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「テオドールお兄様は、健やかにお過ごしでした」


 ハンネローレちゃんが最初に口にしたのは、そんな言葉だった。

 クーデターを起こした罪で,、辺境の地に監禁中の皇弟テオドール。長兄に刃向かった次兄に対して、彼女が向ける感情はどこまでも優しかった。親しげだった。兄を慕っているのだとわかるハンネローレちゃんの姿に、ワタシは少しだけ違和感を覚えた。

 違和感というのとは違う。異質さだろうか。

 クラウディアさんは侮蔑とか敵意とか憎悪といった、何かもう色々とアレな負の感情を煮詰めたみたいなものをテオドールに向けていた。ただ、彼女の場合はアーダルベルトへの行き過ぎた忠誠心みたいな感情があるからだと思うので、ちょっと別枠扱いだ。

 対してエレオノーラ嬢は、好意と困惑の二つの感情を併せ持っている感じだった。テオドール個人を嫌っているわけではないけれど、彼が起こした様々な事件を受け容れることは出来ないという感じだろうか。どちらかといえばアーダルベルトの肩を持つ感じだった。

 その二人に比べれば、ハンネローレちゃんがテオドールに向ける感情は、好意しか感じない。大好きなお兄様について語っていると、表情や声音が物語っている。あの男がやったことを知っていながら、それでも彼女は好意だけを向けている。

 それは、どういう心境なんだろうか。ワタシにはちょっと理解できない。

 このお姫様は、可愛いだけのお姫様じゃないんだろう。芯の強さがあるのは何となく察した。でも、それだけじゃないような気がした。姉二人とは別の意味で、彼女も何か、皇女様らしい強さを持っているのだろうか。


「顔色も良かったですし、日々を穏やかに過ごしておられるようでした」

「まぁ、外部との接触を制限する以外は自由があるはずだからな」

「それと、随分と表情がお変わりになりましたわ」

「表情が?」

「はい」


 楽しげに、嬉しげに、ハンネローレちゃんはテオドールについて語る。その表情はどこまでも優しくて、幸せそうで、可愛らしいお姫様のものだ。

 大好きなお兄様、と全身で表現している。ワタシにはわからない。あの男のどこに、彼女がそこまで慕う何かがあるのかが。そんな風に純粋に好意を捧げられるほどの何かが、テオドールにあると言われても、信じられない。

 そんなワタシの微妙な感情に気付いたのか、ハンネローレちゃんがこちらを見て微笑んだ。澄んだ笑顔だった。ワタシの中でぐるぐると渦巻く黒い感情を宥めるような笑顔だった。


「ミュー様のおかげで、昔のテオドールお兄様が戻ってこられました」

「……え?」

「お父様が生きていらした頃のようなお顔を、されるようになりました」


 にこやかに微笑んで告げられた言葉に、ワタシは息を呑んだ。買いかぶりだと言いたい。ワタシは何もしていない。でも、ハンネローレちゃんの微笑みが、ワタシの言葉を封じた。

 ワタシがしたことといえば、奴の企みを阻止したことと、思いっきり喧嘩を売ったことだけだ。テオドールの心を変えるような何かをした覚えはない。あいつの心を動かしたのは、側で支え続けたカスパルや、ずっと心を砕き続けていたアーダルベルトだ。

 そう言おうとしたのに、ハンネローレちゃんは先回りするように頭を振った。


「きっかけは、ミュー様です。ミュー様の存在が、テオドールお兄様の目を覚まさせるきっかけなのですもの」

「……いや、ワタシ本当に、喧嘩売っただけなんですけど……」

「正面から、テオドールお兄様に何かを突きつけたのは、ミュー様が初めてだったのだと思います」

「……はい?」


 言われたことがよくわからなくて、思わず首を傾げた。ワタシの隣で、アーダルベルトは何故か納得したように頷いていた。こら相棒、自分だけわかってるんじゃない。ワタシに説明をしろ!

 そもそも、ワタシ以外の皆だって、テオドールのバカな行動にアレコレ言ってたはずだ。アーダルベルトもユリウスさんも、何度も言い聞かせてるはずなのだ。他にも言ってる人はいるだろう。ワタシだけじゃないのに、何でワタシだけそういう扱いになるんだ。


「身内ではないミュー様のお言葉だからこそ、届いたのだと思います」

「身内じゃないから……?」

「はい」


 ハンネローレちゃんはこくりと頷いた。ワタシにはやっぱりよくわからない。身内の言葉が届かなくて、外野の言葉なら届くってどういうことなんだ。

 そんなワタシの頭を、アーダルベルトがぽすぽすと叩いた。止めろ。手置きみたいに扱うんじゃない。ワタシの頭を手置きにするな。


「外野であるお前に言われて初めて、客観視出来たのかもしれんぞ」

「何その視野の狭さ」

「相変わらずお前はテオドールには辛辣だな……」


 思わず脊髄反射で呟いたら、アーダルベルトが呆れたようにぼやいた。いや、ぼやかれても知らんがな。別にワタシが辛辣なんじゃなくて、あいつがアホなだけだもん。

 そんなワタシとアーダルベルトのやりとりに、ハンネローレちゃんは困ったように眉を下げていた。彼女はどうやら、本当にテオドールが好きらしい。兄妹仲が良いんだな。ワタシには理解出来ないけども。


