Episode21 獅子

「殺さないでくれ……」


命乞いをする男の首を躊躇することなく切り落とす。

死んだ方が楽だと思わせるように、ゆっくりと、時間をかけて。

苦悶に歪むその顔が、最高の快感を生む。

死体の山に囲まれて、今まで経験したこともない優越感に浸る。


「いたぞ!」


殺されるとも知らずに、虫のように集まってくる男たち。

槍を手に、身構える男たちの背後から、空気を切り裂く甲高い声が響いてくる。


「待ちなさい!」


額を汗で濡らし、男たちの間をすり抜けてくる女。


「ジャヌ……。 どれだけ殺せば気が済むの……。 もう辞めなさい……」


ジャヌは周囲を包み込む絶望に歓喜した様子で女を見た。


「サリッサ・ウーデン……お前に俺は止められない」

狂気に満ちる赤い瞳をサリッサに向ける。

漆黒の髪が、外から吹き入る風を受け、生き物のようになびく。

その姿は人ではなく、全てを支配する最悪そのものだった。


「人が殺されるのを黙って見てはいられない。 刺し違えてでもあなたを止めるわ」

黒光りの鞘から、鏡のように磨かれた鋭い刃を抜き、ジャヌへと向けた。


「ピュニシオン……それを持つほどの価値が、お前にあるのか」


価値を問われたサリッサは、目を鋭くし、ジャヌを睨みつける。

人に価値を問うのは間違っている。同じ空気を吸い、命を食べ、生きている。

人は皆、平等な生き物だ。

だが、人ではない心を持つ者もいる。

悪の具現化。

ジャヌは、その中のひとりだ。

「オリヘンの破壊……どうやったの?」


サリッサの言葉を聞き、意味深な笑み浮かべ、ジャヌは答えた。

「なにもしてないさ。 あれが勝手に砕けただけだ」

「そんなことがある訳がない……」

「本当さ」


望む答えを得られない苛立たしさを堪え、サリッサは刃を再びジャヌへと向けた。

周りの男たちも、それに合わせ身の丈ほどある長い槍を構える。

周囲をぐるりと見回すジャヌに、焦りや恐怖は一切感じられない。

それどころか、この状況を楽しんでいるようだった。

サリッサは静かに息を吐くと、目を見開き勢いよく足を踏み出した。

鋭い切っ先がまっすぐにジャヌへ向かう。


真っ赤な血しぶきが、その場を包んだ。



夜の街をひた走る。

カトリーネの足の速さといったら尋常ではない。

まるで〝風〟そのものだ。

そのあとを無我夢中で追いながら、時折後ろを振り返る。

だがそこにジャヌの姿はない。

人知を超えた力を持つジャヌを、心配などしたことがなかった。

しかし、今回は別だ。

私をかばい、自らが盾となったジャヌが気がかりだった。

私の後を追ってきてくれ、姿を見せてくれと願う。

だが、その姿を見ることなく私たちはルーエンへとたどり着いた。


扉を勢いよく開き、ルーエンへ飛び込んだ。

クレデリアが身体を跳ね上げ、目を丸くして私たちを見る。

「……なにがあったの」

カトリーネはそれに答えることなく、アルバノスの元へ向かった。

なにも知らないクレデリアに、盗みをして人を殺した、などと言える訳もない。


挙動不審にカウンターに近づき、猫の置物を手に取り気を紛らわせた。

「……それは売り物じゃない」

不思議な子だ。あれだけ血相を変えて飛び込んできたというのに、今は落ち着き払っている。

肝が座っているのか、鈍感なのか、興味がないのか……。なにを考えているのか読めない。

置物を元に戻し、部屋に向かおうとしたがクレデリアに引き止められた。


「……あの人は?」

誰のことを言っているのか一瞬分からなかった。

「……黒い髪の」

「ジャヌか。 名前はジャヌだ。 今は一緒じゃない」

「……ジャヌ」

クレデリアは少し残念そうに肩を落とした。

「あとで戻ってくるよ。 ……戻ってくるさ」

「……そう」

私は肩を落とすクレデリアを横目で見ながら部屋へ向かった。



扉を開けると、アルバノスが物凄い剣幕で出迎えた。


「なにを考えている!」

眠れる獅子を呼び起こしてしまった。

怒りに震える身を見ながら、私は向かいの椅子に座った。

事情を事細かく説明するが、燃え上がる怒りの炎は鎮まる気配がない。

どう説明すればアルバノスの怒りが鎮まるのか。

私に任せたと言わんばかりにカトリーネは部屋の隅から黙ってこちらを見ている。

噴煙を上げる火山を鎮火させろと言われているようなものだ。

そもそも、暴れる獅子を相手にするのが間違っているのだ。

頭が冷えるのを待つべきか、このまま話しを続けるべきか教えてくれとカトリーネに視線を送る。

私に視線を合わせると、口をパクパクさせるが言葉が出てこない。

アルバノスの憤怒に圧倒されてのことだろうが、一言二言くらい言葉が出てきてもいいものだろう。

カトリーネの口から言葉が出てくるのを沈黙を守り待つ。


「その……落ち着きなさいよ……」


なに? やっとひねり出した言葉が 〝落ち着きなさい〟 だと?

