第40話 放課後は続く

 次の日の放課後、僕はかつて部室と呼んでいた、図書室の隣の空き室に来ていた。鍵を開けて中に入る。


 部屋のソファーに星原が寝そべっている……なんてことはない。当たり前だ。今、鍵を持っているのは星原ではなく僕であり、僕自身が開けて入ってきたところなのだから。


 もう星原に会えるわけではないのに、未練がましくこの部屋にきてしまった。


 僕は星原がかつてそうしていたように、二人掛けのソファーに寝そべってみた。


 そして天井を見ながらぼんやりと考える。


 もし仮に夏休み明けのレストランでの一件がなかったとしても、星原とただの友人という関係でいる以上は一年半後に卒業したら結局それで星原との関係は終わってしまう。


 星原もそのことが解っていた。だからその前に僕の気持ちを確かめたかったのだ。僕と星原との関係をはっきりさせたかったのだろう。


 夏休み前に、最後に小説を読み聞かせた時。星原は僕に単純な感想以外の何かを求めていた。


 星原は小説の構想を聞かせて意見をもらうことを理由に僕と放課後を過ごしてきた。その小説が完成してしまったら一緒にいる理由がなくなるかもしれないことについて、僕に何か新しい方向性を示してほしかったんじゃないだろうか。


 でも僕はそこまで気が回らなかったし、これからも星原はまた新しく小説の構想を読み聞かせるつもりでいるものと思って深く気にしなかった。


 だから星原はレストランの時に再度僕の気持ちを確かめようとした。「部活を終わりにしようと思う。自分との接点がなくなってしまうが、それで良いのか?」と。


 だが、その時も僕は何と言ったか。


「それじゃあ仕方がないな。終わりにするか」とあっさり引いてしまった。星原は、僕が自分のことなどどうでもいいと思っているのだ、と怒ってしまったのだろう。本当は僕に引き留めて欲しかったのだ。


 人生を左右する行動というのは大学受験や就職活動のようにわかりやすく目の前に現れるものだと今まで思っていたが、何気ない日常の中にある行動が人生の選択になることもあると僕は思い知った。


 でも、このまま何もしないでいて本当に良いのか?


 今のような星原との微妙な関係がずっと続けば、やがて学校を卒業していずれは会えなくなるだろう。


 星原は派手な雰囲気こそないが、顔だちも整っていて可愛らしい少女だ。大学生や社会人になれば周りの男が放っておくとは思えない。自分の知らないところで、星原が他の誰かのものになってしまうことを思うと僕は胸が鉛のように重くなった気分だった。

 

 例えば明彦あたりに相談したら、なんと言うだろう? 


 考えるまでもない。あいつは一年の時に学年のめぼしい女子に片っ端から告白した男である。


 そのせいで女子からは軽い男と思われて相手にされなかったようだが、一部の男子からはその行動力を褒め称えられていた。僕もその一人だ。きっと「何もしないでいたら後悔するに決まっているだろう。告白しろ」と発破をかけてくれるだろう。


 だけれど、僕には明彦のような行動力がない。いや、星原とあんな別れ方をする前だったら告白してもうまくいくのではないかと思えるが、もう星原と口を聞かなくなって一か月近く経ってしまったのだ。


 星原はもう僕のことなど何とも思っていないかもしれない。とてもじゃないが、星原を呼び出して二人きりになって告白するなんてできそうもない。


 せめて何か二人きりになって話すきっかけがあれば、そうしたら……。


「星原と、二人きりで話せたらな」


 僕はぼんやりと呟いていた。


「私と?」


 誰もいないはずの部屋なのに返事が返ってきた。


 僕が驚いて身を起こすと、星原が部屋のドアを開けて立っていた。


「ほ、星原!? どうして、ここに?」

「この部屋に雑誌とか本とか私物を置きっぱなしにしていたの。そのことを思い出して、取りに行かないといけないと思っていたら、月ノ下くんがここの鍵を開けて入っていくのが見えたから、かばんを持ってここに来たのよ」

「そ、そうなのか」


 僕は予想もしていなかった展開に、どうすれば良いのか分からず、間の抜けた返事を返すことしかできなかった。星原はそんな僕をよそに、かばんから紙袋を出すと、棚の中に積まれていた本をしまいはじめた。


「それで?」と僕に背を向けて、手を動かしながら星原が言う。


「え?」

「私に話があるんじゃなかったの?」

「あ……えと」


 僕はさっきまで「星原と二人きりになるチャンスがあれば」なんて考えていたのに、実際にそんなチャンスが巡ってきてみれば、頭が真っ白になって何を言えばいいのか、分からなくなっていた。心の中でネガティブな自分が言い訳を始める。


(ちょっと、今日は心の準備ができていなかった。別に今言わなくてもいいんじゃないか? またチャンスが来るかもしれないし)

(そもそも、星原が僕の事を何とも思っていなかったらどうするんだ? 単に困惑させるだけだろ?)


