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「アディ、状況をちゃんと説明しろ!」
息せき切って、ワタシはアーダルベルトの執務室に飛び込んだ。無礼だ何だといつもなら口にするエーレンフリートが、驚いたように目を見張るだけで留まっているのは、それだけワタシの気迫が尋常じゃ無かったからだろう。アーダルベルトも、ユリウスさんも、目を見開いてワタシを見ている。……あぁ、そうだろう。何故今、ワタシが、こんなにも怒り心頭でやって来るかなんて、考えもつかないのだろうから。
だが、ワタシはワタシの矜持のためにも、真実を明らかにしないと気が済まない。
「ミュー、お前、今は日課のウォーキングじゃないのか?」
「んなもんどうでも良い!詳しい状況をちゃんと説明しろ。隠そうとするな!」
「……ミュー?」
血を吐くように叫んだワタシを、アーダルベルトは見ている。静かに名前を呼んだ声は、僅かの驚愕を孕んでいた。……あぁ、そうだろう。お前はちゃんと気づいてくれるだろう。ワタシの本心を。ワタシの怒りの意味を。こうして顔を合わせれば、ワタシが何を思って叫んだかを、察してくれるだろう?
ユリウスさんも、ライナーさんも、エーレンフリートも、誰一人として気づかない。ワタシが何を怒っているのか、彼らは知らない。気づかない。けれど、アーダルベルトは気づくだろう。気づいてくれなければ、ワタシは辛い。…なぁ、ワタシはそんなにも、アンタにとって幼い庇護者か?ふざけるな。ワタシにだって、ほんの僅かの矜持ぐらいあるんだよ。
「……何を聞いた」
「キャラベル共和国に放った斥候から死者が出た、と」
「……誰が言った」
「ワタシに話してたんじゃない。ただの世間話がたまたま聞こえただけだ」
「そうか」
ワタシとアーダルベルトのやりとりを聞いて、三人が息を飲んだ。エーレンフリートは鉛を飲み込んだような顔をして、ワタシから視線を逸らした。ライナーさんは、反対に感情を消した無表情で静かにワタシ達を見ている。そして、ユリウス宰相は、困ったような微笑みを浮かべながら、まるでいとけない、幼い何かを見るように、ワタシを見つめていた。
彼らに共通するのは、ただ一つ。ワタシを、《護らなければならない幼子》として見ていることだけだ。
ワタシは、確かに戦場を知らない。戦うことを知らない。戦えない、ただの小娘だ。それは認める。認めよう。だが、だけど、それでも、そんなワタシにも矜持はあるんだ。何も知らぬまま、隠されたまま、安穏といつものように笑っていることが幸せだなんて、思われたくない。隠し事を、赦したくはない。
観念したように、アーダルベルトがため息をついた。執務机に座っている覇王様。ワタシが見慣れた、誰より親しい、この世界においてワタシが唯一絶対の信頼を捧げる皇帝陛下。何のためらいもなく我が友と呼べる悪友。……そのお前に、隠し事をされたワタシの悔しさを、少しは解ってくれないか?
「確かに、キャラベル共和国に放った斥候に死傷者は出た。だが、戦の前ならば普通だ。特にお前が気にすることではない」
「ふざけるな。自惚れるつもりはないけれど、今回アンタがキャラベル共和国の内部深くにまで斥候を放ったのは、ワタシが戦になると言ったからだろう」
「ミュー、決断したのも命じたのも俺だ」
「……それでも、ワタシの発言のせいで、ヒトが死んだのは、事実だ」
低く、低く、底なし沼に沈み込むように沈んだ気持ちで、ワタシは呟いた。周囲の三人からは、労るような視線が向かってくる。違う。ワタシはそんな風に労られたいわけじゃない。悲しんでいるのも苦しんでいるのも事実だ。けれど、それより何より、ワタシは。
「お前が気に病むことは無い。……そんな顔をするな」
そうやってワタシを労ろうとするアンタが、誰より一番傷ついているだろう、アーダルベルト!民を、国を、自分以外の全てを愛して、護ろうとして、滅私奉公で働く皇帝陛下。皇帝として即位したときから、アンタは私情を捨てた。公私混同なんかじゃなくて、完全に自分の生活から私事を切り捨てた。いつだって、国のために生きてきたアンタが、死傷者を出した事実を悔やんでないわけがない。
斥候はそれが仕事?あぁ、そうだろうとも。その為の斥候部隊だ。より多くの犠牲が出ないように、少量の犠牲ですむように、彼らは情報を取るために敵国に潜入する。死を覚悟しているだろう。任務に向かう度に、遺書を残して行くのだろう。そして、彼らはそういうものだと皆が言うのだろう。
けれど、喪われたのは確かに、代替品の存在しない、たった一つの命だ!
