Episode15 カテーナ地下牢
久しぶりのまともな食事が、飢えた喉を通るたびにこの世の恵みに感謝した。
人が生きていけるのも、豊かな恵みがあってこそのことだ。
つかの間の休息を無駄にせずに過ごす。本来の目的を忘れそうになるくらい平和だった。
通りを行き交う人々。賑やかな市場。心地よい陽光に照らされた街。全てが新鮮で、とても穏やかな気持ちになれた。
私は活気が溢れる市場通りを見て回ることにした。たまには息抜きも必要だと思い、旅行気分で通りを歩いた。果物……洋服……雑貨……様々な店が軒を連ねる。
果物屋の前で足を止め、どんな果実があるのか覗いた。
リンゴに似たもの、無数の棘で覆われているもの、小さな種のようなものまで、多種多彩だ。
新鮮な果実の味を楽しみたかったが、これらを買う金などない。ため息をつき、手に取った果実を戻した。
「うまいな。この店は最高だ」その声の主に視線を向ける。
なんとも美味そうに果実にかぶりつくジャヌの姿がそこにはあった。
こんな所で果実を頬張るジャヌの姿を目にするとは想像すらしなかった。
私は冷静に、ジャヌを見つめた。
「お前も食うか?」目の前に差し出される真っ赤な果実。私は自然と果実を手に取った。
もう驚きもしない。ジャヌがいつ、どこで、どんな形で現れようが、飛び上がるほどの驚きはないだろう。
果実を口へ運ぶ。甘酸っぱさと独特な香りがいっぱいに広がる。
「うまいだろ。やっぱり〝ミリャ〟は最高だな」
赤々とした楕円の果実を2、3個手に取ると、私へと身体を向ける。
タカのような目で私に視線を突き刺してくるが、ジャヌはなにも言わずにミリャを食べ続ける。
「地下牢は見つけたのか?」突拍子もない言葉に、私は周囲を見回す。
人でごった返す所で〝地下牢〟などと話しているのを聞かれでもしたら不審者扱いになってしまう。街での行動も制限されかねない。
その時、市場を巡回する兵士らしき男がふたり、こちらに近づいてくるのが目に留まった。
全身黒ずくめの男と一緒に居るのを見られれば怪しまれるに決まっている。更に、ジャヌはひときわ人目を引く。
〝通り過ぎてくれ……〟心の中で兵士に投げかける。
一歩、また一歩と近づき、ついに私たちの前で立ち止まった。
「失礼」兵士のひとりはそういうと、私とジャヌの間に身をねじ入れ、並んでいる果実をふたつ、手に取った。
それを見て安堵の息を漏らす私を、面白いものでも見るようにうっすらと笑みを浮かべるジャヌ。
よく考えてみれば、私はなにも悪いことなどしていない。それなのに妙に兵士を恐れたりするほうが怪しいではないか。
しかし、兵士が取り出した硬貨を奪い取って逃げたいと思ったのも事実だ。
ジャヌと私は市場を離れ、人気の少ない通りへと移動した。
「地下牢はまだ見つけてない。それと、こいつをどうも」ミリャをかじりながら言った。
地下牢はどこにあるのか尋ねると、呆れた顔でジャヌはため息混じりに言う。
「探せ」
なんと感情のこもっていない、冷徹な言葉だろうか。地下牢の場所を知っているはずなのにそれを教えないのは、なにか意図があってのことなのだろうか。
アルバノスが地下牢の存在を知ってはいたが、場所までは分からないと言っていた。
この広い街の下にある牢獄を探し出すのはかなりの労力を要する。
苦い表情を浮かべる私に、ジャヌは口を閉ざす。そして言った。
「……地下牢に案内してやる。だが、〝ひとつ条件がある〟」どういう風の吹き回しだろうか。たったさっきまで、自分で探せと冷たく言葉を吐いていたのに、なぜ突然協力しようなどと言い出すのか。
「条件ってなんだ」
ジャヌは私に一歩近づき、小声で話した。
「俺は地下牢に入れない。だが、この目で確認したいものがあるんだよ」
地下牢があるのは街の外れほどにある〝カテーナ礼拝堂〟の地下にあるらしい。
そして、その礼拝堂を血で汚せというのだ。聖なる場所を血で汚すなど、神の怒りを買いそうだったが、私はしぶしぶそれを了承した。
ジャヌが地下牢に立ち入れない理由は定かではないが、それを聞いたところで素直に答えるような人間ではない。それ以上は聞かず、ジャヌを宿に案内した。
恐ろしい剣幕でこちらを睨みつけるアルバノス。不信感をあらわにするカトリーネ。
当然だ。街を見て回ると言って出かけたはずが、ジャヌを連れ戻ってきたのだ。
〝何を考えているんだ〟と誰でも思うだろう。それが気に入らない相手であれば尚更だ。
私は慎重にことの事情を説明する。しかし、ふたりの私に向ける視線は、冷たかった。
なんの相談も無しに、私の独断で決めたことに憤りを感じているとアルバノスは言った。
一方、カトリーネは私の判断よりも、ジャヌがそこまでして行きたがる地下牢になにがあるのか、いてもたっても居られない様子だった。
「デカいの……」ジャヌの言葉にアルバノスは噴火した火山のような大声をあげる。
「俺の名は、アルバノスだ!」その大声に何事かと、クレデリアが緊張した面持ちで部屋のドアを開き、顔を覗かせる。
その顔をみるなりアルバノスの怒りは鎮火したように見えた。だが、心では怒りの炎が燃え上がっているはずだ。
「クレデリア! ……すまない。驚かせてしまった」必死に感情を抑えクレデリアの目をまっすぐに見つめる。
「……他のお客が怖がるわ」冷ややかな目でアルバノスに言うと、静かにドアを閉めた。私、私たちはアルバノスの顔を何も言わずに見つめる。
「シュッツヘルがエデシアで恋に落ちるとはな」なにかの催し物でも楽しんでいるようにジャヌはクスクスと笑っている。
カトリーネがアルバノスの肩にそっと手を添える。その優しい手はなにを語っているのか。
怒りに震える身体はしだいに収まっていった。
カトリーネはジャヌを一瞥し、口を尖らせた。「人の気持ちを少しでも考えたらどうなの」
ジャヌはその言葉を聞いて、なにか心に訴えるものを感じたのか。生きている以上、感情が全く無い訳ではないだろう。少なくとも、感情が皆無であれば、あの時……アルバノスを殴り続けている私に、声を荒げたりはしない筈だ。
感情無く生きることなど無理な話だ。
皆が出発の準備を整えていると、クレデリアが小さな包みを持ち、部屋へやってきた。
それを受け取り、中身を確認する。
部屋中にパイ生地の焼けたいい香りが立ち込める。
「……旅、気を付けて」
数種の果実が詰められたパイを、生き生きとした表情で私の手から受け取った。
クレデリアに別れを告げ、私たちはカテーナ礼拝堂に向け、出発した。
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