第29話 職員室、そしてバスの中で

 虹村が僕らの部室を訪れた翌日。僕は放課後に担任の亀戸先生の所に進路関係のプリントを提出するべく、職員室に足を踏み入れていた。


「先生、月ノ下です。プリントの提出に来ました」

「おお、ごっくろうさーん」


 緩いトーンで返事をした亀戸先生は携帯電話のモバイルゲームをやっている。


「……それ、面白いですか」

「ん。ああ、いやほら。うちの生徒の中にもやっている奴いるだろ。まあ若者がどんなものに興味を持っているのか、知っておくのも教師の務めかななんて思ってな。ははは」


 その割には横から見る限り、かなりハイスコアを出しているような。


「じゃあ、もし先生が携帯を持ってくるな、って言われたら困ります?」

「ん、ああ、例の携帯を持ち込み禁止にするべきかっていう話か。先生は持ってきていいのに生徒はダメなのは不公平じゃないかって言いたいわけか? そうは言ってもテストのときとかのカンニングに利用されるのはやっぱり問題だろう? それに授業中のメールのやり取りとかについても問題になっているしな。テストのカンニングなんて教員の場合は関係ないし、流石に授業中にメールする教師はいないから、それを不公平というのとは違うだろ」


 亀戸先生は教師と生徒の立場の違いを強調するような物言いで反論する。


「あの、主に携帯の持ち込みを禁止を主張しているのは四谷先生なんですよね。禁止の根拠というか、論点になっているのは今の『テストのカンニング』と『授業中のメール』の二点なんですか?」

「うん、まあそうだが。どうかしたのか?」

「いえ別に。それでは失礼します」

「おお、来週からは期末テストの作成時期だから職員室に入れなくなるぞ。気をつけろよ」


 僕が「はい」と踵を返したそのとき、四谷先生が廊下から入ってきた。


 髪をきっちりと撫でつけて、眼鏡をかけた神経質そうな壮年の男性教師だ。顔だちは渋い男性俳優のようで、いかにも厳格で意志の強さを感じさせる先生である。


 僕は立ち止まって一礼すると四谷先生も黙って会釈して僕の隣を通り過ぎた。


 背後から亀戸先生との会話が聞こえてくる。


「四谷先生。この前のテストのスケジュールの件ですけど」

「ああ、明日までにPCメールで私の所に送っていただければ結構ですよ」

「そうですか。……ところで再来週ご家族で誕生日のお祝いするんで、お休み取られるんですってね」

「いやあ、でもですねえ。もうこの年だと『祝ってもらっても嬉しくもなんともない』という雰囲気でして」

「いいじゃないですか。大事ですよ、そういうの」


 会話をする先生たちをしり目に、僕はそのまま廊下に出た。


 持ち物検査にしても携帯の持ち込み禁止にしてもそうだが、教員だって自分の荷物を調べられたり携帯を没収されたらいい気分はしないだろうに。


 生徒を管理する立場と責任があるのは分かっているが、それならば実際に秩序を乱して迷惑をかけたやつだけに指導してほしいものだ。


 少なくとも人に迷惑をかけない範囲であれば、CDとか漫画の貸し借りとか学校でやっても構わないと思うし、授業中に使わないなら携帯を持ってくるぐらいは問題ないと思うのだが。


 まあ、だからといって自分に何ができるわけでもないけれども。


 僕は頭の中でぼやきながら教室に足を運んだのだった。




 あくる日の放課後のこと。僕は学校を出てバス停で最寄りの駅に向かうバスが来るのを待っていた。


 今日は木曜日。予備校に行く日である。明彦と一緒に帰るわけでもなく星原と過ごすわけでもない一週間で一番つまらない放課後だ。しばらくして駅に向かうバスがやってきた。


 定期券を車内のICカード読み取り機にあてて乗り込む。


 だが僕が乗って数秒後、ドアが閉まる直前に誰かが急いで乗り込んできた。


「す、すみません! あれ、月ノ下くん?」

「……虹村」


 バスの中はガラガラで座席の半分以上が空いている。僕が二人用の席に座ると、虹村はそのひとつ前の席に座った。虹村はふと振り返って話しかけてきた。


「今日は星原さんと勉強しないの?」

「予備校があるんだ」

「ふうん、そっか……ねえ、月ノ下くん」

「何?」

「やっぱり星原さんと付き合っているの?」

「いや、違う」


 やはり誤解していたらしい。若干つっけんどんな声で僕は答えた。


「そうなの?」


 虹村はいぶかしむように僕の顔を覗き込んでくる。


「そうだよ」


 答えると納得したように虹村はふうん、とつぶやいて前を向いた。


「あのさ、虹村」


 僕はこの間から気にかかっていたことを虹村に尋ねてみることにした。


「虹村は携帯持ち込み禁止になるのはやっぱり嫌なのか?」

「えっ」

「ほら。星原の所に話に来た時に何だか暗い感じだったからさ」

「ああ。顔に出ちゃっていたんだ。……あのね。私、小さいころ両親が共働きでいつもおばあちゃんに面倒見てもらっていたの」


 話が少し飛んだような感じだが、とりあえず僕は黙って聞いていた。


「おばあちゃんは小さいころの私にいろいろ遊びを教えてくれたり童話の本を読んでくれたりしていつも優しかったから。私すっかり、おばあちゃんっ子になっていたの」

「……」

「でも私が高校に入ってから、おばあちゃん体調崩しちゃって病院に入院してるんだ」

「お年はいくつぐらいなんだ?」

「八十歳だけど」

「それは……」


 仕方ないんじゃないかと、言いかけて言葉を飲み込んだ。

 だが、虹村は僕の言おうとしたことを察したらしい。


「うん。まあお医者さんも老衰だからいろいろ体に問題が出てくるものだ、とは言っていたわ。だけど、もし私が学校にいるときに容体が急変したらどうしようって。もしもの時には学校から病院に駆けつけたいんだけど……」


 あ、もしかして……。


「それで緊急時に病院か虹村の両親から連絡してほしいから、携帯を持っていたいということか。でもそれなら携帯じゃなく学校に電話してもらえればそれで済むんじゃないのか?」

「授業中とかならそうなんだけど私クラス委員だから。委員会とかの活動で週の半分くらい十六時以降も学校にいるの。……うちの学校の外線って十六時までしかつながらないのよね」

「そうなのか」

「外線電話は事務室にしかなくて、事務員の人は十六時半までしか勤務していないでしょ?」

「そういや、そうだったような気もするな。あ、でもそれなら亀戸先生の携帯の番号を聞いてかけてもらえば……。いや先生だって授業中には出られないし、そもそも亀戸先生だっていつも遅くまで残っているわけじゃないか」


 やっぱり必要な人には必要なんだな。携帯電話。


「なあ。その携帯持ち込み禁止の話って何か紙で規定案か何かあるのか?」

「え、一応あるけど」


 虹村はカバンの中からプリントを出して僕に見せた。


 僕は隅から隅まで目を通す。書かれている内容は携帯を持ち込み禁止にする理由とその対象について端的にまとめたもの、破った場合の罰則、それに責任者の四谷先生の連絡先程度だった。


 何か抜け道はないかと期待したが無駄か。


「だったらさ、先生に相談してみればいいんじゃないかな。事情を話して特例として認めてもらえば……」

「え、ああ、そうね。でも……そこまではできないわ」


 その後の虹村は、うつむいて黙ってしまった。


 バスが駅について僕は虹村と降りる。虹村は帰る方面が違うようなので「それじゃ、さよなら」と駅の改札で声をかけると、虹村は無言で笑って手を振った。

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