Episode14 エデシア

ジャヌの言葉に従い、エデシアへと歩を進める。期待に胸が膨らみ、その足取りは徐々に早くなる。街ならば人も居る。ゆっくりと横になれるベッドや、空腹を満たしてくれる食料もあるはずだ。なにより、この世界のことについて情報を得る絶好の機会だ。

私は良いことを考え、悪いことは考えないようにした。そうでもしなければ身が持たないからだ。


アルバノスやカトリーネは全くと言っていいほど疲労感を見せない。すでに数日、少ない

休憩を取りながらひたすら歩き続けているというのに。

カトリーネは、疲れを見せる私を気遣ってか、歩行速度を下げるようにアルバノスに伝えた。


エデシアまでの案内を率先して引き受けてくれたアルバノス。その重そうな身体に似合わない足取りの軽さ。

〝人は見かけによらない〟とはまさにこの事だ。


「アルバノス、無理に私たちと行動することはないのに、ありがとう」

優しい言葉をかけられたアルバノスの口元は微かに緩みだ。

「俺が好きでやっていることだ。気にしなくていい」

さらっと言うアルバノスだったが、〝ありがとう〟の言葉に照れているのが態度から伝わった。


夜明け前の薄明りに照らされる街並み。

その風景に、私は心底救われた。この世界で初めて目にする街灯り。闇や荒廃といったものしか見てこなかった私の目には、爛々(らんらん)と輝く宝石のように見えた。

一方、カトリーネは不安そうな表情を抱えていた。人との関りを避けてきた不安感が押し寄せたのだ。アルバノスと出会った時とは状況が違う。人の住む地へ自ら足を踏み入れることに躊躇していた。

