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「ハンネローレが来るぞ」
「はい……?」
ある日の食事時、めっちゃ普通のことのように告げられた言葉に、ワタシは首を傾げた。ハンネローレって誰だっけ?来るってどういうことだ?
記憶を探って、それが、アーダルベルトの妹ラストワン、末っ子のお姫様の名前だということをワタシは思い出した。
「皇妹殿下、来るの?」
「あぁ」
「何で?」
そう、そこだ。
ワタシと友達のエレオノーラ嬢や、何か知らんけど覇王様へブラコンぶっちぎって忠義の塊みたいになってるクラウディアさんなら、やってくる理由はあるだろう。
いや、クラウディアさんは来なくて良いんですけど。こう、カロリー消費が激しいみたいな感じになるので。
首を傾げるワタシに、アーダルベルトはあっさりと答えた。予想の斜め上の答えを。
「お前、テオドールの近況を知りたがっていただろう?その件だ」
「は……?」
いや、確かにあのバカがどうしているかを聞いたよ?聞いたけど、それと末姫様がお越しになるのがどうして繋がるの?意味がまったくわからないんだけど。
言葉にしなくても顔に出ていたんだろう。覇王様は追加の説明をしてくれた。
「ハンネローレはテオドールと頻繁に手紙のやりとりをしていたからな。丁度良かったので、顔を見に行かせた」
「……はい?」
ただ、説明して貰っても全然意味がわからなかった。ちょっと情報処理が追いつかない。どういうことだっつーの。
「ん?言伝よりは、当人から直接聞いた方が良いだろう?」
「いやだから、それで何でお姫様が来ることになってるのさ」
「お前がテオドールの近況が知りたいと言ったからだが?」
「そんな理由でお姫様を呼び出すとか、ワタシは思わなかったんですけど!?」
思わず叫んだ。でも、アーダルベルトは普通の顔をしていた。助けて、近衛兵ズ!助けて、ユリアーネちゃん!我らの覇王様、なんかポンコツになってるんですけど!
待って。本当に待ってほしい。ワタシ、お姫様に使いっ走りみたいなことをさせたいわけじゃないんですけどぉおおお!?
しかし、混乱しているワタシを余所に、数日後に末妹殿下がお越しになるという予定は恙なく組み込まれるのでした。
妹が来るぞというアーダルベルトの宣言から数日後、ワタシはアーダルベルトの妹、末っ子のお姫様であるハンネローレちゃんと顔を合わせることになった。
姉二人がアレだったので、当人に会う前に情報収集はしておいた。衝撃は最小限に抑えたいのだ。情報源は主にライナーさんとツェツィーリアさんだ。ワタシの身近にいる相手で、皇妹殿下の情報を客観的に教えてくれそうなのがその二人だったので。
ユリウスさんを除外したのは、あまり接点がないんじゃないかなと思ったから。女官長という立場なら、姫君との接点が多そうだったので。ライナーさんを選んだのはワタシが話を聞きやすいっていうのが理由です。
その二人から仕入れた情報によれば、ハンネローレちゃんは姉二人に比べたら物静かで大人しいお嬢さんなのだとか。趣味は刺繍と植物の世話という、なんともお淑やかな雰囲気が漂う感じだった。
末っ子だというのもあるのか、人懐っこくて愛らしいタイプとのこと。あまり堅苦しいことや仰々しいことは好まないらしい。比較的アクティブに外に出て行く姉二人に比べて、インドア派らしいというところまでは理解した。
うん、前情報だと、エレオノーラ嬢やクラウディアさんに比べたら、普通のお姫様っぽい気がした。
エレオノーラ嬢は貴婦人としての嗜みとかは完璧なんだろうけど、ワタシと同レベルで脳みそが腐ってるので、普通とは言えない。クラウディアさんは、常日頃から男装してる上に、実の兄に対する感情が忠義極振りみたいになってるので、どう考えても普通じゃない。
……おかしいな。皇女殿下と呼ばれて育ってきたはずの人たちが、ことごとく残念なイキモノでしかないぞ。大丈夫なのか、ガエリア帝国?
