初めてのデートと勝ち組の意味

第19話 二種類の才能

 静寂で満たされた教室に少年と少女が佇んでいる。他のクラスメイト達は既に下校しており、見つめあう二人の周囲には切ない空気が漂っていた。

 

 少年の顔を見上げる少女の瞳はかすかにうるみ、顔はほんのりと赤らんでいる。


「私、いままであなたに何度も助けてもらったわ。だからお礼がしたいの」

「お礼?」


 少年が戸惑っていると少女は「もう、鈍いんだから」とつぶやいて少年の前でスカートのホックを外した。パサリとスカートが床に落ちる。


「えっ」


 少女の脚線美が露わになる。ブラウスの下からは白磁のような肌と美しい曲線を描く足がのびている。さらには少女の下腹部を包む白い下着がその扇情的な意匠をブラウスの合わせ目からのぞかせていた。


「ほら、みて? 私、結構体には自信あるんだよ?」


 そう言いながら少女はリボンタイも外してしまう。


 少女が身にまとっているのは、下着とブラウスだけだ。そのブラウスも第二ボタンまで外していった。大人になる一歩手前の少女の胸のふくらみは服の下からその薄い布地を押し上げ、その存在感は否応なしに少年の目に飛び込んでくる。


「まずいよ、こんなこと」

「固いこと言わないで。誰も見てなんかいないわ。……あなたの事が好きなの。私をあなただけのものにしてほしいの。だから、今すぐに私にあなたを刻み込んで? ね?」


 少女は驚いて後ずさる少年にそっとすがりつく。気づいた時には少年は少女にのしかかられていた。


 少女の整った顔が少年のすぐ目の前にある。少女の手は少年の背中にまわされていた。息づかいが少年の耳まで届き、柔らかな体が少年の胸に押しあてられる。


 少年の胸は高鳴り、自分の中の欲望に逆らえなくなっていく。


「俺、俺も、お前のこと……」


 その時、教室のドアが開け放たれた。

 そこには眼鏡をかけて長い髪を両脇でおさげにしている、真面目そうな少女が立っている。


「い、委員長!」


 目を悲しみにうるませて、廊下から現れた少女はしぼりだすように声を上げる。


「ひどいよ! この前は私の事ずっと守ってくれるって! 一緒にいてくれるって言ったのに!」


 そう叫んでおさげの少女は、背を向けて走り去っていった。


「あ、待って……」


『ついに、知られてしまった二人の関係! 二人の少女の間で揺れる少年は……』




「ないわね」


 星原は読んでいた雑誌をばさっと乱暴に閉じた。


 彼女は小説の参考にするため、ある週刊少年漫画誌をいつものようにソファーの上に寝そべりながら読んでいたところだった。


 読んでいたのはいわゆるラブコメ枠というべきか、少年漫画誌によくある主人公の男が複数の女の子から偶然好意を寄せられる展開の漫画だ。


 六月に入り、制服はすでに夏服になっていた。星原も半そでブラウスに制服のスカートという格好である。


 星原はソファーに座って英語の単語帳をめくっている僕の方を横目で見ると、読んでいた漫画雑誌のページを開いて見せながら聞いてきた。


「ねえ、やっぱり月ノ下くんもこんな風に女の子に迫られたりしたら、嬉しかったりするの? 女の子の私としては、どうもこういう漫画の女性キャラに違和感を覚えて、ムズムズするんだけれど」

「まあ一般的に異性から好意を持たれてアピールされるのは悪い気がしないものだと思うけど。そんなに理解しがたいかな」


 実はこの漫画の単行本持っているとは言えそうにない。


「月ノ下くんは男の子目線で見ているから違和感ないのかもね。じゃあ、男女の立場を逆転させて考えてみてよ。なんなら男のポジションに自分をキャスティングして想像してもいいわ」


 男女の立場を逆転して……?


 それは僕がこの漫画のヒロインのように、情熱的に女子に迫るということだろうか。


 僕は二人きりの教室で『……どうだ? 俺の体綺麗だろ?』『お前が好きなんだ。お前に俺の気持ちを刻み込みたい』などと言いながら、服を脱ぎ始め女子に迫る自分の姿をイメージしようとして首を振った。


「あぁ……。ないなあ。たとえ僕でなくTVに出ている男性アイドル並みの美男子がやってもおそらくアウトだ。気が弱い女子なら、怖くなって逃げだすかもしれない」 


 星原はその言葉にうんうんとうなずく。


「そうでしょう? あなたが今感じているその違和感とか嫌悪感と同じものが、私にもこの漫画の女の子キャラを見ているとわいてくるのよ。……とはいえ、少女漫画でも同じことは言えるかもしれないわね。平凡な女の子の主人公が、線が細くってクールな感じの美青年と運命的に出会って、強引に迫られたりするシチュエーションの漫画とかあるもの」

「なんだ。じゃあ女の子だってやっぱり格好いい男の子に誘惑されたいとか思っているんじゃないか」


 星原は僕の言葉にむっとした顔で反論する。


「別に外見が良いからとも限らないでしょう。いざという時に頼りになるとか頭が良いとかそういうなにがしかの魅力がある男の子に好意を伝えられたら、そりゃあ女の子は嬉しいもの」