私はカトリーネに言葉を投げかけた。

人と接することは、自分の不透明な未来への道を作ることが可能になると。

しばらくその場を動かなかったカトリーネだが、意を決し、歩を街へと進めた。


街中は早朝のこともあり、ごく僅かな人間しか見ることができない。街並みを眺めながら進むと、ひとりの老人がのろのろと近寄ってくる。


「ここらじゃ見ない顔だね。旅の方かい?」老人は私たちを珍しいものでも見るよう目つきで話しかけてきた。

「さっき着いたばかりで。街なんて久しぶりだ」老人に笑顔を見せ、愛想よく振る舞う。

そのやり取りを見ていたアルバノスは老人に尋ねる。

「この街に。地下牢はないか」誰も想像しなかった直球な質問に、その場を静寂が包む。


いきなり街にやってきた者から「地下牢はあるか」などと聞かれれば当然の反応だ。

それに、そんな場所に用がある者などとはできることならば関わりたくない。老人も恐らく同じことを思っているだろう。

しかし、老人の口からは私の予想しなかった答えが返ってきた。

地下牢のことはともかく、早朝から開いている宿に案内すると言ったのだ。

なんて心の広い人だ、心の底からそう思った。


のろのろと歩く老人の後を追いながら、カトリーネの様子を伺う。

俯(うつむ)き加減で歩き、人とすれ違うたびに表情をしかめるその姿は、なにかに怯えている小動物のようだ。


老人が足を止め、前方を指差す。赤茶色の木造建物に、年季の入った看板がぶら下がっている。


〝ルーエン〟


老人に感謝を伝え、私たちは宿へ入る。扉に下げられた鈴が音色を奏でる。木造建物の独特な香りが漂う空間に、張り詰めていた神経が安らぎ、全身の緊張が一気にほぐれた。

幸福感を抱きながら周りを眺めていると、部屋の奥から黒髪の可愛らしい女性がこちらの様子を伺いながら出てきた。

「……お客?」ぼそっと呟き、力の抜けた瞳で品定めをするように視線を泳がせた。

アルバノスは女性の視線を感じるや、恥ずかしそうに顔をそむける。女性と目線を合わせないためか、しきりに自分の身体を触ったり、荷物袋の中を確認したりしている。

見た目こそ屈強だが、女にはめっぽう弱いのかもしれない。


「……あなたがリーダー?」女性はアルバノスに視線を注ぐ。胸に突き刺さるように見つめられたアルバノスはたじろぎながら答えた。

「いや……その、俺は案内役で……そこの……」

女性はアルバノスの言葉を無視し、私に視線を移し、先程と同じことを言った。

私は事の事情を説明し、泊まれる部屋はないかと女性に尋ねた。

だが、女性の口から出た言葉に黙り込んでしまう。

「1500アリン……」

なんのことかと思ったが、〝1500〟という数字を聞き、今まで忘れ切っていたことを思い出す。


金だ。

なにかを得るには金が必要だと、忘れきっていた。

現実では当たり前のことが、ここでは通用しないが、得るためには資金が必要……それだけはどんな世界でも変わらない。

私はどうしたものかと沈黙し、必死に考えた。だが、この世界の通貨など少しも持ってはいない。助けを求めるようにカトリーネを見るが、首を横に振る。

人に頼らず生きてきたカトリーネも、資金は無かったのだ。

女性は怪しい者でも相手にしているかのように、冷ややかな視線を送る。

完全にお手上げ状態だ。宿代に代わるような物も持っていない。安息を目前にして、最大の敵が立ちふさがった今の気持ちは、今までのなにより残酷に感じた。


「1500アリンならここにある」天使の囁き(ささやき)が聞こえたようだった。

懐から小さな革袋を取り出し、硬貨をジャラジャラとテーブルの上に広げる。硬貨がこれほどまでに神々しく見えたのは人生で初めてだ。子供の頃に数枚の硬貨を握りしめて漫画本を初めて買いに行った時でも、そうは感じなかった。

私たちを救ったアルバノスにこれでもかと言わんばかりに尊敬の眼差しを送った。


「名を……聞いてもいいか」頬を赤らめながら女性に名前を聞く姿は、初々しい子供のようだ。そして、失礼極まりないが、少し気味が悪かった。

「……クレデリア」そうぽつりと呟きながら硬貨を数えた。硬貨のぶつかり合う音が部屋に響く中、カトリーネは外の空気が吸いたいと、建物を静かに出た。


早朝のひんやりとした冷気が肌に当たる。どこまでも広がる空を澄んだ瞳で眺める。


―リズという名も、忘れてほしい―……。


母親の言葉が脳裏に染みついていた。

なぜあんなことを口走ったのか、理解ができない。娘に自分の名を忘れてほしい母親は決してして多くはない。

その言葉を理解できないもどかしさで、カトリーネはどうにかなりそうだった。

今そんなことを考えても答えなんか見つからない……そう自分に言い聞かせた。

だが、親の言葉は子に大きな影響を与える。

カトリーネは母親の言葉に押しつぶされそうだった。誰にも打ち明けることができず、ひとりで抱え込む辛さは相当なものだ。無情にも時間だけが過ぎていった。


クレデリアは硬貨を数え終わると、私たちを部屋へ招いた。三人で過ごすには少し狭かったが十分だ。横になり、周りを気にせず眠れることが出来れば今のところ、それ以上の幸せはない。

カトリーネを呼び、部屋に戻ると不穏な空気が立ち込めていた。


「食事代は別だと言うんだ……」

1500アリンは宿泊代であり、食事は一食につき200アリン必要だと、クレデリアはアルバノスに迫っていた。

私とカトリーネは必要ないと言ったが、アルバノスはそれに苦渋の表情を浮かべる。

クレデリアに渋々400アリンを手渡した。「気にするな……。なにか食べないと身体がもたん」受け取った硬貨を満足げに握りしめクレデリアは部屋を出た。

宿代と食事代で〝1900アリン〟……この世界ではどれほどの価値なのだろうか。とにかく、助けられたこの恩は必ず返すと心に誓った。

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