「ミュー様、そろそろお約束のお時間です」
「あ、うん。わかった。ありがとう、ユーリちゃん」
「いってらっしゃいませ」
「いってきます」
ぺこりとお辞儀をするユリアーネちゃんにひらひらと手を振って、ワタシは護衛のライナーさんと一緒に部屋を出た。向かう先は、覇王様の執務室。そこに、末っ子皇女ハンネローレちゃんがやってくるらしい。
お仕事中の覇王様の邪魔をするつもりはなかったのだけれど、応接室より執務室の方が楽だと言ったからだ。同席してくれた方が安心するのは事実なので、あちらの言い分に従うことにしたのである。
ハンネローレちゃんは普段、離宮で生活しているらしい。アーダルベルトの家族は、基本的に皆さん離宮にいる。例外は現在レッツゴー監禁中のテオドールと、学園都市ケリティスで勉学に励んでいるエレオノーラ嬢だ。その二人以外は離宮にいるらしい。
何故か張り切って護衛騎士みたいなことをしているらしいクラウディアさんと違って、ハンネローレちゃんは離宮で静かに穏やかに生活しているお姫様らしい。皇太后様も同じ感じで生活してるらしいし。
うん、クラウディアさんが色々と規格外なだけだな。どう考えてもハンネローレちゃんや王妃様達の生活スタイルが普通だよね、きっと。
「アディー、来たよー」
「もうそんな時間か?」
「そうだよー」
指定された時間のちょっと前なので、素直にそのことを伝えたらアーダルベルトは机の上の書類を整理し始めた。良いことだ。この
……はっ、おやつ突撃と合わせて、妹ちゃん達とのティータイムを計画すれば、良い感じに休憩させることが出来るのではないだろうか。こいつ、何だかんだで弟妹にめっちゃ甘いから。
うん、良い考えかもしれない。ワタシが突撃しても、仕事続けるときもあるからな。よし、女官長とエレオノーラ嬢に相談してみよう。そうしよう。
「……お前、今度は何を企んでいるんだ?」
「失礼な。何も企んでないやい。ただ、妹ちゃん達が来るときは、素直に仕事片付けるなぁと思っただけ」
「たまに顔を見せにやってくる妹との時間を優先させるのは、普通だろう?」
「そりゃそうかもしれないけど、そうなんだけどー」
イマイチ伝わっていないのが微妙に悔しい。しかし、当人に自覚がないからこういう感じなんだろうなというのもわかった。自分が普段、どれだけ仕事優先かをわかってないのだ、こいつは。無自覚って怖いね。
そんな風にじゃれていたら、執務室の扉の向こうから来客を告げる声がした。アーダルベルトの許可の後に入ってきたのは、人形のように可愛らしい女の子だった。耳の形がエレオノーラ嬢と同じだったので、彼女も獅子なのだろう。
なお、付き従っていた護衛らしき騎士と侍女は入ってこなかった。お陰で室内は身内だけなのでワタシはちょっと安心した。気楽なので。
「アーダルベルトお兄様、お久しぶりでございます」
「久しぶりだな、ハンネローレ。わざわざすまない」
「いいえ。私でお役に立てるのなら、嬉しいですわ」
恭しく、貴婦人の所作でスカートの裾を摘まんで一礼する美少女。それを見るアーダルベルトの顔はとても優しい表情をしていた。可愛がっているのが一目でわかる顔だ。
クラウディアさんは美人、エレオノーラ嬢は綺麗だとしたら、ハンネローレちゃんは可愛いだ。全員美女、美少女ではあるけれど、タイプが全然違う。ハンネローレちゃんはエレオノーラ嬢の一つ年下だというから、誕生日がきていなければ17歳のはず。けれど、年齢より少し幼く見えた。
いや、幼いわけじゃないだろう。ただただ、可愛い。
大人の女性でも、年齢を感じさせずに可愛いという印象を与える人はいる。ハンネローレちゃんはそれに近い。彼女のかもしだす雰囲気が、顔立ちなどと相まって可愛らしいという感想しか抱けないのだ。
多分、ゆるふわウェーブな明るいオレンジ色の髪も影響していると思う。大きな瞳は珍しい朱色に金色が混ざったような色だった。血色の良い色白の頬も、桜色の唇も、小さな手足も、とても可愛らしい。お人形のように可愛い美少女って本当にいるんだなぁと思った。
「ハンネローレ、話は聞いていると思うが、こいつがミューだ」
「初めまして、ハンネローレ姫。ミューです」
「初めまして、ミュー様。私に敬称など付けないでくださいな。ハンナで結構ですわ」
「……ははは」
晴れやかな微笑みと共に告げられた言葉に、ワタシは顔を引きつらせた。この姉妹は、揃いも揃って自分達が皇族だというのを忘れていないだろうか。ワタシへの好意が全開なのはありがたいけれど、初対面から敬称を外して呼べるほどにワタシの心臓は図太くないんだ。
「お前、毎回思うが、何で妹たち相手だとそうなるんだ?」
「何か言ったか、アディ」
「俺のことは平然と呼ぶくせに、何故毎回そうなのかと聞いている」
「うっさいなぁ!アディはアディだけど、お姫様達はお姫様なんだから仕方ないだろ!」
「俺は皇帝だぞ」
「アンタは悪友枠なんです」
ジト目の覇王様に、ワタシは本音をぶつけておいた。
いや、言いたいことはわかるよ。わかるんだけど、こう、ワタシの中の分類がそういう感じなんだから仕方ないだろ。そもそも、敬語対応を気色悪いと言い放った男だろ、アンタ。普通の枠に入るわけないじゃんか。
そんなワタシたちのやりとりを、ハンネローレちゃんは楽しそうに笑って見ていた。上品に口元に手を当てて微笑んでいる姿は、とても絵になった。可愛い。何だろうこのお姫様。めっちゃ可愛い。
いや本当に、物凄く可愛いよね。良いなぁ、可愛い妹。うちの妹はあんまり可愛げはなかったんだよねぇ。ちょいとばっかり小生意気な妹なんだよなぁ。まぁ、ワタシも頼れるお姉ちゃんとかではなかったから仕方ないんだけども。
「さて、本題に入るか。ハンネローレ、テオドールの近況について教えてくれ」
「はい、お兄様」
話題の主がとてもデリケートな存在であるテオドールだというのに、ハンネローレちゃんは笑顔を崩さなかった。愛らしい笑顔なのに、そこにはちゃんと芯の強さがあった。あぁ、可愛いだけのお姫様じゃないんだなぁと、そんなことをワタシは思う。
腰を据えて話をするために、全員ソファに腰掛けた。室内にいるのはワタシたち三人と、ライナーさんとエーレンフリートの近衛兵ズだけ。気心知れた面々と初対面のお姫様を前に、ワタシは少しだけ気合いを入れた。
彼女の口から聞かされるテオドールの近況がどんなものなのか、とても気になっている。ある意味、運命の分岐点みたいな感じだ。その話の内容次第では、ワタシは、口にしたくもない未来をアーダルベルトに伝えなければいけなくなるだろうから。
そんなワタシの目の前で、可憐なお姫様は柔らかな微笑みを浮かべたままで、ゆっくりと口を開いた。
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