「だとしても外見の要素は大きいさ。外見がよければ自信だって自然とつくし、行動的になって失敗もするけどどんどん経験も積んでいってさらに魅力的になる。でも、外見が頼りなさそうだとそれだけで軽んじられて失敗しても嘲笑の対象になるし、経験を積むためのチャンスすら回ってこないこともあるんだ」


 主に僕のことだが。


 一方、星原はそんな自虐的な言説を唱える僕をたしなめるように睨んだ。


「見た目が原因でなかなか評価されないとしても、それでその人の他の長所や才能まで消えてなくなるわけじゃないでしょう?」

「……それは確かに正論だな。だけど、それでも僕と同じように考える人間は多いと思うよ。世界中の人間に『もしどんな才能でももらえるとしたら、何を願うか』って聞いたらやっぱり『どんな異性にも好かれる外見』を欲しがる人間が一番多いんじゃないかな」


 もちろん『運動神経がよくなりたい』とか『絵が上手くなりたい』とか生活をするのに困らないだけのお金を稼げる才能を願う人間はいるかもしれない。しかし、どんな願いもつまるところ『幸せになりたい』という一つの形に集約されるのだ。そして『才能を発揮して自己を他人に承認してもらう』のと等しい価値の幸せがあるとすればそれは『好きな相手に愛される』ことにほかならないと思う。


 だから何か一生を捧げる生きがいや目標を持っている人間ならともかく、そうでない大半の人間なら愛欲を満たすことを願うのではなかろうか。


「まあ、確かに異性に好かれる要素に『外見的な魅力』というのはあるのかもしれないし。そういうのも一つの才能だとは思うわ。……でもね月ノ下くん、一つ尋ねるけれど」


 星原は僕に向けて指を一本立てる。


「例えば百メートルを十秒で走れるほど足が速いとか数学の難問を短時間で解く知力があるとか、そういう才能と」


 ここで言葉を切って二本目の指を立てた。


「……外見が美しいとか人の心を動かす絵が描けるとかそういう才能。前者の才能と後者の才能の違いは何だかわかる?」


 僕は星原の言葉を咀嚼して数秒考える。


「前者は身体能力とかの才能で後者は感性に訴える才能ってことかな?」

「間違いともいえないけど私の期待した答えではないわね」

「じゃあ星原の期待していた正解は何なんだよ?」

「前者はそれ単体で才能として存在しうる才能。でも後者はね。『評価する観測者』がいなかったら才能として存在しえない才能なの」

「観測者……。ああ、外見が美しい人間がいたとしても、仮に世界にその人間しかいなかったらそんな才能は何の意味もないな。美しい絵が描ける才能もそう評価する人間がいて初めてその才能は成立する、といいたいわけか」

「ええ。世の中には観客がいて初めて成立する才能がある。でもそのたぐいの才能は時代の感性によって価値が上下する」


 彼女は白い指先で自分の瞳を指さしてみせる。


「『美は見る者の目に宿る』という諺があるのだけれど、まさに事の本質をついていると思わない? 『美しさ』という才能はそれを美しいと思う感性を持つ人間がいて初めて存在できる。しかもその感性は人によって少しずつ違うのよ?」

「そういえば外国のミスコン優勝者とか見ると綺麗は綺麗なんだけど、あんまり日本人の好みのタイプじゃあないな、とは思ったことはあるな」

「そうでしょう。そりゃあ外見的な魅力というのは確かにあるけれど、でもどんな外見を好ましく思うかなんて人それぞれなんだし、その人を構成する要素のごく一部よ。だから卑屈に考えないでもう少し積極的になってみるべきよ」

「積極的に?」

「ほら。……例えば、外見だとか頭の良さだとか、条件が同じ異性が二人いたとして、片方が親しげに声をかけてきて、片方が大人しく黙って見ているだけだったらやっぱり話しかけてくれる方に好意を持つのが普通でしょう?」

「まあ。そうかもしれないけど」


 星原はふいに立ち上がると窓のそばまで行って景色を眺めた。


「月ノ下くんも身近に気になる子がいるなら声ぐらいかけてみたら? デートに誘うとか」

「いや、でも拒絶されるとへこむだろ。次から学校の中で顔合わせづらくなるし。なんかこう言いふらされないかな、とか不安になるし」

「別に口説かれた側は、よほど気持ちの悪いアピールのされ方でなければ悪い気分はしないものだし、高校生にもなって言いふらしたりするような無神経な女の子はめったにいないわよ。そういうことする子はそもそも人の気持ちの機微がわからない、性格の悪いタイプなんだから振られた方が幸いってものだわ。それに、自分の方から声かけなかったら何も始まらない。彼女とか欲しくない訳じゃないでしょう?」


 星原はそう言って僕の方を振り返った。


 彼女の主張は一理あるが、僕にはライオンの檻に手を突っ込むのと同じくらい難しいことにしか思えない。そもそもデートに誘うということは当然OKしてもらえる程度に親しくなっていることが前提なのだろうが、どのラインからが誘っても問題ない関係なのか、僕にはわからないのである。


 いやむしろ自分の身の程を自覚しているからあえて迷惑をかけるまいと大人しく生きているのに、そういう自己啓発本に書いてありそうな意識の高い言葉を信じて行動したばかりに女の子から拒絶されて地獄を見た男が今までたくさんいるのではあるまいか。そんな反論が頭をよぎったが流石に自分の卑屈さをさらけ出してしまう気がして口には出せなかった。


 だからその時の僕は星原の言葉に、ただあいまいに頷くだけだったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る