 一瞬そんな考えが頭をよぎってしまう。


 馬鹿か、僕は。ただの逃げだ、そんな考え方。


 僕は何とか自分を鼓舞しようとした。


 そうだ。僕の好きな漫画や小説の中の主人公は、いつだって堂々と危機に立ち向かっていた。


 弱者を踏みにじる世界の敵に、颯爽と戦いを挑むのだ。


 銃を片手に荒野を渡り歩いて、冒険の旅をするのだ。


 例え力がなくとも知恵を振り絞って、愛する相手を守るために危機を乗り越えるのだ。


 それに比べて、僕という人生の主人公ときたらどうだ。好きな女の子に気持ちを伝える、ただそれだけのことが出来ない。自分の情けなさに腹が立った。


 何も言えずにもごもごと口を動かして立ち尽くす僕を、星原はしばらく見ていたがやがて呆れたようにため息をつく。


「何も話がないなら、帰るわ」


 星原はそのまま、部屋を出ていくべく背を向けた。


「……待ってくれ」


 僕はどうにか引きとめる。星原は何事かと振り返った。引きとめたはいいが、何と言えばいいんだ。話をどう切り出したらいいのかわからない。


 苦し紛れに僕はこんなことを口走っていた。


「……あの小説。星原が最後に聞かせてくれた、あの小説なんだけど。結局、主人公の少女のところにあの男の子は帰ってきたのか?」


 さっきまでそっけない無表情だった星原はその言葉を聞いて、動揺して目を見開き顔を赤くしてうつむいた。ほんの一瞬だったが、放課後を一緒に過ごしていたときの星原が戻ってきた気がした。


「それは、……あなたの想像に任せるわ」


 自分次第だと。あなた次第なのだとそう言われた気がした。


 そして僕にとってはそれで十分だった。


「星原、伝えたいことがあるんだ。聞いてくれないか」

 

 その後、僕が何と言ったのか、実は自分でもよく覚えていない。


 無我夢中で思いのたけを伝えようとしたのは確かだ。


 星原と過ごした放課後が僕にとってどれだけ楽しかったか。


 星原と話さなくなった、この二か月がどれほど息苦しく感じられたか。


 そしてこれからも、星原のそばにいてもっともっと小説の他にも色々話をしたいのだということを懸命に伝えたような気がする。


 気が付いた時には星原が、僕にすがりついて手で僕の顔に触れていた。


 ただ、どうもそれはロマンチックなスキンシップではなく。


「つ、月ノ下くん! そんな大声出したら外まで聞こえちゃうから!」


 気持ちが高ぶって大きい声が出てしまっていた僕を、なだめようとしていただけのようだった。





「……落ち着いた?」


 星原は僕を二人掛けのソファーに座らせた後、自分も隣に座ってそう言った。


 そういえば、この二人掛けのソファーに僕と星原が二人で座るのは初めてだな。


「ああ、ご、ごめん。何か驚かせちゃって」

「……ふふ」


 星原は面白そうな顔で、僕を見てにやにや笑っていた。


「いやあ、月ノ下くんがあんなに私のそばにいたいだなんてね。照れちゃうわ」

「……うっ」


 今さらながら気恥ずかしさがこみ上げる。


「ねえ、月ノ下くん」


 星原はそっと僕の手を握って僕の顔を覗き込んだ。


「ここでする?」

「え、何を?」

「勉強」

「へ?」


 彼女はじれったそうに言う。


「いやだから、月ノ下くんの偏差値ってどれくらいなの?」

「えっと……ちょっと待ってくれ」


 僕はカバンの中からこの間の模試の結果通知を取り出した。


「この前の模試だと……これぐらいだったけど」

「それじゃあ、私の志望校には少し厳しいわ。月ノ下くん、私のそばにいたいんでしょう? だったら同じ大学に行かなきゃダメでしょう?」


 そう言って彼女は微笑んだ。


 きっとこれでめでたしめでたしという訳ではない。今は僕と星原がうまく行っているように思えてもこの先はどうなるかわからない。


 だけど。今この瞬間は。好きな女の子の笑顔が目の前にあるこの瞬間だけは、僕の中に永遠に刻まれて色あせることはないのだろう。そして。


「ああ、それはそうだな」と僕は答える。


「じゃあ、ここで今度から一緒に勉強しましょう? ね? たまには気分転換に小説の構想を練るのもいいし、元々ここは勉強するって言って借りた部屋なんだし」

「また、星原の小説が聞けるのか。それは悪くないな」


 僕と彼女の放課後は、まだもう少し続くようだった。

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