閑話 歩兵遊撃隊長アルノー

 俺達は、間違えた。あの日、あの時、否、最初から。決して間違えてはいけない選択肢を、俺達は全員揃って間違えたのだ。

 何故、気づけなかった。何故、理解できなかった。あの時、あの日、あの頃、俺達だけが、その壁を乗り越えることが出来たはずだった。そうすれば、今、俺達の関係は違うモノになっていただろう。《彼》があそこまで一人で全てを背負うことはなかった筈だ。自分の半分も生きていない子供に、俺は、何一つ、手を差し伸べることさえ、出来ていなかった。

 俺の名前は、アルノー。ガエリア帝国の歩兵遊撃隊長。今の身分は、立場は、それでしかない。けれど俺は、かつて、まだ皇太子だった頃のアーダルベルト・ガエリオスと生死を共にした、旅の仲間だった。……仲間である、筈だった。


 結局俺達は、最初から最後まで、《彼》に寄り添うことも並ぶことも出来ずに、一線引いた存在にしかなれなかった。


 旅の間、俺達は全員、対等の関係だと思っていた。けれど、どこかに無意識下で《彼》を《皇太子》として見ている部分があったのだろう。或いは、《彼》があまりにも強すぎたことが原因かも知れない。旅慣れない頃からその並外れた身体能力と戦闘力で、《彼》はいつも最前線に立っていた。傷を負うことも無く、俺達の盾としてそこにいた。本来ならば護られるはずの、最年少の少年が、だ。

 旅の期間は一年にも満たなかった。諸外国を巡って見聞を広げる。そんなもっともらしい理由で始められた旅の終わりは、先代の皇帝が死去したことで訪れた。まだ若い、幼いとさえ言える《彼》はその日、16歳にして広大なガエリア帝国を背負う、皇帝となった。

 俺達は《彼》に請われて、帝国に所属することにした。全員が全員、宮仕えになんて向かない性格をしていた。それでも国に所属しようと、《彼》の力になろうと望んだのは、確かに紡いだ絆があったからだろう。だがその時、俺達は最大の過ちを犯した。良かれと思って取った俺達の行動は、《彼》を完全に孤立させた。

 いや、そもそもが最初から、《彼》は《独り》だったのだろう。誰一人並び立てない。誰一人同じようにはあれない。圧倒的なまでの能力と、強靱な精神を有していたことが、ある意味では悲劇。旅の仲間である俺達すら、結局は《彼》の本当の意味での支えにはなれず、護られ、救われる側でしかなかった。


 それ故に、俺達が揃って臣下の礼を取った瞬間に、《彼》は仄かな絶望をその瞳に宿したのだろう。


 間違えたのだと、その時に全員が気づいた。父を喪い、広大な帝国を支えるために、一人でも多くの仲間を求めていた《彼》にとって、旅の仲間であった俺達全員が臣下の礼を取ったことは、きっと、裏切りに等しかったのだろう。……今にして思えば《彼》は、俺達に、《仲間として》支えて欲しかったのでは無いだろうか。《臣下として》仕えるのではなく。

 今となっては確認する術もない。もはや、それは10年以上昔の話だ。我らが皇帝陛下は、偉大なるガエリア帝国の覇者として、国と民を守り続けている。そして、俺達はその助けをするために、微力ながらそれぞれの得意分野で国に貢献している。……誰一人として、国のためには生きていない。だが、それでも、もはや俺達は、《皇帝陛下の臣下》であって《彼の仲間》ではないのだ。皮肉なことに。

 そんな風に後悔を抱えて生きる俺達の耳に、一つの知らせが舞い込んだのは、一年ほど前のことだった。陛下が参謀を置いた、と。それは召喚者の少女だ、と。何故そんなことをしたのかと誰もが最初は首を傾げた。忙しい俺達は、そうそう彼の参謀に会うことはなかった。けれど、風の噂でその《予言》の力が本物だと確信して、ならば良いかと思ったのも事実だった。

 力を持つ存在は、一人でも多い方が良い。そうすれば、陛下の重荷を減らすことができるだろう。そんな小狡いことを考える程度には、俺達は全員自分本位だった。一足先に《彼女》に接触したラウラは、実に楽しそうにこう表した。


