閑話 近衛兵エーレンフリート

 俺の名前は、エーレンフリート。ガエリア帝国皇帝、アーダルベルト陛下に仕える近衛兵だ。

 ……俺に姓が無いのは、俺がどこの誰とも知れぬ孤児だからに他ならない。本来なら出自も怪しいこの俺が、近衛兵などという身に余る立場につけるわけが無かった。様々な幸運が重なって、俺はこうして今、敬愛するアーダルベルト陛下の傍らで働くことが出来ている。

 物心ついた頃には、俺は一人だった。元来頑強な獣人ベスティの中でも、狼として生まれついた俺の身体能力は高かった。何も解らぬ子供の頃から、とりあえず手頃な鈍器や石を手に、そもそも己の牙と爪を用いて、野生の獣や魔物を倒し、その亡骸から得た物体を換金所に運んで生計を立てていた。俺の周りには、同じように生きる子供達が多くいた。

 俺達のように、孤児院に拾われることも無く、気づけば街の裏側でひっそりと生き延びる子供は、多かった。長じてそういった存在は裏社会で生きることになるのだろうが、俺はそうはならなかった。どちらかと言えば俺は、裏社会よりも冒険者の方へと道筋を作っていたように思う。魔物を倒すときに知り合った冒険者達から、効率の良い稼ぎ方などを教わり、それなりの年齢になったらギルドに登録すれば良いと教えて貰っていたからだ。非合法の裏社会より、危険はあっても合法的なギルドの方がよほど安全だと、幼い俺でも理解は出来た。


 だが、俺は冒険者にはならなかった。


 もはや運が良かったとしか言いようが無いが、たまたま視察に来られていた、当時はまだ皇太子であったアーダルベルト陛下に、俺は見出されたのだ。単独行動を取られていたアーダルベルト陛下が、街の子供襲う魔物と戦う俺の姿を見初められた、らしい。筋が良さそうだという理由で俺は、なんとそのまま、近衛兵のための士官学校に入学することになった。

 王都にある近衛兵のための士官学校は、最低でも16歳になっていなければ入学できないとされている。ただしそれは、身体能力的に厳しいモノがあるからということで、皇太子殿下の推薦という伝家の宝刀を手にした状態の俺は、入学試験に合格したこともあって、基準年齢に達していないまま入学を赦された。……当時の俺の年齢は、おそらく、12歳。アーダルベルト陛下と同じ年齢だろう、ということだった。

 正確な年齢など、俺にはわからない。自分がどこで生まれたのかも知らない。そんな俺でも、あの眩い炎のような方のお役に立てるのならばと、死にものぐるいで勉学に励んだ。

 当時の俺は、文字の読み書きを最低限出来る程度だった。それとて、俺の育った環境を思えば十二分に珍しいはずだ。俺の存在を面白がっていた冒険者達が、手慰みに教えてくれた様々な知識の中に、読み書きと算術があったのは、不幸中の幸いだった。

 そして、そんな俺の同室者として選ばれたのが、十歳年上のライナーだった。子爵家の御曹司であるライナーは、当時22歳。随分と遅い入学だったが、当人はけろりとしていた。幼すぎる俺と、年を重ねすぎているライナー。周囲から見れば異質な二人組だったことは事実だが、それでも、俺達は友情を築けた。

 いや、違うな。

 年かさのライナーが、俺の目付役や世話役として、入学してきたのだ。ライナーは以前からアーダルベルト陛下と顔見知りだったという。基礎的な勉学を知らない俺が苦労しないように、学友として補佐する立場にライナーが選ばれただけだ。……そのことをちゃんと理解したのは、士官学校を二年で卒業し、近衛兵として任命される前日だった。


――明日からは同僚になるわけだから、隠し事は止めておこうか。


 楽しげに笑ったライナーの言葉に、告げられた内容に、俺は己の未熟さを痛感した。そして、そこまで気にかけてくださったアーダルベルト陛下に、生涯の忠誠を誓うことを決意した。俺の命は全て、あの方のために。戦うことしか能力の無い俺が、それでも手を伸ばして受け入れて貰えたのだから、全てを賭してあの方の力になるのだと、勝手に決めたのだ。

