私をただ見ていた。

―マレウス……。 またすぐに会える……。

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