――なかなかに面白い小娘じゃった。アルノー、お主も気に入るやもしれんぞ。


 楽しそうに笑うラウラに、詳しい説明を求めても拒否された。まぁ、いつものことだ。あの外見だけは幼い妖精族の魔導士は、見た目に反して長い年月を生きている。それだけに、こちらを子供扱いして、「何でも聞いて片付けようとするでない。己の目で見て、耳で聞いて、それから判断するのが妥当じゃろう?」と訳知り顔で言うのだ。もう慣れた。

 そうして、俺が《彼女》に出会う好機が訪れた。発端は、キャラベル共和国の動きが怪しいという斥候の報告。たまたま国境付近で魔物退治を行っていた歩兵遊撃隊ウチの部隊に斥候が足を運んできたので、一番足の速い馬の主である俺が、陛下への報告を買って出た。……理由に、この話を彼の参謀がどう判断するのかを知りたかった、というのもあったが。

 《彼女》は、料理番の休憩所で、まるで見習い料理番のように普通に馴染んでいた。見た目は幼い少女だ。お嬢、と呼びかければ顔を引きつらせて俺を見た。ひげ面のオヤジがいきなり親しげに声をかけたことに対する反応かと思いきや、違った。《彼女》は顔を引きつらせ、困ったように視線を彷徨わせ、諦めたように俺を見て、口を開いた。


――初めまして、だな。俺の名前はアルノーだ。よろしく頼むぞ、お嬢。

――…………よろしくお願いします、イラリオン・・・・・さん。

――…………ほぉ?いやー、面白いなぁ、お嬢。……マジモンか。


 その瞬間、《彼女》は俺の中で《本物の予言者》として確定した。少なくとも、俺の本名を口にした時点で、ただの小娘ではない。……そう、俺が名乗っているアルノーという名は、偽名だ。俺の本名は、イラリオン・レフェットニー。名前すら知られていないだろう最北の国、雪と氷に閉ざされた万年凍土の国、イグレッサ公国の出身だ。閉鎖的な国に嫌気がさして、剣を片手に国を飛び出したのは10代の頃。今あの国がどうなっているのかすら、俺にはわからない。それほどに、イグレッサ公国の情報は他国に入らず、そもそもが存在すら知られていないだろう。

 俺は北国の出身の割に肌が浅黒く、髪も目も色濃く生まれついた。色素が薄い=北方の出身という認識がされる常識を逆手にとって、偽名を名乗り、出身国をぼかし、冒険者として生きてきた。本名も祖国も口にしないのは、あの頃の自分は死んだとけじめを付けたからだ。ゆえに、俺の本名を知るのは、それを伝えたかつての旅の仲間達を除けば、宰相ユリウス閣下ただ一人。

 《彼女》はそれを口にした。そして、それが秘された名前だと認識した上で、俺への牽制か、意思表示かに使って見せた。幼い見た目を裏切る内面の持ち主。実年齢は二十歳の女性だと聞いていたが、なるほどと思った。外見だけは年端もいかない幼子に見えるが、中身はきちんと大人らしい。

 無理矢理引きずるようにして陛下の所へ連れて行ったのは、《彼女》の意見が聞きたいと思ったからだ。数々の危機を《予言》せしめた稀代の参謀殿は、俺が持ち帰ったキャラベル共和国の情報を、どう処理するのか。何を語るのか。柄にもなくワクワクしていたのは、事実だった。


 結果として、《彼女》の能力は本物で、いずれ起こるであろう戦についても言及し始めた。


 斥候ですら知らないキャラベル共和国の内部事情。それらを当たり前のように口にいて、けれど何一つ気負った所はなかった。面倒そうに、「戦争って嫌だよねぇ」や「キャラベル共和国阿呆だよね」とか簡単に言ってのけているが、冗談じゃない。こんなにも的確に《未来》を《知る》存在が、いて良いのかとすら思った。《彼女》にしてみれば、この世界の行く末は全て掌の上、知りうる当たり前のことではないのかと、衝撃を受けた。

