第37話 彼女の物語 その4

 少女が少年と別れて何年かの時が過ぎました。人々の考えは緩やかに変わっていき、今では誰もが自分自身の意思で人生を決めるようになりました。少女も自分の遺伝子に縛られることなく、小さな雑貨屋で働きながら趣味で絵を描くのんびりとした生活を送っていました。


 ただ少女は時折少年の言っていた言葉の意味を考え続けていました。その日も少女は仕事の片づけをしながらぼんやりと物思いにふけりました。


(なぜ彼は私の感性ならわかるといったのだろう。私が描いていた人間を動物に例えて風刺した絵と関係しているのかな)


(彼は答えは私のすぐ近くにあるとも言っていた)


(私があのころずっと考え続けていたこと。それはこの国の遺伝子判定システムに対する疑問だった)


(こう考えていた。なぜ自分の生き方を勝手に決められてしまうことに疑問を感じないのだろう。これではまるで遺伝子の奴隷だ。そうでなければ)


(そうでなければ、『』と)


 その時、少女の中に一つの閃きが走りました。


(まさか!)


「すみません」

「なに?」


 少女は友人であり優しい同僚でもある髪の長い眼鏡の女性に話しかけました。


「ちょっと用事がありまして、今日は少し早く上がらせてください」

「別に構わないけれど。ちゃんと次の日の担当さんが引き継げるようにしてね」

「はい」


 少女は雑貨屋を飛び出して、ある場所に向かいました。




 少女が向かったのはあの大臣の屋敷にあった隠し部屋でした。今では大臣は行方をくらまして屋敷は誰もいない廃屋となっていました。埃まみれの執務室に入ると壁にかかっていた絵を傾けました。すると以前と同じように隠し部屋の入り口が開きます。


 少女は部屋の中を物色しました。そこには遺伝子関係の書物や実験記録、そして大臣の日記がありました。


「これだわ。これを見ればはっきりする」


 少女は日記を読み始めました。それは大臣を含めた十二人の科学者たちがこの国に来た時の記録でした。そこにはこの国で昔起こった出来事が克明に記されていました。


『××月××日 我が国の人口はとうとう千人以下になってしまった』


 海の向こうの十二人の科学者たちが暮らしていた国はとても文明が発達し、労働の必要すらなかったのでした。人々は毎日食べることに困ることもなく、好きなことをして暮らすことができたのです。けれどもそれと同時に他者とかかわる必要性が希薄になっていき、結婚や家族という社会制度は緩やかに崩壊し、少しずつ子供が減っていきました。気づいたときには国家の維持すら困難になっていたのです。


 そこで十二人の科学者たちは新天地を求めて海を渡りこの地に来たのでした。そこは人間が一人も暮らしていない動物たちと自然にあふれる場所でした。


『××月××日 我々は計画の第一段階として、生活の基盤を安定させるために森を切り開き、田畑や牧場を作った。必要なのは哺乳類。それも繁殖させやすい牛や豚、犬などが計画には必要だ』


 彼らはこの地で暮らし、食べるための家畜や実験用の動物を繁殖させる体制を確立しました。けれども彼らの本当の目的はここで文明から離れて暮らしていくことではありませんでした。


『××月××日 いよいよ計画の第二段階に入った。我々の母国では犯罪行為となるが、この地でなら問題はない。これは人類を救うために必要なことなのだ』


 少女はその先にある文章を見て、息をのみました。



(やっぱりそうだったんだ。あの男の子のように遺伝子操作で人間を動物の特徴を植え付けることができるのならば、「その逆」だってもしかして、と思ったけれど)


 少女はあの日見た群衆たちの体にあった遺伝子操作手術の跡を思い出していました。


(あの人たちは、……いやこの国の人間たちは全て、みんなもともと動物だったんだ)


 少女ははやる気持ちを抑えながらページをめくりました。


 科学者たちが実行した動物を遺伝子操作して人間を人工的に作り出す計画は順調に進みました。そしてただ生産するのではなく、遺伝子傾向を解析して身体能力や知性に優れた有能な人間をデザインして生み出すこともできるようになったのでした。


 動物から作られた人間たちは、最初のうちはただ労働の道具として扱われていました。しかし科学者たちは彼らを教育し、子を産んで増やし社会を構成することを命じました。


 やがて彼らは見た目も中身も普通の人間と変わらなくなり、ほんの数十年でまともな文明社会が構成された国が誕生しました。


『××月××日 今日、計画は最終段階に入った。それは我々人類と作られた人類、デザイナード・ヒューマンとの間で交配し、正統な人類の遺伝子を引き継いでいくことだ。数世代が過ぎたころには我々と彼らの間に生まれた人類がこの地で増えていくことだろう』


 少女は感銘を受けながらページを読み進めました。


(ということは直接に遺伝子操作手術を受けた世代はもうすでに成人して、今いる子供たちが二世代か三世代目なのかしら)


『××月××日 正直、私はデザイナード・ヒューマンを人間と同列には見てはいない。そんな私をあのリーダーや仲間たちは非難する。だが、奴らはもともと動物なのだ。それならば私が支配し導いたほうが理想の国が作れるはずだ』


 若き日の大臣は遺伝子操作システムを社会的な身分制度に利用することを仲間たちに提唱しました。階級を設けることでより効率的にこの国を管理できると考えたのです。しかしそれにリーダーであるあの少年の父親は反対しました。少年の父親はデザイナード・ヒューマンをすでに同じ人間であり愛すべき隣人としてみていたのです。大臣はますます自分たちの仲間と敵対するようになりました。


