閑話 ルーレッシュ侯爵家嫡子フェルディナント

 私の名前は、フェルディナント・エル・ルーレッシュ。コーラシュ王国を支える名家、ルーレッシュ侯爵家の嫡子。そして、王子リヒャルト様の護衛騎士。それが、私。

 主と定めた唯一の人。リヒャルト王子の剣となり、盾となり生きるのが、私の使命。私の人生。ずっとそうだと思っていた。そうであるべきだと。それが正しいと。何の迷いも無くそう思っていた。……筈だった。



 存在しないと思っていた筈の私の中の《女の部分》が、それに否やを唱えるまでは。



 我がルーレッシュ侯爵家には、異形の業がある。何故かは知らないが、血筋の中に時折、性別を持たずに生まれる者がいるという。そういった者達は男女のどちらか解らぬような容姿で育ち、成人して後、どちらの性別で生きるのかを確定させる、とか。殆どの場合は男女のどちらかとして育てられ、そのままの性別を選ぶという。

 そして、嫡子として生まれついた私は、男子として育てられた。

 そのことに異論は無かった。王家の盾となるべきルーレッシュ侯爵家の嫡子なのだから、男子として家を背負うのは当然のことだと。男子として剣術を磨くことも、私には当たり前であり、決して苦難に満ちた生活では無かった。むしろ、遠目に眺める妹たちの、貴族の女性としての生活の方が窮屈そうで、性に合わないと思っていたのだ。

 だから、私は、自分は男で、男として生きて行くのだと、ずっと、思っていた。

 いつからだったのかは、もう忘れてしまった。ただ、常に傍に居た、傍らで護り続けてきた主に、自分が抱く感情が敬愛では無いと気づいた時に、どうすれば良いのかと困っただけだ。私の自意識は男だった。男として育てられ、男として生きて行くと信じていた。そんな自分の内側に芽生えた、男性である主、リヒャルト様への恋慕の感情。私がそれを持てあましても、仕方の無いことだと思う。


 それでも、これから先も、何も変わらないのだと、私はこのまま騎士なのだと思っていた。


 それの考えが崩壊したのは、ガエリア帝国へと足を運んだ時だった。リヒャルト様の奥方候補を探すための旅。幾人もの姫君と出会いながらも、未だ望む姫はいないと告げる主とと共に、諸外国を巡った。その道中、大国であるガエリア帝国へと足を運んだ。彼の国へはただ、挨拶のためにと足を運んだだけだったけれど。

 そこで出会った少女が、私の運命を変えた。或いは、リヒャルト様の運命も。



――男か女か選ぶの、大変じゃないですか?



 笑顔で告げられた言葉に、私は言葉に詰まった。彼女は何を知っているのかと、何を言っているのかと、混乱した。だが、同時に理解もした。彼女だからこそだと。予言の力を持つと言われる、ガエリア皇帝の参謀。まことしやかなその噂は事実であったのだと、眼前の少女を見てそう思った。

 何故か、彼女には素直に感情を吐露してしまった。男として生まれ育った己には、それ以外の道は無いのだと。……他の、性別を持たずに生まれた子らのように、どちらか解らぬ外見を持てれば良かったものを、私は誰が見ても男でしかないこと。そんな自分が願うには、あまりにも愚かな望みであること。

 けれど、彼女は笑った。とても楽しげに。そして、瞳だけは、真摯に。


――とりあえず、フェルディナントさん。

――……何でしょうか?

――食わず嫌いは良くないのと同じように、やらず嫌いも良くないので、いっぺんやってみましょう。

――……何を、でしょうか?

