閑話 皇妹エレオノーラ


 私の名前は、エレオノーラ・ガエリオス。現ガエリア帝国皇帝アーダルベルトの異母妹です。

 父様が亡くなってから、私たちの生活の場は離宮へと変わりました。私自身は今は学園都市ケリティスで学生をしている身。国を離れている時間の方が長くなっております。

 そもそも、父様が亡くなってから、アーダルベルト兄様が皇位を継がれてから、私たちは王都に姿を現すことを極力避けてきました。皇太后様は兄様の邪魔にならぬようにとのご配慮。私の母様はそれに従っています。

 そして、私たち姉妹は、いらぬ政争に利用されぬようにとの兄様の配慮で離宮での生活を続けているのです。

 ……そう、私たちはもうずっと、アーダルベルト兄様に守られてばかりでした。たった一人で立つアーダルベルト兄様。私たちはせめてその邪魔にならぬようにと、控えて生きるしか出来ませんでした。

 誰にも頼らず、誰も寄せ付けず。皇帝として信頼する臣下は持てど、一個人としては何一つ得ようとしないアーダルベルト兄様。私たちがどれほど言葉を尽くしても、守るべき対象である妹を案じる言葉しかくださいらなかったアーダルベルト兄様。

 その兄様の傍らに、心を預けることを許した誰かが現れたと知ったときは、私たちは誰もが驚きました。そんなことがあり得るのかと、そう、思ってしまったのです。

 今まで誰も、いなかったのですから。そんなことが出来る存在がいると、私たちの誰もが思えなかったのです。

 ただ一人の男兄弟であるテオドール兄様も、共に旅をした皆様も、兄様の心に本当の意味で寄り添うことは出来ませんでした。それなのに、あの方は、当たり前のようにするりと兄様の隣に佇んで、共に笑っておられました。

 ミュー様、と私たちは呼ばせて頂いているあの方は、私の知るどんな女人とも異なるお方でした。いいえ、どんな人とも、と申し上げるべきでしょう。あんな風にアーダルベルト兄様に接する方など、どこにも、いなかったのですから。

 兄様は、ミュー様と共にいらっしゃるときは、肩の力を全て抜いておられるようでした。皇帝としての責務も、兄としての重荷も、そこにはありませんでした。ただの一人の青年として、友人と共に過ごす。そんな姿があったのです。

 その姿に、私も、姉様も、長年抱えた不安が拭われるのを感じました。ミュー様がおられるならば、大丈夫だと思ったのです。何もかもを自分一人で抱え込んでしまう兄様を、ミュー様は救ってくださっている。少なくとも、私たちにはそのように見えました。

 けれど同時に、私は思いました。きっとそれは、ミュー様にとってはごく普通のことなのだろう、と。ですから私は、彼女に抱いた感謝は胸の内でそっと伝えるだけにしようと思いました。

 ミュー様は、大袈裟なことを望まれない方だと、お側で見ていて思ったのです。学園都市で出会った友人たちのような、しがらみを知らずに育ち、生きている方なのだと。

 私は、学園都市で多くの友人を得ることが出来ました。ですから、国を出ることの出来ない兄様が、ミュー様という友人を得られたのは、とても幸福なことだと思っています。皇族である私たちには、他愛ない言葉を交わす友人を得ることすら、とても、難しいことでしたから。

 喜ばしいことに、ミュー様は私とも友人になってくださいました。始めこそぎこちなかった呼びかけも、今では親しみをこめて「ノーラちゃん」と呼んでくださいます。愛称で呼んでいただけると、親しくなった気がしてとても嬉しいものです。

 ミュー様と友人になって、彼女に会いに来るという名目で頻繁にガエリア城に帰省する私を、兄様は最初こそ呆れたように見ていらっしゃいました。けれど、決して咎めはされなかった。……きっと、私が兄様の顔を見に来ていることに気づいているのでしょうね。そして、それを咎めもしない優しさが、私たちの兄様なのです。

 私は、ミュー様と言葉を交わすのを楽しんでいます。同じ趣味の友人というのは得がたいものですから。

 けれどそれ以上に、ミュー様と過ごしておられる兄様を見るのが、楽しいのです。いえ、安心していると、言うべきでしょう。ミュー様と共にいるときの兄様を見て、私はただ、兄様の心がきちんとそこにあるのだと確認したいだけなのですから。

 そして、その様子を手紙にしたためて、母様や姉様、皇太后様にお伝えしています。ミュー様の友人という立場になった私が頻繁に城に顔を出しても、決して変ではありません。周囲に妙な勘ぐりをされることもありません。兄様のお目こぼしもありますし。

 友人となった方を利用しているようなものなのでしょうか。けれど、私たちにとってそれほどに、兄様の存在は大きいのです。全てを一人で背負うあの方の心が、いつかすり減って砕け散るのではないかと、不安に思ってしまうほどに。

 その恐れを、ミュー様と共にいる兄様は払ってくれるのです。そして、私がしたためた手紙が、母様たちの不安を拭い去ってくれていることでしょう。

 ですから、私は私に出来ることをと思いました。ミュー様の友として、恥じないように。

 先日の新年会に私が久方ぶりに参列したのも、そのためです。何年ぶりになるのでしょうか。父様が亡くなり、兄様が即位されてから、何度か参列はしましたけれど。ここ数年は学業の忙しさを言い訳に、不参加でした。

 そんな私が参列すると聞いて、色めき立った方々もいるとのことですが、私には関係ありません。私が参列したのはただ一つ。ミュー様の防波堤になることですから。

 ご本人は裏方でのんびりとしていたいと仰る割に、ミュー様は周辺各国に顔がしれてしまわれています。色々と介入なさった結果だと伺っていますけれど。そのせいで、正式に挨拶の申し込みがあって、新年会に参加せざるを得なかったのだとか。

 頭を抱えて「見世物、嫌だ……。客寄せパンダになんてなりたくない……」と少し意味のわからないことを仰っていました。ですが、参列は決定事項のようで、ミュー様は私に一つのお願いをされたのです。


――ノーラちゃん、不躾で申し訳ないんだけど、ワタシの防波堤になって!

