第30話 「招かれざる客」 

 天気はどんよりと曇り、太陽の光は薄く部屋の中を照らしていた。

 

 バスで虹村と話した次の日の放課後である。


 僕はいつものように部室のソファーに座っていたが、何だか携帯電話を完全に持ち込み禁止にしようする学校側への反発と昨日の虹村の態度などが気になってもやもやとした気分だった。


 同じくソファーに座って小説の構想を練っているらしい星原をちらりと見る。


「なあ、星原」

「何?」

「実は、昨日さ。たまたま帰りに虹村とバスで一緒になったんだけどな」


 僕はバスの中で虹村から聞いた事情を簡単に星原に説明した。


「学校に相談すれば、虹村一人ぐらいそういう事情があるなら携帯電話持たせてくれるんじゃないかと思うんだけど。でも虹村はそこまではしたくないって言っていたんだよな。そういうのって気後れするもんなのかな」

「……月ノ下くん。それはなんというか」


 星原は僕に何か言いかけて黙った。


「何だよ?」

「うーん、わからないかしら? 虹村さんの立場。何と説明したらいいのかな。『招かれざる客』?」


 星原の言っている意味がよくわからない。「招かれざる客」って呼ばれてもいないのにやってくる迷惑な客のことだと思っていたが。


 僕がちんぷんかんぷんな顔をしているのを見て星原はもどかしそうな顔をしていたが、咳払いをして話を続けた。


「だから。『招かれざる客』というのは映画のタイトルなのだけれど月ノ下くんは見たことある?」

「ああ。そういう映画が昔あったというのは聞いたことあるが見たことはないな。……でもそれが虹村とどう関係するんだ?」

「『招かれざる客』っていうのは、一九六〇年代のまだ人種差別が激しかった時代に制作されたアメリカ映画なの。内容を簡単に説明するとね。ある白人の新聞会社の社長さんがいて、その人は日ごろから人種差別はいけないことだって主張する立派な人格の持ち主だったの」

「ほうほう」

「それでね。その社長さんには美しい娘がいたんだけど、あるとき『お父さん。私、この人と結婚したいの』って言って男の人を連れてくるの。でもその人は何と黒人だったの」

「でもそのお父さんは人種差別に反対している人なんだろ。問題ないじゃないか」

「わたしもそう思ったんだけど。ところがその社長さんは『黒人と白人が結婚したら世間がどんな目で見ると思っているんだ。駄目に決まっているだろう』って猛反対するのよね。私、思わず笑ってしまったわ。『おいおい、日ごろの主張はどうしたのよ』ってね」

「なるほど。素晴らしい手のひら返しぶりだな」


 僕もその「大人物とされている人間が豹変する様」を想像して思わず笑いがこみ上げる。


「まあ、映画の展開についてはその後色々な人がそれぞれの立場から二人の結婚に賛成したり反対したりして、最終的にはお互いの両親が駆けつけて話し合って大団円を迎えるのだけれどね。やっぱり私はその新聞社の社長さんが印象深かったのよね」

「へえ。社会風刺は深く感じられる映画みたいだな」

「そうね。……例えば月ノ下くん。『道に落ちているごみを拾って、収集所とかくずかごまで持っていって捨てる』これって正しいことよね?」

「まあ、そうだな」

「じゃあ実際に道端にごみが落ちていたら、拾って正しく処分する?」

「うーん。すぐ近くにくずかごがあるなら、そうするけど。そうじゃないならしないな」

「あらどうして? だって道に落ちているごみを拾って、処分するのは正しいことだって、今さっき月ノ下くんも同意したじゃない」

「そんなこと言ったって、自分に急ぎの用事があったりするときまで、道端に転がっているごみをいちいち拾って処分していたらきりがないだろ」

「まあ、そうでしょうね。ちょっと意地悪なこと言っちゃったけど。……でも、そういうことなのよ。人間誰しも正論を口にするけど、それを実行するために自分に実際に苦労や負担が降りかかるとなると、考えが変わったりするものだと思うわ。その新聞社の社長さんのことも私は最初笑ったけれど、よくよく考えると人間なんてみんなそんなものだなって思ったわ。そして、虹村さんも同じジレンマで悩んでいるのよ」