もっとまともな言葉が出てこなかったのか。

当然、その一言でアルバノスの怒りが鎮まる訳がない。

言葉の主がクレデリアであれば話は別だろうが。

獣のごとく鼻息を荒くし、アルバノスは私とカトリーネを交互に見る。


ジャヌの無感情さがたまらなく欲しい。

感情が邪魔をしてろくに話をするどころか、言葉さえまともに出てこない。

私とカトリーネは手を出していないと何度説明しても全く聞く耳持たずだ。

アルバノスから見れば、私、カトリーネ、ジャヌは同罪なのだ。

正義感の強さが、分厚い壁を作り邪魔をしている。


―コンコン。


優しいノック音が聞こえ、扉が開く。

「……夕食」


神の使いだ。

なんと最高のタイミングか。怒りに燃える獅子も、天使の顔を見れば冷静さを取り戻す筈だ。

カトリーネもほっと胸を撫でおろす。

殺伐とした雰囲気の室内を見回しながらテーブルに食事を運ぶ。

これほど人を神々しいと感じたことがあっただろうか。


期待を込めて、アルバノスに視線を戻した。

血の気を帯びた顔で荒々しく息をするアルバノス。

なんということだ! クレデリアを前にしても怒りは全く鎮まっていないらしい。

それどころか、話しの邪魔をするなと目で訴えているようである。


出来立ての食事が乗った皿を運び終えると、クレデリアは問い詰めるように言った。

「……普通の空気じゃない……。 なにをしたの……」

その言葉に誰も答えることなく、沈黙だけが流れる。



「あのクソ女。 今度会ったら殺してやる」


静けさを切り裂く惨たらしい言葉。

私たちはとっさに声のする方を見た。

ジャヌが戻ってきたのだ。

この状況に気を遣うことなく、いつもの態度で部屋に入ってくる。

衣服が破れ、顔はひどく汚れている。

泥遊びを終えて帰宅した子供のような有様だ。


「……ジャヌ」

ぼそりとクレデリアが呟く。

その後ろから威圧感を剥き出しにジャヌへと迫る巨体。


「貴様……なにをしたのか分かっているのか!」

「この身で仲間を救った」

ジャヌの答えがアルバノスの怒りをより強くする。

「貴様のやったことだ! 人を殺しただろう!」

「あぁ。 殺した」

それを聞き、クレデリアは身を震わせる。

抑制のきかない怒りに支配されたアルバノスは遂に事の真相を言ってしまった。

しかも、クレデリアの前で。


「……殺した?」

すかさずカトリーネが話に割って入った。

「クレデリア、違うの。 あれはジャヌが……」

そう言うカトリーネに疑惑の念を抱き、距離を取るクレデリア。

その姿を見て、ジャヌは言った。

「人を殺すのに抵抗があるか? 危機に瀕しても正義感を通せるか?」

「それが人道というものだろう! クレデリアにそんな質問をするのはよせ!」

横から割り込み、ジャヌに罵声を浴びせるアルバノス。

首を横に振りながら、見下した態度で、ジャヌはアルバノスに言う。

「人道? そんなものは持ち合わせていない。 そもそも人は互いに争う生き物だ」


ジャヌの言葉は間違っているようで間違っていない。

人間同士の争いは何百、何千年と繰り返し行われてきた。

不思議なものだ。一つ争いが終われば、また一つ争いが起きる。

そこにもやはり、人の欲があるのだろう。欲がなければ、争いなど起きないのかもしれない。



数時間後―……。

冷静さを取り戻しつつあるアルバノスは、腕を組み、ジャヌに睨みをきかせている。

事実を知ったクレデリアは客の対応で席を外していた。

この状況など知ったことかと言わんばかりに、ジャヌはミリャをかじっている。

どうしたものか。言い争った後の沈黙が、言葉を発するのを妨げる。

私は、荷袋から盗んできた銅板を取り出した。

刻まれた【N】になにか意味があるのか、これに価値はあるのか、銅板を見ながら考える。


「N……?」

カトリーネが私に近づき、銅板を覗き込む。

「屋敷で見つけたんだ。 隠されていたから、貴重なものだと思うけど……」

私とカトリーネの会話に興味があるのか、アルバノスは聞き耳をたてる。


「確かに貴重だ」

銅板を見たジャヌは宝でも見るような目で言った。

「これがなにか知ってるのか?」


「当然だ」


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