……その話を聞いたとき、手が震えた。身体が震えた。恐怖が襲ってきた。ワタシの迂闊な一言が、誰かを殺した。その事実を平然と飲み込めるほど、ワタシの精神は強靱じゃない。今だって、泣き出したいし、叫び出したいし、逃げてしまいたい。
でも、そうしないのは、そうできないのは、目の前で、困ったように笑うアーダルベルトがいるからだ。止めろ。止めてくれ。ワタシは弱い。非力で、何も出来ないただの小娘だ。けれど、それでも、そんな風に、ワタシを全部から護ろうとするな。ワタシまで、護ろうとするな。ワタシの阿呆な一言が原因だというなら、ちゃんと、それを教えろ。責めろとは言わない。アンタはそういう男じゃないと知ってるから。だけど、でも。
「ちゃんと全部、話せよぉ……ッ!」
執務机を乗り越えるように身を乗り出して、アーダルベルトの襟首を引っ掴んで、泣きそうに震える声を叱咤して叫んだ。絞り出すような叫び声は、もう殆ど嗚咽だ。幼い子供が、駄々をこねているような情けない声。がたがた震える身体を、止める術が存在しない。室内に重苦しい沈黙が落ちたって、ワタシは、自分を止められなかった。
ワタシを見るアーダルベルトの瞳は、優しかった。……そうだよ。アンタはいつだって、ワタシに優しかった。優しすぎるんだ、アーダルベルト。思えば、最初からそうだった。トルファイ村の未来を変えることに怯えたワタシに与えられた、「責任は全て俺が取る」という言葉。アレは、ワタシが一歩を踏み出すきっかけだった。ありがたいと思った。今でも思ってる。
けれど今なおその精神でワタシに接するお前を、ワタシはぶん殴りたくて仕方ないんだ、アディ!
なぁ、どうして解ってくれない?ワタシは、護られるだけじゃ嫌なんだよ。アンタの荷物になりたくないんだよ。それなのに、どうしてそうやって、いつも、いつも、ワタシを護ろうとするんだ。ワタシは非力だけれど、そこまで無力じゃ無い。時間がかかったって、ちゃんと自分で乗り越える。乗り越えてみせる。だから!
「……ミュー、それは俺が背負うべきモノだ。お前が不要に責任を感じる必要は無い」
「……ッ!……アディの阿呆!」
生真面目な皇帝陛下は、ワタシの真意をいつもと違ってちっとも理解してくれなかった。そりゃ、未だに情けなくがたがた震えてるワタシが悪いんだろう。泣きそうになってるワタシが悪いんだろう。きっと、傍目には、ワタシが、怯えているように見えるんだろう。けどな、ワタシは怯えてるんじゃなくて、それもあるけど、それ以上に、悔しくて怒ってるんだよ!