「え?」


 あ、そうか。僕はこの間、虹村が携帯を鳴らしていた阿佐ヶ谷に注意した時の言葉を思い出した。あのとき虹村はこう言ったのだ。


『特別扱いして見過ごしたら、他の人も『じゃあ、私も』ってなって誰も守らなくなってしまうわ。示しがつかないじゃない』


「なるほど。……特別扱いは良くないって主張していた取り締まる立場の虹村が、先生から特別扱いしてもらって携帯電話を持っていたら、周りの奴らは納得しないかもしれないな」

「少なくとも良い目では見ないでしょう。そのことを予想したから虹村さんは先生に相談して特例を認めてもらうのに躊躇しているのでしょうね。今まで特別扱いは良くないと主張して来たけれど、いざ自分が特別扱いが必要な立場に立ってみると自分の画一的な正論を実行するのは個人にそれなりの負担を強いることだったことに気が付いた。でも今さら声を大にして主張してきたことをひるがえして自分を特別扱いしてもらうこともできない、と悩んでいるのね」

「そうだったのか」


 僕はこの間、星原とした雑談を思い出した。


 あの時は政治家にマイノリティの不具合が降りかかることで、少数派のためになるような政治をするようになる、という話だった。それと対照的に今回星原の語った『招かれざる客』の話は黒人の味方をしていた新聞社の社長が自分の娘が黒人と結婚するとなると、猛反対したというものだ。


 要は傍観者的な対場だった時は大局的な正論を口にするが、自分が当事者になってみると損得勘定でものを考えるようになるという話である。


 つまり虹村は正論を口にしていた自分と、当事者になってしまった自分を割り切って考えることができずに悩んでいたのだ。


 そんなことにも気づかずに僕はずいぶん気楽な調子で虹村に「先生に相談したら」なんて言ってしまった。


「なあ、星原」

「ん?」

「なんとかして虹村が携帯を使えるように、携帯の持ち込み禁止を撤回する方法はないかと今考えているんだけど」

「……あらあら。この間虹村さんが来た時といい、ずいぶん彼女のことを気にかけるのね」


 なぜか星原がからむような口調で僕をにらんでいた。僕が思わずたじろぐとフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。


「そういえばこの間は日野崎さんとも仲良くしていたし、後輩の女の子にも声をかけていたわね。そんなに私より他の女の子が気になるのかしら」

「何を言っているのか分からないが僕は星原と一緒にいるのは楽しいよ。そもそも星原の事が嫌いなら部活に誘われたときに断っている」


 その言葉に星原は少し機嫌を直したのか、満更でもなさそうな顔で向き直る。


「それなら、このままずっと私とゆるい感じの日常トークを続けましょうよ。二人で」

「いや、だからこのまま携帯が持ち込み禁止にされたら、僕らの部活の関係の連絡もちょっと面倒になるだろ。つまりは僕らのためでもある。頼むから話を進めさせてくれないかな」


 僕はコホンと咳払いをした。


「この間亀戸先生に聞いたんだが、四谷先生は結局のところ『テストのカンニング』『授業中のメール』この二点を問題視しているらしいんだ。つまりこの二点について携帯の持ち込みを禁止しなくとも解決できる、もしくは携帯を禁止したところで合理的ではないということを説明すれば四谷先生も納得して携帯の持ち込み禁止を撤回してくれると思うんだ」

「理屈の上ではそうかもしれないけれど、現実には大の大人である先生が生徒の言葉に耳を傾けて意見を変えてくれるなんてことはないと思うわ。私たちの知らないうちに職員会議で結論が出てしまうんじゃない?」

「でも、会議で主張するのは四谷先生なんだ。だから会議が開かれて結論を出される前に、四谷先生を説得すればいいんじゃないかと思うんだよ」

「説得? それ自体も難しいような気がするけど。仮にできても四谷先生だって立場ってものがあるんだし、下手をしたら話がこじれてしまうんじゃないかしら」

「それについては僕に考えがある」

「……どんな?」


 星原がいぶかしげな顔で僕を見た。

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