――え?やだなぁ、女を、ですよ。


 かくして、私は彼女の主導のまま、生まれて初めて女の装いをすることになった。用意された衣装は、見たことも無いデザインのドレスだった。ドレスというのは、裾が広がり、まるで華のようになっているものだと思っていた。だが、私に渡されたドレスは、そうではなかった。

 随分と細身のドレスだった。勿論、コルセットやパニエの類は使用するとの事だったが、それにしても、ドレス自体のデザインが、見たことも無い細身のものだった。マーメイドドレスだと伝えられたそのドレスは、他ならぬ彼女が、私のためにデザインを考えてくれたのだと知って、恐縮した。

 色も、白に近い水色だった。飾りは少なく、銀糸の刺繍以外には目立った飾りは無い。ドレスと言えば、豪奢に、絢爛に、派手に飾り立てられるのだと思っていた私の中の常識を、それは良い意味で裏切ってくれた。それもまた、男として育った私が、拒否感を抱くこと無く受け入れられるようにとの彼女の配慮だと知って、どれほどの感謝を捧げれば良いのかと、思った。

 そうして私はドレスを身に纏い、生まれて初めて、自分が女でもあったことを理解した。侍女や女官の手によって化粧を施された己の姿は、姿見で確認してもまるで別人のようですらあった。これが本当に私なのかと思ってしまった。…そこにいたのは、紛れもなく、美しく着飾った、女人であったのだから。

 そうしてそのまま、私は晩餐の席に参加することになった。ドレス姿の私に、リヒャルト様は驚いておられた。当然だ。男だと信じていた人間が、いきなり女装して現れれば、言葉を失っても当然。


 けれど。


 私の本性が男女のどちらでもなく、この胸の内に抱いた感情を素直に伝えたことを、リヒャルト様は拒絶されなかった。否定されるかも知れないと怯えた私を、あの方はただ、抱きしめてくださった。何が起きたか解らぬままの私に、泣きそうに震えた声音で、言葉をくださった。



――ならば、お前を恋しいと思う俺の心も、誤りではないのだな。



 なんと、お答えしたのかを、覚えていない。ただ、こみ上げる感情を抑えることが出来ずに、その腕の中で泣いた。おかしなことだと思った。男として生きて、男としての心しか持たなかった私が、その時は、まるでただの女人のように、泣いてしまった。…女性の服を身に纏っていたからだろうか。それとも、私はやはり、女でもあったのだろうか。今でもそれは解らず、けれど、ただ、思いが通じたことだけが、嬉しかった。

 その後、彼女は私に、手紙を授けてくれた。「ガエリア帝国の予言の参謀」として、私の今後についての、具体的に言えば、私が女として生きて行くことに関しての、意見を書いて。どれほどの効力があるかは知らない、と彼女は言った。自分のような小娘の手紙一つで、どれだけの力になれるのかは知らないと。それでも、少しでも役に立つならと、子供のような笑顔で渡された手紙を、私は、受け取った。

 どうして、と思った。彼女には何も利がない。私とリヒャルト様の関係を改善したとしても、彼女が得るものなどなかった。ガエリア帝国が得るものなど、何もなかった。それなのに、彼女は当たり前みたいに笑って、私とリヒャルト様に、幸せになって欲しいと言うのだ。

 礼を告げたリヒャルト殿下に、彼女はむしろ、「お節介をしてすみません」と盛大に謝った。隣の皇帝陛下も、その行動が当然と言いたげな態度であった。ガエリアの人々の感覚が私達と違うのか、それとも彼らが異質なのかはわからなかった。けれど、感謝を捧げるべきは私達なのだ。断じて、彼女が咎められることはないと、そう思う。

 そう伝えれば、彼女はやはり、笑顔を浮かべるだけだった。彼女の笑顔は不思議だった。子供のように無邪気で、それなのに不思議と思慮深い。大人の意思を持ちながら、子供の無邪気さを持ち合わせている。そして、その上で、芯となる部分を、己を決して揺るがすことが無い。彼女はとても、不思議な人間だった。



 そして、私はそんな彼女に、返しきれない恩義を感じて、それを伝えた。



 跪き、騎士として失礼にならぬように配慮して、彼女に問うた。その手を押し頂き、どのようにその厚意に報いれば良いのかと尋ねた。彼女は答える。自分は何もしていないと。感謝されるいわれなど無いと。