 気負うなよ、とライナーはそんな俺を見ていつも笑う。違う、ライナー。俺は気負っているわけではない。ただ、こうする以外に、あの方に恩返しをする方法を知らないだけだ。

 そんな俺であるから、陛下に対して無礼な行動を取る人間には、無意識に殺気を放ってしまう。そう、無意識なのだ。たまに意識して放つこともあるが、陛下に対して無礼だと判断した瞬間、反射のように殺気を放っている。……らしい。あまり自覚は無い。その辺はライナーによく言われるが、無意識なんだから仕方ないだろう。



 そして、そんな俺に、意識して殺気を放たせるという、とても面倒くさい人物が現れた。



 名前は、ミュー様。正確な名前は、俺達には発音できないと言っていた。異世界からの召喚者。この世界の《未来》を《予言》してみせた、特異な能力を持つ少女。それだけならば、俺は別に彼女の存在を受け入れただろう。問題は、彼女が陛下に対して、あまりにも、……そう、あ・ま・り・に・も、無礼すぎたことだ。

 ため口をきく。名前を勝手に縮めて呼ぶ。ことあるごとに叩く。むしろ言動の全てが、同年代の友人に対するそれでしかない。その時点で、俺の怒りが限界突破するのは当然ではないか。ただの小娘が、我らが偉大なる皇帝、アーダルベルト陛下に対してそんな態度を取るなど、赦されるわけが無い!




 何故か、当の陛下がそれを許し、笑って受け入れておられたが。



 

 こればかりは、何故そうなのかと問いかけたいほどだった。だが、近衛兵の俺に、部下に過ぎない俺に、そんなことは赦されない。解っているからこそ、彼女の方をどうにかしようとしたのだが……。……彼女に無意識+意識的に殺気を放っていたことを、陛下に咎められてしまい、それも出来なくなった。何故ですか、陛下。俺はただ、貴方に対する無礼な行動を止めさせようとしただけですのに。

 彼女は次から次へと偉業を成し遂げた。彼女は真に《予言》の力を持っているのだと、誰もが確信してしまうほどに。トルファイ村を土砂災害から救い、テオドール殿の謀反を未然に防いで見せた。それ以外にも、大小様々な天災や人災を陛下に進言することで防いでいる。料理に関しても、新たな食材の発掘や調理方法の伝授で料理番達に大変感謝されているらしい。

 ……功績は、認めているのだ。彼女のおかげで、確かに陛下が助かっておられるのも事実。それは事実だ。事実なのだ、が……!あの言動を、隙あらば陛下を叩くようなあの言動を、何故、俺が、赦しておけると思うのか…ッ!

 だが、陛下の彼女への信頼は、最大級のものだった。もはや、誰も間に入れまいとすら思った。何せ陛下は、新年会において、彼女に己と揃いの男性の第一礼装モーニングを着用することを赦されたのだ。それも、色は陛下の色と誰もが認識し、それ故に着ることをためらっている赤だ。陛下自身は彼女の色と認識できる黒を纏われた。

 ……互いの色を、揃いの衣装で身に纏う。その絶対的な信頼を、誰が疑えただろうか。新年会でその姿を見せられた貴族達は、誰もが驚きで息を飲んでいた。だが、俺はひどく自然にそれを受け入れていたのだ。その時は気づかなかった。けれど、並び立つお二人の姿はあまりにも、誂えたように相応しく、違和感が無かった。


 ……そう、俺は多分、その時にはもう、彼女が陛下の傍らにあることを認めてしまっていたのだ。


 そのことに気づいたのは、つい先日のことだ。俺は、陛下に命じられて彼女やライナーと共に、ウォール王国へ足を運んだ。彼の国の阿呆が我が国に喧嘩を売った。我々は巻き込まれただけで、事件解決に役立ちそうな発言を《うっかり》してしまった彼女を連れて、ウォール王国へ行かなければならなくなったのだ。

 ……俺とライナーは、彼女の護衛だった。本来なら陛下の側を離れることなど、俺は絶対に認めなかった筈だ。その俺が、どれほど絶望にうちひしがれていようと、最終的に陛下の命令だからと彼女と共にウォール王国へ足を運んだその時に、ライナーには全てがわかっていたのだろう。この俺が、陛下の側を離れることを受け入れた、という事実に。

