Episode22 逆戻

文字の刻まれた銅板のどこが貴重で、それほどの価値があるのか。

金や銀なら分かるが、銅はほとんど価値がない。

だがジャヌが目を光らせて貴重だと言うのであればそうなのだろう。

私よりこの世界に詳しいはずだ。歴史や文化に関しても知識は豊富だろう。


「これが俺の思ってる通りの物なら、焼きごてがある筈だ」


焼きごて……エルオーデとジャンが遊び半分で使っていた【J】の焼きごてと同じものか。

そうだとすれば、どういった関係があるのか。

銅板から私に冷たい視線を移すジャヌ。


「あの屋敷へ戻る気はあるか?」

死体が放置されている所へなど戻る気はない。

犯人が犯罪現場へ戻る心理はよく知られている。それによって捕まる確率が高まる。

そんな愚かな行動は控えるべきだ。

ジャヌであれば、現場へ戻ったとしても何事もなく帰ってこれるはずなのに、なぜそれをしないのか。それに、私たちには屋敷へ戻る理由がない。

焼きごてだろうとなんだろうと、そんなものは関係ない。

捕まるのだけは御免だ。


カトリーネは首を横に振り、アルバノスは深いため息をつく。

私はジャヌの視線から逃げるように目をそらした。


「なにがあっても戻らない。 自殺行為だろ? やっとの思いでここまで逃げてきたんだ」

「あの屋敷にお前の求めるものがあっても戻らないか?」


求めるものは欲しいに決まっている。だがもう目的は果たした。

金になる物を持って帰れただけで十分だ。

それ以上に今はなにを望むものか。

断固として拒否する私に、ジャヌは追い討ちをかけるように言った。


「人を殺したと、大声で歌い回ってもいいんだぞ」

殺したのはジャヌではないか。しかもなぜ脅されなければならないのか。

「殺したのはお前だろ。 戻るならひとりで戻ればいいだろ」

ジャヌの言葉に苛立ちをあらわにし、私は強い口調で言い返した。

私とジャヌのやり取りをこれまで黙って見ていたカトリーネが遂に口を開く。

「完全にどうかしてる。 元はと言えば全部あんたが悪いんでしょ」

「全部? 金を手に入れると言い出したのはマレウスだろう。 それにおまけが付いただけの話だ。 物事を捻じ曲げるのは関心しないな」

カトリーネは言葉を詰まらせ、無言に戻った。

罪を感じていない者に、なにを言っても無駄だ。罪の意識を感じさせることもできなければ、それを認めさせることもできない。


「ならこうしよう。 今、お前が最も求めているものをくれてやる。 その代わり、お前は屋敷へ戻る。 等価交換だ」

ジャヌは淡々とした口調で話しながら、ずっしりと重い小さな袋を私に向かい放り投げた。

中には金貨がぎっしりと詰まっている。

大津波のような誘惑が押し寄せる中、私は金貨とジャヌの顔を交互に見る。

屋敷へ戻れば更なる富が手に入り、銅貨の謎が解けるかもしれない。

旅の終止符が打たれる可能性もかなり高くなるが。

ジャヌと一緒ならば平気か。私を必要としているのであれば、危機に陥ったとしても助けてくれるだろう。

だが、ジャヌはいつ裏切るか分からない。今までのジャヌの行動を振り返れば、私たちに道を与え、危機的な状況があれば助けてくれた。それは確かだ。

しかし、それはジャヌ本人の目的の為だ。いつ気が変わり、裏切るかも分からない。


金貨を一握り取り出し、己の欲と葛藤する。

十分な金に変えられる物があるにも関わらずに。


「もう十分でしょマレウス。 盗ってきたものを売れば旅は続けられる。 たかが焼きごての為に戻る必要なんてないわ」

カトリーネの意見はもっともだ。そんな事は承知している。

アルバノスは私がどう判断を下すのか重い眼差しでじっと見ている。


黙り込み、考えた。

戻らなくとも、金には不自由しない。しかし旅の目的はどうか。【N】の焼きごてが、あの時見た【J】の焼きごてと関係があるなら、戻るべきだ。旅の目的はまさにそれだからだ。

金は二の次だ。

屋敷に焼きごてがある確証はない。だがそれがあれば、新しい道がひらける筈だ。

目的か、安全か……。


ジャヌに視線を戻し、私は言った。「屋敷に戻る」


満足そうに口元を緩め、窓際へと近づき外の様子を確かめるジャヌ。

屋敷の方向へ目を凝らし、振り向き言った。

「まだ気付かれていないな。 今なら大丈夫だ。 すぐに戻るぞ」


俯きため息を吐くカトリーネ、呆れたように首を横に降るアルバノスを横目に、私はジャヌと共に部屋を出た。


階段を降りると客と会話をするクレデリアがちらりと私とジャヌを見る。

その目は恐れと戸惑いが入り混じっている。

誰かに私たちのしたことを話してはいないだろうかと、気がかりだった。

クレデリアの視線を気にしながら宿を後にし、足早に屋敷へ向かった。


離れた所から屋敷の様子を伺い、辺りに人気がないことを確認しながら暗がりを低姿勢で進む。

視線の先には横たわる死体。なるべくそれを見ないように扉へと急いだ。


「さっさと見つけてここを出よう」

「簡単に見つかればいいが」

ジャヌに一階を探すよう伝え、私は二階へ急いだ。


部屋を片っ端から見て回るが、それらしき物は見つからない。

ありもしない物を探しているのではと時折不安になる。

しきりに窓から外の様子を確認しては部屋の中を右往左往した。

棚の上や後ろ、ベッドの下、壁や天井に隠し扉が無いかまで念入りに調べるが、何もない。


一階に戻り、ジャヌを探しながら部屋を見て回った。

焼きごて一つにこれほど時間がかかるとは思ってもいなかった。

早くしなければ夜が明けてしまう……そうなれば放置してある死体も見つかり、ここから逃げるのも困難になる。

そんな焦りと不安で今にも狂ってしまいそうだ。


「なにか見つかったか? マレウス」

「いや、なにも」

背後から聞こえた声に適当に返事をした。

「マレウス、お前の相棒はどこだ?」

「なんだって? なに言ってるんだよ」

意味の分からない問いに、足を止め振り向くが、そこには誰も居ない。

極度の緊張状態で幻聴すら聞こえてきたか。

私は正気を保つよう頭を叩きながら前方の扉を開いた。


視界に入ってきたものを見て、思わず息が止まった。

私の顔をまっすぐに見る人物。

屋敷の者か、警備兵か……。そんなことはどうでもいい。

私の中の悪が、語りかける。


殺せ。


息の根を止めろ。


駄目だ。


今すぐに、殺すんだ。


目撃者を始末しなければ。その一心で目の前の者に殴りかかった。

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