第35話 彼女の物語 その2

 それから少女は少年のところに何度も足を運びました。


 何度も行き来するうちに警備の兵士も少女のことを気にしなくなりました。


 少女はいろいろな話をしました。子供のころの暮らしや、今までの生活。そして少女自身の本当の夢について。


 ある時少年は言います。


「それじゃあ、君の絵を一度見せてくれないかな」

「誰かに私の描いた絵を見せるのは初めてなんだけれど」


 少女はそういって少年の前で絵を描き始めました。それは『豪華な服を着た豚の舞踏会』や『ドレスを着た猫の気を引こうとする犬』など技巧的につたないながらも少女の感性を感じさせる絵でした。


「面白い絵だね」

「あなたには絵がわかるの?」

「別に見る目があるわけじゃあない。でも描いている人間の懸命な情熱は感じる……と思うよ」

「煮え切らないわね」

「僕にとっては良い絵ってことさ。芸術なんてそんなものだろ?」


 少女は彼と話していると不思議と心惹かれるものを感じます。


「不思議だわ。私はこんな風に自分の思っていることを話したのは初めてかもしれない」

「じゃあ、君は周りの人間にいつも嘘をついているの?」

「嘘というわけではないの。ただ、周りの人はみんな自分たちの遺伝子の才能に従って最適な人生を歩むのが当たり前なの。付き合う人間さえも遺伝子で決められている。だからみんな性格や考え方も相性が合うようになっていて争いやトラブルもおこらない。私もそういうシステムに自分を合わせて生きてきた。でも……」

「でも? 何だい?」


 少女は今まで感じてきた疑念やわだかまりを絞り出すように言葉を続けます。


「それはみんな似たような考え、似たような性向を持つ人間同士の集団しかいないから争いが起きなかっただけで、本当は『考えの違う人間と出会う機会』が切り捨てられていたんだわ。そしてそのことを疑問にも思わなかった」

「でもそれは自分と考えの違う人間と関わらないですむのなら、それは好ましい世界ともいえるかもしれないよ?」


 少年の疑問に少女は彼の顔を一瞬見据えてから首を振って答えました。


「いいえ。あなたを見て気が付いたの。もしも悪意を持った外敵がやってきたとき、今のように誰も傷つかない生活しかしてこなかった人間たちだけでは抵抗することができない。というより『抵抗』という概念そのものを持てないかもしれない。それにもしも表面上は善良にふるまって巧妙な嘘をついて人々を利用する悪人が現れたら、今の人々は盲目的に従ってしまう。あるいは、もう……」

「あるいは、もうそういう人間がこの社会の中に紛れ込んでいてすでにこの世界は彼らのいいようにされているのかもしれない?」

「そう。そう思う。だって現にあなたのように何の罪もない人間がこんなところに押し込められているんだもの」


 少年は少女の言葉に考え込むように首をかしげます。


「どうかな。罪のあるなしはともかく僕に飛びぬけた才能が何もないのは本当だろうし」

「遺伝子的にはそうなのかもしれない。でも、誰も褒めてくれなかった私の絵をあなたが認めてくれた時に気が付いたの」

「何に?」

「周りに合わせる必要なんてなかったんだって。確かに私には絵の才能なんてないのかもしれない。でも、楽しんでくれる人が一人でもいるなら私の描いた絵は無意味じゃあない。だって何に価値を見出すかなんて人それぞれでしょう。だから……だから。あなただって、きっとどこかに必要としてくれる人が」

「そうだね。もっとも僕自身は自分に価値を見出せないけどね」


 少年は依然としてどこか後ろ向きです。


「私は自分自身に他人が評価する価値があるかどうかよりも自分が何がしたいかの方が大切だと思うわ。……私は本当は政治家の妻になんてなりたくない。私は絵を描きたいの。例え大成する可能性がゼロに近くたって自分のやりたいことをしてみたいの」

「でも、今の社会ではそんなこと許されないんだろ?」

「こんな遺伝子判定システムなんて、廃止するべきだって私はみんなに訴えてみる。だって私にはカリスマ性をもつ指導者の資質があるんだもの。できるはずだわ。……ねえ、私と一緒に来て。あなたに協力してほしいの。ここを出ましょう」


 少年は一瞬驚いた顔をした後、「こんな僕のことを必要とする人間がいるとは驚きだ」と苦笑して立ち上がりました。


 それから少女はくすねていた牢屋の鍵で扉を開けると少年をつれて山を下りました。


 