「クーデターの一件の後、半年ほどしてから手紙が届くようになりました」

「「……?」」


 彼女が何を言いたいのかよくわからず、覇王様と二人でじっと続きを待った。ハンネローレちゃんはワタシたちに言葉を続けた。


「手紙の文面を見て、驚きました。それまでも届いていた手紙と、明らかに内容が異なっていたからです」

「そんなに違ったの?」

「はい。まるで心のつかえが取れたかのような、自然体の文面でした」


 穏やかな口調で、喜んでいるとわかる表情で告げる美少女。兄から届く手紙の内容が変化したことで、ここまで喜んでくれる妹とか素晴らしいですね。

 それは素晴らしいんだけども、ワタシは思わず本音を呟いてしまった。


「……それまでどんな手紙を妹に送ってたんだ、あのバカ」

「ミュー、聞こえてるぞ」


 隣に座るアーダルベルトがツッコミをいれてくる。でも、ワタシとしては訂正が出来ない。だって、彼女がここまでの反応をするって、それまで届いてた手紙がよっぽどな内容だった証明じゃないの?

 てか、外部との接触は制限されてるのに、手紙のやりとりは大丈夫なの?手引きするような奴らと繋がったら面倒だと思うんだけども。


「一応中身の検閲はさせている。それに、送り先は離宮ぐらいだ」

「ん?」

「テオドールの手紙は離宮、カスパルの手紙は奴の実家だな。それ以外とのやりとりは禁じている」

「あぁ、なるほど。家族と連絡が取れるようにだけした、と」

「そうだ。……流石に、自由に手紙のやりとりをさせてやるのは、難しい」

「当たり前だろ」


 何故か申し訳なさそうな態度になった覇王様の頭を、ワタシはぺしんと叩いておいた。未遂に終わったとはいえ、クーデター企てた相手だぞ。自由な手紙のやりとりとか、させる方がアホじゃないですか。普通です。

 ……なお、いつものように背後に控えてるエーレンフリートから物凄い殺気が飛んできます。安定のエーレンフリート。何故、他愛ないツッコミすら許されないのか。この狼の忠犬っぷりは本当にこう、重い。

 とはいえ、それに気付いたアーダルベルトがちらりと視線を向け、威圧した瞬間に殺気は消える。悲しそうに耳をぺたんとさせて、ぷるぷる震えていた。学習能力がないなぁ、こいつ……。

 まぁ、これはワタシたちにとっては予定調和みたいなものだ。いつも通りのやりとりだし。なんかこう、日常の一部みたいになってるよね。目を丸くして驚いているハンネローレちゃんには悪いけど、これが我々の普通なんですよ。すまないね。


「ところで、テオドールと手紙のやりとりをしてるのはハンナちゃんだけなの?」

「えぇ、そうだと思います。少なくとも、お姉様たちには送っておられないようです」

「まぁ、クラウディアさんには絶対に送らないと思うけど」

「仮に送ったとしても、クラウなら見もせずに切り刻むと思うが」

「止めて、めっちゃ想像できるから止めて」


 ワタシの素朴な質問に、ハンネローレちゃんは素直に答えてくれた。確かにそうだろうなと思ったので、ワタシも納得した。

 そこに投げ込まれたアーダルベルトの意見には、即座に停止を求めた。脳裏に普通に映像が浮かんでしまった。とても怖い。でもやりかねない。彼女の次兄嫌いは筋金入りだ。物凄く物騒なのだ。


「もう少し感情の整理がついたら、お兄様にも手紙が届くと思いますわ」

「俺に?」

「えぇ」

「……あいつが俺に、手紙……?」


 妹の言葉に、兄は本気で疑問を感じていた。眉間に皺を寄せ、全力で困惑を表現している。……お前、弟妹のこと可愛がってる割に、自分にその好意が戻ってきたときのことあんまり考えてないよね。そういうところが本当にポンコツだと思うんだけど。

 まぁでも、うん、今のハンネローレちゃんの話から察するに、テオドールは本当に反省しているっぽい。一方的に敵愾心を抱いていた兄に手紙を書こうとするなんて、かなり心境の変化がないとダメだろうし。

 もう少し時間が必要だと彼女は言うけれど、それだけならいくらでも時間をかければ良いと思う。兄に対して素直になれないだけなら、もうきっと大丈夫だろう。これ以上、二人が争うことは起きないはずだ。

 思わず、本当に思わず息を吐いた。安堵のため息というやつだろうか。全身から力が抜けたような気がする。肩の荷が下りた。そんな気分だ。


「どうした、ミュー?」

「ん?何が?」

「変な顔をしてるだろうが」

「してないよー」

「してる」


 否定したのに全然信じてくれなかった。変な顔ってどういう顔だよ。ワタシは普通の顔をしてるつもりだい。

 むぅ、別におかしな顔はしてないつもりなんだけどなぁ。むにむにと頬を触ってみるけど、別に特に強ばったりはしていない。気のせいなんじゃないの?


「お前が普段と違って真面目な顔をしていたからな。また何かあったのかと思っただけだ」

「待て。それだと普段のワタシは、真面目な顔をしていないという風に聞こえるんだけど」

「してないだろ」

「どういう意味だ、こらー!」


 真面目な話かと思ったら、物凄く失礼なことを言われた。何でこいつはワタシの扱いがヒドいんだ!ワタシだって真面目な顔をすることぐらいあるわ!真面目な顔が変な顔扱いされるのは納得いかない!




 いつも通りの喧嘩をするワタシと覇王様を、ハンネローレちゃんは何故かとても優しい笑顔で見ているのでした。いや、見守らないで欲しいんだが、お姫様よ……。




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