――え?

――新年会、一緒に出て!そして、お貴族様たちがワタシに寄ってこないように、防波堤になってぇええええ!


 切実な訴えでした。新年会の何がそこまで恐ろしいのか、正直私には良くわかりません。貴族たちなど、適当にあしらっておけば良いと思うのですけれど。

 ただ、身分制度の存在しない国で育ったミュー様にとって、それらは難しいのだと説明を受けました。私が、……皇帝の妹という立場にある私が側にいれば、少なくとも、面白半分で近寄ってくる者たちはいないだろう、と。

 念のため兄様に確認したところ、許可を頂けたんで私は了承しました。それが、私が新年会に参列していた経緯です。

 実際、私とミュー様が話していると、声をかけたそうに視線を向けてくる方々が幾人もおられました。けれど、私の役目はミュー様の防波堤。煩わし思いをさせてはいけないと、きちんと仕事を果たしました。

 ……それに、私自身もミュー様と一緒だということで、随分と助かったのです。久方ぶりの新年会への参列です。私へ声をかけようとする方々も多くいました。けれどその方々も、私とミュー様が仲良く談笑しているところへ割っては入れるほど、面の皮は厚くないのです。

 ミュー様は自覚されていませんが、あの方は兄様が、ガエリア帝国皇帝が最も信頼する友人です。その方と、皇帝の妹である私が楽しげに話しているところへ割り込むなど、よほどでなければ許されません。……少なくとも、周囲の目が。

 実際、私とミュー様に声をかけてきたのは、あらかじめミュー様への挨拶を願っておられたお二方のみ。コーラシュ王国のルーレッシュ公爵家嫡子フェルディナント様と、ウォール王国聖騎士団長オクタビオ様。お二方とも良い方で、ミュー様も歓談を楽しんでおられました。

 フェルディナント様は緊張されていたようですけれど、オクタビオ様はどこまでも自然体で私もお話しやすかったものです。やはり、それなりの地位に長くいらっしゃる方は気遣いが出来るのでしょうね。ミュー様が堅苦しいのを好んでおられないことを、即座に察しておられましたから。

 新年会と言えば、ミュー様がお召しになっていたドレスがとても素晴らしい出来映えでした。パンツドレスと仰いましたが、ズボンの上にスカートのように布地を巻くという感じのデザインで、実に斬新でした。

 ヒールの靴を履きたくないというミュー様の苦肉の策だったそうですが、ドレスの出来映えは見事です。ミュー様の闊達な雰囲気にも良くお似合いでしたし。

 ミュー様と二人、きっとこのドレスは姉様に似合うと意見が一致しました。その旨を手紙に書いて伝えたら、「ミュー様がお望みなら」という返事が戻ってきましたけど、どうしましょうか。ミュー様は、少しばかり姉様を苦手に思っておられるようなので、素直に伝えて良いものか悩みます。

 姉様は私には優しい姉様ですけれど、兄様たちへの感情の向け方はかなり独特なのですもの。アーダルベルト兄様には忠義一直線。テオドール兄様にはもはや敵意と呼ぶべき何か。そして、アーダルベルト兄様の親友であるミュー様には、同じだけの忠義を向けておられます。……愛が重いとはこういうことなのでしょうか。見慣れた姉様の姿ではあるのですけれど。

 手紙と言えば、私は里帰りの前にミュー様に手紙を出しております。お返事は短いものですけれど、こちらの文字に不慣れがミュー様が直筆で書いてくださっているのが嬉しいです。

 その手紙に、兄様にお菓子を取られたとか、兄様に担がれただとか、他愛ない日常の話が綴られているのが、私は嬉しいのです。手紙に書くほどに、ミュー様にとってそれが日常であること。そして、そんな風に兄様が過ごせているということ。私にはそれが、嬉しい。

 私は、……私たちは、守られる姫の身。どこまでいっても、兄様にとっては庇護すべき妹でしかない存在。だからこそ、私たちには出来なかった、兄様の心を軽くしてくださっている彼女には、感謝しかありません。

 だから、彼女が私たちに何かを願われるならば、そのときは誠心誠意を持ってお答えしようと、姉様と二人で決めました。この間の新年会はその一つに過ぎません。彼女が私たちの手を望むならば、いくらでも力をお貸ししましょう。私たちの大切な兄様を救ってくださっているあの方に、私たちが出来るのは、そんなことぐらいなのですから。




 あぁ、次に城へ戻る日が楽しみです。きっと彼女は、また一つ、私たちの知らない兄様の姿を教えてくれるでしょうから。その幸福に、ただ、感謝を。




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