 そしてある日、彼はこの国の人々をひそかに集めると、わざと歪めて真実を打ち明けました。『君たちは無理やり本当の親のところから連れてこられた』『覚えていないだろうが、君たちの両親や家族は食肉や実験のために処分されたのだ』


 デザイナード・ヒューマンの中には、かすかに家畜として扱われていた記憶が残っているものもいました。そのためその言葉は真実として受け取られ、ほかの十一人の科学者たちに対する恐怖が植え付けられたのでした。


 そして彼はさらに人々を扇動しました。『自分だけは君たちの味方だ』『あいつらは君たちを奴隷のように扱うつもりだ』『そうなりたくないなら殺せ』と。


 すべては自分がこの国を支配するためでした。


 その先は少年が語った通りでした。


 大臣は自分のかつての仲間を捕まえて処刑し、遺伝子操作システムを掌握するとこの国の権力者の座に座ったのでした。


 ただ、唯一少女がいまだ知らなかったことが残っていました。


『この地にたどり着く途中の船の中で生まれた女児は私が引き取ることにした。彼女はこの世界では貴重な『本当の意味での人間の女』だ。私が育てていずれ自分のものにしよう』


(これは……私? 私は動物ではなく人間だった?)


(そうだとすると、十三匹の悪魔というのは? 十二人の科学者とあの男の子だと思っていたけれどよく考えれば科学者の一人だった大臣が自分自身も含めて悪魔として扱っているのはおかしい)


(つまり、彼らが母国を出発した時点であの大臣のほかに十一人の科学者とあの少年がいた。そのあと船の中で私が生まれ、『彼と私と十一人の科学者』を含めて十三匹の悪魔とされていた。……ということは)


! もしかするとあの大臣は民衆の反感が自分に向きそうになった時にスケープゴートとして私を差し出すためにそばに置こうとしたのだろうか?)


 少女は無言で日記を閉じて屋敷を出ました。


 自分の家までの道を歩きながら少女は思います。


(認めたくないけれど、自分とあの大臣には共通する部分があったんだわ。私は自分に絵の才能がないけれど、それでも自分の生き方を自分で決めたかった。あの大臣も自分には人の上に立つだけの才能がないのに、それを認めずに『遺伝子判定システム』を利用して支配しようとしていた)


(でも自分自身が遺伝子で価値を決められて思うような生き方ができないことは認められずに逃げ出してしまった。自分の持ちうる才能を発揮して生きるのと、才能がなくても自分のなりたいものを目指すのとどちらが正しかったのだろう。……あの自分に何の才能もないと言っていた男の子なら何て答えるのかな)


 ある日の仕事の休憩時間。少女は職場の女友達にふと話をしました。


「ねえ。私、昔こんな男の子に出会ったの」


 自分の言葉がいつも他人に届かなくて、他人の神経を逆なでしまう弱気な男の子。


 けれども少女の描いた絵を、たった一人認めてくれた優しい男の子。


 少年を連れ出した少女を嘲笑する群衆たちを前に、わざと少女を騙した嘘つきのようにふるまって、かばってくれた男の子。


「へえ。そんなことがあったの」


 きびきびと仕事をこなす生真面目な友人は少女の話を親身に聞いてくれました。頷きながら、つぶらな瞳で少女を見つめるそのさまは可愛らしくも愛嬌を感じさせました。もしかして、この人は人間になる前は主人に忠実な犬だったのかもしれないな、と少女は冗談交じりに心の中で思うのでした。


「その子には何の才能もないのではなくて、現代の価値観では測れない才能があったのかもしれないね」


 少女の友人は隣に腰かけて、カップのお茶をすすりながらそんなことを言うのでした。


「現代の価値観では測れない才能? どんな?」

「例えば、予防接種みたいな」

「予防接種って、体内にわざと弱体化させた病原体を摂取させて、耐性や免疫力をつけるあれのこと? どういう意味?」

「だから、その子は他人に『心の免疫』を与える才能があったのかもしれない。あえて人々を挑発して見せることで、それまでシステムに盲目的に従っていた人々の思想を一段階すすめて見せたんでしょう?」

「『心の免疫』……」


 少女は思いました。


(そうだ。私も彼の様子に最初は苛立ちを感じたけれど、だからこそ自分の弱さを見つめることができて、自分の夢に向き合う勇気が持てたんだ。それに考え方の違いを乗り越えて分かり合える楽しさを教えてくれたのも彼だった)


「それで、その男の子はどうしたの?」

「どこか遠くへ行ってしまったわ。しばらく身を隠すといっていた。もう何年もたってしまったけれど。この国を変えて今よりも暮らしやすい社会になったらまた戻ってきてくれるといっていたのに」

「きっといつか会えるわよ」

「そうかしら。……うん。きっとそうね」


 少女は微笑んでうなずきました。


 家に帰ると少女は部屋の中で一人、キャンバスに張られた描きかけの絵を見つめました。


(もう少しで描きあがるだろうか)


 少女はその絵を完成させるべく、絵筆をとりました。


(いつか、あの少年が戻ってきてくれた時にはこの絵を見てもらおう)


 それは背中に赤いあざのある鯨にもう一頭の鯨が寄り添って仲良く泳いでいる、見る者を優しい気持ちにさせる絵でした。

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