 けれどそれより何より、俺を驚かせたのは、《彼女》と《彼》の距離感だった。当たり前の友人同士としての距離感だった。《彼女》が一方的に距離を縮めているのかと思ったが、違った。それを受け入れる《彼》の表情は、俺達が誰一人として見たこともない、普通の青年の顔をしていたのだ。


――おう、もっと褒めろ。そして存分に甘やかせ。

――褒めるのは良いけど、甘やかすのはキモイからヤダ。とりあえず頑張れ、皇帝陛下。

――協力はしろよ、参謀閣下。

――ういうい。


 聞いたこともない《彼》の台詞に、息を飲んだ。周囲の誰もが普通に受け入れているところを見れば、これが彼らの普通なのだと理解した。理解して、思わず、笑った。視線を彼らから逸らして、必死に笑いを堪えた。否、必死に、笑いで収まるようにと自制した。身体を半分に折って、さながら笑い苦しんでいるような素振りで、俺は己の中を渦巻く激情を必死に抑えこんだ。歓喜か、感涙か、感謝か、よく解らない渦巻く感情に名付ける術を、俺は知らなかった。

 声が震えてマトモに答えることも出来なかった俺を、二人は不思議そうに見ていた。きっと、彼らにはわかるまい。俺がどれほど安堵したか。どれほど希望を抱いたか。どうか、と切実に願うほどに、彼らの姿は俺達が喪った希望だった。


 俺達が取れなかった《彼》の手を当たり前のように取った《彼女》に、ただ、永久の感謝を、と。


 だから、だ。

 俺が《彼女》を怒ったのは、無論心配してのことだが、それより何より、とても利己的な理由だった。やっと孤独から解放された《彼》を知っているからこそ、危険な行動を平然と取った《彼女》を許せなかった。俺と同じ人間だと言う《彼女》には戦闘能力など皆無。むしろそこらの一般人より弱いと本人が豪語するほどだ。

 それならそれで、仮に戦場に来たとしても大人しくしていれば良いものを。よりにもよって、ラウラの発明した魔導具の試運転テストと称して、物見櫓から最前線に向けて爆発呪文を撃ったらしい。俺はその時、キャラベル側の食料を抑えるために部下共々出撃していた。ひたすら勿体ないと口にしていた《彼女》の為に、持てるだけの食料を一部だけでも持ち帰った俺を待っていたのは、そういうふざけた報告だったのだ。

 俺が怒鳴っても、《彼女》は《彼》を含む面々が無事だったから良いだろうなどという見当違いの返答を寄越した。誰があんな規格外戦闘力の保持者の心配をするか。そんなものが不必要だということぐらい、旅の間に嫌と言うほど理解している。……正直、俺が全力で挑んだところで、手傷を負わせることは出来ても、戦闘不能に追い込むことは不可能だろう。それほどに、《彼》は体力と防御に特化している。伊達に獣人ベスティの獅子ではないのだ。


――ライナーに魔法の対処は出来ねぇだろうが。

――うい、そうですね。でもとりあえず、そんな怒らなくても大丈夫だって。

――お嬢。

――えーっと、心配かけてごめんなさい?でもほら、ワタシはちゃんと無事なので、ご安心を。


 誤魔化すような笑顔に、折れるしかなかったのは、何を言っても無駄だと悟ったからだ。何でこう、自分の存在価値に疎いんだ。《彼女》は気づいていない。今、《彼女》を喪ったならば、《彼》は今度こそ永遠の孤独に捕らわれるだろう。本人が気づいていなくても、そうなるのは目に見えている。だからもっと、自分の安全に気を配って欲しいというのに。

 詫びのつもりなのか、料理番のシュテファンが運んできたチョコクッキーは美味だった。美味だったが、また同じような無茶をしでかした時には説教しよう、と俺が決意する程度には、《彼女》は暢気すぎた。……非力だと自覚してるなら、せめて、防御方面の魔導具の開発に力を注いでくれ。頼むから。



 けれど《彼女》の無事を祈るのでさえ、利己的な俺達が《彼》を救えなかったことへの贖罪のようなものだと、確かに理解はしているのだ。


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