 そして、数日後。

 大臣の屋敷で再び婚約の祝宴が催された時のことです。

 その場にはこの国の上流階級や権力者たちも集まっていました。


 少女は挨拶を求められたときに「この場をお借りして皆さんに紹介したい人物がいます」と前置きをして「こっちへ来て」と扉の陰に隠れていた少年を手招きしました。


 角をはやした少年の姿を見て人々はどよめきました。


「彼はもともと普通の人間でした。しかし遺伝子判定システムで突出した才能がないと判定されて、政府の手で遺伝子操作手術でこのような姿にされて隔離されていました」


 人々の目が無遠慮に少年に向けられます。少年は何となく居心地の悪そうな表情でした。少女は少年を守るように人々の前に出て主張します。


「彼の父親は数十年前に海の外から来てこの国を発展させた科学者たちの一人でした。でも私たちは彼らの恩を仇で返し反逆者として扱い虐殺した挙句、十三匹の悪魔という逸話にすり替えて自分たちの行いを正当化してきたんです」


 人々の中には少女の言葉に思い当たるところがあるのか、顔をしかめて黙り込む者も何人かいました。


「確かに遺伝子判定システムは便利かもしれない。でもこのシステムには近い将来重大な問題が発生します」


 少女は人々の前で懸命に説きました。


 社会に必要な才能を持つ人間が必要なだけ生まれるとは限らない。希少で有益な才能を持った人間が生まれることもあれば、ありきたりな才能を持った人間も現れる。やがてそれは同じ才能を持った人間同士の競争や才能の価値の優劣を生みはじめ、やがて差別という社会の歪みにつながっていくのだ、と。


「現に、彼のように突出した才能を持たないと判定されて隔離されている人間がいるんです」


 しかし人々から返ってきた言葉は彼女の言葉を否定するものでした。


「遺伝子判定システムは万能だよ。何の才能も持たない人間だって? それはそもそも我々と同じ人間とは言えないんじゃあないのか」

「そもそも能力がないのは才能の有無ではなく、本人の怠惰が原因なんでしょう」

「ばからしい。騙されているんじゃあないの」

「そもそも何の才能もなかったから、そういう姿になったんだろう。その時点で私たちと同じ人間とは言えないな」


 * * *


「なぜ、その世界の人間たちは主人公の女の子のいうことを信じないのかな?」

「彼らは生まれてきた時から自分たちの才能をいかんなく発揮して成功してきたの。だから自分たちの世界では『努力している人間は報われる。正しい人間は必ず勝利する』。そういう幻想を持っているのよ。公正社会仮説というやつね」


 星原の言うことがいまいち理解できずに僕は首をひねる。


「公正社会仮説?」

「つまり世の中は常に正しく回っていて、正しく生きるものが幸せになれるという考え方よ。一見まともな考えに思えるけれど、この考え方を信奉している人間は弱者に対して冷淡になる。つまり『努力しても結果的に上手くいかなかった人』や『環境が原因で努力する機会すら与えられなかった弱者』の存在を認めないの。『その人間が正しくて、努力したのなら上手くいくはずだ。それなのに成功しないのはその人間に問題があるからだ』と考えるの」

「ああ。生まれつき肉体面や経済面に不具合がある人がいたとして、そういう人から目をそらして自分とは関係ないって思いたがる『善良な市民』は多いかもね」

「この話でもそれぞれの才能を開花させて幸せに生きている人々は、何の才能も持たない少年の存在そのものが認められなかったわけ。彼の存在そのものが彼らの社会の矛盾をも証明してしまう不都合な事実だったから」


 * * *


「そんなことを本気で言っているのか。どうやら君はそこのできそこないにたぶらかされているようだ」


 大臣が少女の近くに来て見下ろすように言いつのりました。そして群衆に対して呼びかけました。


「諸君! 騙されてはいけない。この少年こそ、この国に隠れ潜んでいた十三番目の悪魔だ。海の外から来た我々とは違う生き物だ。人を騙し傷つける邪悪な因子を持った存在だ。その証拠に角が生えているだろう」