 ウォール王国では恙なく話は進んだ。彼女の知識は、いったいどこまで行くのか。何を知っているのか、何を知らずにいるのか、まったくわからない。完全に未来を見通しているとしか思えない彼女の発言によって、事件はあっさりと解決した。あとは向こうの騎士団がどうにかするのだろう。それは俺達に関係することでは無い。

 そうして国へ戻る途中、アロッサ山で刺客は現れた。

 現れるだろうと思っていたので、俺もライナーも慌てはしなかった。敵の迎撃は俺の仕事。彼女の護衛はライナーの仕事。暗黙のウチに役割分担を行い、俺達は刺客を迎え撃った。ただ、相手が暗器を使ったこと、数がそれなりに多かったことから、俺が残って奴らを倒し、ライナーには彼女を連れて先に戻るように視線で伝えた。ヤツにもその意図は伝わったのか、当たり前のように彼女を抱えて走り出した。

 俺に取ってもライナーにとっても、当たり前のこと。戦えない彼女を思えば、普通の行動。また、この程度の人間の雑兵に後れを取る俺では無い。だから俺達にとっては当たり前のことだったのだが、彼女には違ったらしい。

 敵を全員昏倒させ、適当に縛り上げて転がした後、俺はアロッサ山を降りた。トルファイ村へと足を向ければ、何故かそこに、彼女がいた。傍らには魔物使いテイマーの少年がいたが、それはどうでも良い。俺に取って重要なのは、何故、彼女が未だにトルファイ村にいるか、だった。

 不機嫌になりながらもライナーに問えば、彼女が俺を心配して、ここに残っていた、というあり得ない状況。何を考えているのか。狙われたのは彼女自身だ。俺の心配などをしている暇は無い。


――何が俺の心配なんですか。そんなモノは不要です。そんな暇があるなら、とっとと陛下の所に戻ってて下さい。

――煩いな!アンタは確かに強いかも知れないけど、ワタシはそれを見てなかったんだから、心配したって良いじゃないか!

――いらんと言ってるんです!貴方はそんなことはせずに、俺達に護られていれば良いんですよ!それが俺達の仕事なんですから。

――……ライナーさん、こいつ機嫌悪い……。

――機嫌悪いんじゃ無くて、ミュー様の無自覚に怒ってるだけですよ。


 ライナーは楽しそうに笑っていた。そう、俺は彼女の無自覚に怒っていた。自分が、陛下にとって、国にとって、俺達にとって、どういう立場の存在であるのかを、微塵も認識していないのだ。俺が怒っても無理は無いことだ。もう少し、自分の立場を考えて貰いたい。

 イライラしながらもライナーに状況を説明し、その話を聞いていた彼女に、俺の心配など不要だろうと告げれば、素直に謝られた。謝って、そして、彼女は。


――余計なことしてごめん。でも、ありがとう。

――……は?

――いや、護ってくれて、ありがとう。


 告げられた言葉に、俺は硬直してしまった。彼女は、自分が謝礼を口にしたことに対する驚きだと思っていたのか、不服そうな顔をしていたが。俺はそれどころでは無かった。理解した。自覚した。その瞬間に、全てが繋がってしまったのだ。



 何故なら俺は、彼女を《護るべき、仕えるべき対象》として認識していたのだから。



 陛下の命令が最優先。それが俺の行動の理由。けれど、陛下の側を離れても良いと思えるほどに、彼女を護ることは俺にとって当たり前になっていた。その事実を、自分でも気づいていなかった感情を指摘された気がして、俺は固まるしか出来なかったのだ。

 ……その後、色々と持てあました感情を整理するために、俺は彼女への敬称をそれまでの《ミュー殿》呼びから《ミュー様》呼びへと変えた。目敏く気づいた彼女に突っ込まれたが、答えるのが面倒だったのと気恥ずかしいのと悔しいのとがない交ぜになって答えないでいたら、陛下がフォローしてくださった。ありがとうございます、陛下。未だに認めるのは少々癪に障るのです。



 ……まぁ、《護るべき、仕えるべき対象》として認識したからとはいえ、陛下へのあの言動を全て許容したわけでは無いがな!


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