 けれど、私はそれに納得など出来なかった。このまま、彼女が動いてくれなければ、私とリヒャルト様は、不毛な感情を抱いたまま、己を偽ったまま、生き続けただろう。それはきっと、いつか、どこかで破綻する。破綻したであろうと思う。そんな私達を、彼女は確かに救ってくれたのだ。

 しつこく食い下がった私に、彼女は困ったように笑って、そうして、初めて、彼女の《願い》を口にしてくれた。それは、私にとっては、あまりにも予想外の言葉であったけれど。


――それでも、ワタシに何か恩義を感じてくれて、礼をしたいというのなら、もしもガエリアが窮地に陥った時には、ご助力下さい。

――……ミュー殿、それは。

――勿論これはワタシの我が儘ですし、決定権は王族の皆さんにあると思うので、無理にとは言いません。ただ、ワタシが願うのは、それぐらいかなってことで。

――……貴方は、それで、宜しいのですか?

――え?これ以上無いくらいに喜びですけど。


 不思議そうに、本心だと言いたげに彼女は告げる。私も、リヒャルト様も、驚いた。驚いてしまった。なんという、無欲な人間なのだろう、と。何一つ見返りを求めず、ようやっと口にした《願い》は、国を守ることだった。彼女の高潔さに、その心の美しさに、私もリヒャルト様も、言葉を失った。

 騎士の身である私の一存では決められない。けれど、リヒャルト様も私と同じ気持ちなのだと、視線で理解した。ゆえに、できる限りの事はするとお伝えすれば、彼女は本当に嬉しそうに笑った。その優しき心に報いるために、彼女の高潔な魂に恥じぬように、私は精一杯のことをしようと決意した。

 帰路、ぽつりとリヒャルト様が言葉を零された。それは思わず漏れたと言いたげな言葉で、けれど、だからこそ、掛け値無しの本音であるとわかった。


――不思議な御仁だったな。

――……はい。

――幼子のようかと思えば、悟った大人のようなことを口にされる。

――……はい。

――しかし、不思議とそれがミュー殿なのだと、思えてしまうな。

――私も、そう思います。


 そう、まさに、その通りだ。掴めない。読めない。理解の範疇にはおられない。だが、決して不愉快にはならない。むしろ、その不可思議さが彼女への興味を抱かせるのだと思う。……そして、喪われない無邪気さに、誰もがきっと、彼女へと手を差し出したくなるのだろう。

 けれど、彼女が望んで手を伸ばし、その手を取るのは、彼の覇王殿だけなのだろうと、私にも解った。誰にでも屈託無く接する彼女が、最も気を抜いて、自然体で接しているのはガエリア皇帝その人だった。そして、逆もまた然り。

 諸国に流布する噂の、予言の参謀。その能力のみで覇王の信頼を得ているのだと思われていた存在。けれど、実際に出会ってみて、私達は気づいた。例え彼女が予言の力を持っておらずとも、参謀でなくとも、彼女は何も変わらず、誰より当然のように彼の人の傍らに佇むのだろうと。それこそが、あの二人の在り方なのだろうと。

 国に戻った私たちに、待ち受けるのは困難だろう。まず、私の存在を周知させるところから始まる。……果たして、父上が受け入れてくださるのか。陛下が、赦してくださるのか。王家の盾となり剣となる。その為に、ルーレッシュ侯爵家は存在している。その代わりに、決して政治的な介入をしない。そのルーレッシュ侯爵家の私と、リヒャルト様の婚姻が、赦されるのか。

 正直頭を抱えたくなる難題だらけだ。それでも、今までの、押さえつけ、押し殺してきた時間に比べれば、どこまでも、心地よかった。何より、苦難に立ち向かうのが己一人では無いとわかっているのだから。



 次に彼女に会うときには、胸を張って己の立場を示せるように、死力を尽くそうと思っている。


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