 人々は大臣の言葉に気味が悪いほど従順に同意します。


「そうだな。こいつこそ我々を苦しめた悪魔の生き残りだ」

「人を平気で騙し傷つけるだなんて。やっぱり私たちとは違う生き物だわ」


 少女はそんな人々に必死で反駁します。


「そんな。……この子は私を傷つけたことなんてないの。みんなもう一度冷静になって考えてみて!」


 しかし少年の姿に悪魔というイメージを刷り込まれた人々は耳を貸そうとしません。少女はそれでも懸命に訴え続けます。


「さっきも言ったとおり、角が生えているのは遺伝子操作手術を施されたせいで……。その証拠にこの子の首には手術痕があるでしょう?」


 少女は少年に後ろを向かせ首の後ろを指し示しました。


 しかし人々は一瞬黙り込んだ後、ざわめきが広がりそして笑い出しました。呆れてため息をつく者もいます。


「何? どうしたの?」


 少女の疑問に答えるように群衆の一人が胸元を見せました。


「そんなのが手術痕だっていうのなら俺にもあるぜ」

「私だって」


 そこには少年と同じ赤い花の入れ墨のような痕がありました。


 大臣がそこで口を開きます。


「君は世間知らずだから知らないのかもしれないが、生まれつきそういうあざを持った者はこの地にはたくさんいるのだよ。民族的な遺伝なのだろうが、珍しいものではない。君は騙されたのだよ」


 人々も口々に少女に反論します。


「見たことがないから信じないのだろうけど、実際に悪魔はいたの。私の親は食い殺されたのだから」

「俺の兄は何もしていないのに連れていかれたんだ」


 少女は呆然としました。確かに少年の言ったことは何の証拠もなかったのです。特に才能も持たず疎外されていた少年の存在自体がこの遺伝子管理社会の矛盾とも思えましたが、外から来たこの国の人間とは違う「悪魔」だったというのならそれも辻褄が合うのではないか。自分は騙されていたのではないか。少女はそう思いかけました。


 その時です。


「偉くなったもんだな。ジューダス」


 少年が唐突に声をあげました。それは何かを糾弾する怒号のようにも何かの呪文のようにも聞こえました。人々は何が起きたのかと様子を見守ります。


「な、お前は。……どうして」


 大臣は驚いたように少年を見ました。


「やっぱりそうか」と少年は呟きます。続けて群衆の前で宣言しました。


「確かに僕はみんなの言う通り悪魔の血を引いているよ。ずっと閉じ込められていたから逃げ出すのにそこの少女を利用したんだ。この子は騙されていただけのいいカモだったのさ」


 少年の言葉に人々は非難の声をあげました。


「やっぱりか!」

「ようやく認めたのね! この悪魔!」


 動揺していた大臣も場を取り繕うように少年に詰め寄ります。


「ふん。自分自身の害悪を認めたか」

「害悪、ね。……でも、僕は生まれてから意図して人を傷つけたことは一度もないよ。何故かって、周りの人間はみな僕より優れていて、僕には他人を傷つけるような力さえもなかったんだからさ。ただ他人に対して攻撃的な人間は排除するべきだというのは実に正しいね。……それで、あなたたちは今、僕に対して攻撃的になっていないといえるのかな」

「この私がお前と同じ悪魔だというのかね。私に角が生えているように見えるのか?」

「さあね。でもあんた、遺伝子判定システムを受けていないんだろう?」

「何を、ばかな。……何の根拠でそんな言いがかりを」

「もしあなたに本当に政治家としての才能があるなら、いま彼女が言ったこの社会の歪みを放置しているはずがないからさ」


 大臣はぐっと何かをこらえるような表情になりました。


「本当は怖くて受けられないんだろう。もし自分が大した才能がなかったら。あるいは政治家の才能なんてないとわかってしまったら。今の地位を追われることになるかもしれないものなあ。……それともシステムを裏で操作して、自分が優秀な遺伝子の持ち主だったことにするのかい?」

「大臣がそんなことするはずがないだろう!」


 群衆が声をあげました。少女は驚きの連続で頭が真っ白になりそうでした。この国では人々はみな穏やかに不自然なほどにいさかいを起こすことなく暮らしていたのです。少女は生まれて初めて人々が怒りをむき出しにするところを見ました。


 少年はそんな群衆たちに挑発するように言い返しました。


「そうかそうか。それじゃあ、彼の遺伝子を判定してみればいい。でもどうせ結果を操作されてもそれに気づかず騙される愚か者ばかりだろうけどな」

「ふざけやがって!」

「そいつを捕まえろ!」


 少女の見ている前で群衆の一人が少年に飛びかかりました。そのまま何人もの人間が少年に襲いかかり少年は縛り上げられ連行されました。

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