眼前のワイルドイケメンの顔をぶん殴って、ワタシは脱兎のごとく踵を返した。案の定ダメージは無かったんだろう。ミュー、とワタシを呼ぶ声はいつもと同じだった。ワタシの内側で渦巻く、ぐるぐるした感情と正反対に、覇王様はいつも通りだった。……ちくしょうが。
乱暴にドアを開けて、背中にぶつかるライナーさんの呼び声を無視して、そのまま廊下を走った。自分でも子供じみた行動だとは解ってる。わかってるけれど、悔しいんだ。どうしてワタシはこんなに無力なんだろう。どうしてワタシは、こんなに非力なんだろう。自分の行動がもたらす結果を、もっとちゃんと考えておけばよかった。そうすれば、こんな風に悩むことだって、無かっただろうに。
ライナーさんを放置して、自室に飛び込んだ。ライナーさんは、部屋の中までは入ってこない。一応女子の部屋だしな。きっと、少し心配そうな顔をして、ドアの外にいるんだろう。そんなことを思いながら、ベッドにダイブした。ふかふかのベッドはいつもならワタシの気持ちを晴れやかにしてくれるのに、今日は全然癒やされなかった。
……ワタシは、人殺しなのだ。
間接的とはいえ、私の発言でヒトが死んだのは事実だ。今までは、救う側だった。トルファイ村も、テオドールの謀反の時も、ウォール王国の指輪の件も、ワタシの《予言》は誰かを救うためだった。傷つけるためでは無い。救うための、無用な争いを避けるための発言だった。
けれど、今回は違う。違うのだ。
確かに、キャラベル共和国との戦争は避けられない。彼の国にその意思が存在しない以上、戦争にはなるだろう。私の発言に嘘は無い。けれど、戦になるとワタシが言ってしまったから、アーダルベルトは動いたのだ。キャラベル共和国の内情をより詳しく知るために、斥候を派遣した。それは皇帝陛下としてとても正しい行動。そして、その結果、斥候部隊に死傷者が出た。それも、多分、ごく当たり前の結末。
ただ、ワタシは知っている。
ワタシが迂闊なことを言わなければ、アーダルベルトは動かなかった。キャラベル共和国が動いて、初めてそれに対応しただろう。後手に回るのだから、多少の不利は否めない。その為に負傷者や死傷者が出るかも知れない。けれどそれは、あらかじめ定められている通りの、普通の未来だ。今の、私の発言のせいで斥候が死んだという未来に比べれば、とてもとても普通の、当たり前の時間を進んだ、未来だ。
何もしていなくても、ワタシは言葉一つでヒトを殺せる。《未来》を《知っている》というのは、そういうことなのだ。未然に防ぎ、犠牲を最小限に抑えることが出来るのも事実。けれど、ワタシの言葉で、《未来》が変わるということは、誰かが死ぬことも可能性に入るのだ。……《正しい未来》ならば死ぬはずもなかったヒトが、私の発言のせいで死んだのだ。何も感じるなと、気にするなと、そんなことを言われても、無理な話だ。
その事実に怯えると同時に、ワタシはただ、悔しかった。なぁ、アーダルベルト。ワタシは、共に背負うに値しない、ただの小娘なのか。我が友と呼んでくれるアンタの隣で、アンタの支えになることは、ワタシには赦されないのか。ただ安穏と護られて、何も知らないように箱庭に囲われるような生き方を望む小娘だと、お前はワタシを認識しているのか?ふざけるな。ふざけろ。そんなこと、誰が認めてもワタシは認めない。
自分の言葉にくらい、責任を持ちたい。何の権限も無いワタシに、何が背負えるのか。何が出来るのか。それでも、知らないままでいることより、ちゃんと全部説明されて、その上で苦渋を飲み込む方がよっぽど建設的だ。ワタシの矜持はそれを望む。ただ唯々諾々と護られるだけなんて、それじゃあワタシは、アンタの愛玩人形みたいじゃないか……ッ!
「……あぁ、そうか。ワタシは、あいつと対等でありたいんだ……」
口にしてしまえば、とても簡単に納得できた。
そう、ワタシは、あの最強無敵、完全無欠の皇帝陛下、アーダルベルト・ガエリオスと対等でいたいのだ。友人としてじゃなくて、全てにおいて、対等でいたい。同じ場所で、同じモノを見たい。同じように背負いたい。それが不可能なら、せめて、背負うあいつの傍らで、その支えになりたい。ただ、それだけ。
けれどそれはきっと、ただの小娘のワタシには、どれだけ願っても赦されない事なのだろう。
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