閑話 女官長ツェツィーリア

 私の名前はツェツィーリア・ヴァーンシュタインと申します。ガエリア王城にて、女官長の職を拝命している者でございます。どうぞ以後、お見知りおきを。

 私の職務は、女官や侍女を束ね、王城の仕事を――あくまでも女官や侍女の職務に関する範囲ですので、政治的なことや武術的なことは無関係でございます――恙なく回すことにございます。もはや結婚適齢期をとうの昔に過ぎた身ではありますが、未だに独身。ですが、私は職務に全てをかけると決めておりますので、そのようなことは些末でございます。実家も兄が継いでおりますので、私が未婚のまま一生を終えたところで、誰にも迷惑などかかりませんし。

 王城での私の日常は、ほぼ同じ事の繰り返しでございました。

 現在の皇帝陛下であるアーダルベルト陛下には、未だ奥方と呼ぶべき御方はいらっしゃいません。先帝の皇妃であらせられる皇太后様は、陛下が即位されたその時に、いらぬ争いごとの源になってもならぬから、と自ら離宮へと移り住まれ、こちらに訪れられることはございません。それゆえ、高貴な女性の方々がおられれば増えるであろう仕事も存在せず、私の日常は、ある意味では平和であり、ある意味では単調でございました。

 


 それがある日唐突に変化したのには、大変驚きました。



 陛下が、あの陛下が……。職務以外に興味は無いのではと疑うほどに仕事一筋で、民と国のために滅私奉公で働く以外の思考回路を放棄されているような陛下が。並み居る貴族令嬢の秋波を全力で無視し、娘を婚約者にと推してくる貴族達を一刀両断するような陛下が。ある日突然、少女を《持ち帰って》しまわれたのです。

 えぇ、《持ち帰った》でございます。私、それに関しては異論を認めるつもりはございません。社交界デビューデビュタントもまだであろう少女を肩に荷物のように担ぎ上げ、必死の抵抗なのか己の背中を叩き続ける姿を周囲に見られているのですから、立派に《持ち帰った》だと思うのですよ。陛下は大変楽しそうに彼女を担いでおられましたが、それを見た城勤めの者達は、全員が揃って我が目を疑ったものです。


 陛下、貴方はいつから、いたいけな少女を荷物のように扱う方になられたので、と。


 なお、私は始めから少女であると認識しておりましたが、少年と思っていた者も多いようです。それに関しては、彼女が男装をしていたので、仕方ないことだと思います。後日伺ったところ、彼女の世界では、女性も普通にズボンを穿くそうです。…異国にもそういった風習は無いように思いますので、彼女はやはり、異界からの召喚者であると納得もいたしました。

 陛下が《持ち帰って》来られた少女は、ミュー様というお名前です。異界から召喚されてきた彼女を、私達はいたわしく思っておりました。聞けば、彼女は身分制度も殆ど存在しないような場所からやってきたとか。様々な規律に縛られる王城の生活は、さぞかし苦痛であろうと心中を慮ったものでございます。


 それが杞憂であったことに気づいた時は、「むしろ少しはそういった方面も認識してくださいませ!」と苦言を呈したくなりましたが。


 えぇ、ミュー様は、全力でそういった方面を無視しておられました。そもそも、身分制度の頂点に君臨されている皇帝陛下に対して、気さくな同年代の友人に対するような態度でございます。とはいえ、それは陛下が許可されていることですので、誰も何も言えません。付け加えるならば、歴とした男女であるはずですのに、お二人のお姿は同性の友人がじゃれているようにしか見えません。……当初は頭が痛かったのですが、最近はむしろ、それがお二人と思うようになりました。

 それというのも、ミュー様には裏が少しも存在しないのです。わかりやすいほどに感情表現が素直な御方です。その天真爛漫とも言える性質のせいでしょうか?あの方は、他人の懐にするりと入り込んでしまわれるのです。そうして、いつの間にか身内のように気さくに話す間柄となり、こちらが気づいた時にはもはやそれが普通、といった次第でございます。かくいう私もその一人です。

 一度それとなく、ミュー様に一般的な礼儀作法をお伝えした方がよろしいのでは、と陛下に申し上げたことがございます。職務意識ではなく、あくまでも私の善意です。王城に仕える者達は、ミュー様の性質を理解しております。ですが、時折訪れる程度の方々には、彼女の行動が不愉快に映るのでは無いか、と。いらぬ混乱を避けるためにも、最低限の作法は学ばれた方が良いと思ったのです。

 けれど、そんな私に返された陛下の答えは、否。必要ない、とただ静かに仰った陛下の瞳は、どこか遠い場所を見ておられました。


――ミューにそんなものはいらん。

――陛下、ですが……。

――いらぬのだ、女官長。……我らの都合で、あの娘を変貌させることは認めん。


 それほどでございますか、と問いかけそうになったのを、ぐっと飲み込んだ私でございます。それは不敬になりましょう。女官長にすぎない私が、皇帝陛下の心中を勝手に察し、そこに踏み込もうとするのは、あまりにも不敬でしかないのですから。

 それでも、問いかけそうになったのです。それほどに彼女が大切でございますか、と。それほどに彼女の存在は、貴方様の中で大きくなっているのですか、と。ありとあらゆる影響を受けることを拒むほどに、今の彼女を愛おしく思っておいでですか、と。……なお、私の思考に、他意はございません。誰が見てもわかるほどに、陛下はミュー様を溺愛されております。溺愛と申し上げましたが、気を許しているという方が近いのでしょう。


 ただし、親しい者の目から見れば見るほどに、男女の情愛など一切存在しないことが理解できますが。


 何故そこに至らないのですか、と拳を握りしめて私は悔しさを覚えたことも、事実でございます。婚姻に見向きもされない陛下が、年が離れているとはいえ、歴とした少女を誰よりも大切に思っている。その状況に、期待してしまう私が悪いのでしょうか。いえ、悪くなどありません。実際、女官や侍女は未だにお二人の関係に夢を見て、《いずれ来るだろう幸せな未来》を思ってうっとりしております。……私は、その未来が絶対に訪れないことを知っておりますが。

 一度その事実を認めてしまえば、お二人の行動全てを微笑ましく見守ることも可能でございます。ミュー様に限定すれば、不敬罪などという単語は存在を喪うのです。陛下に対する彼女の態度は、あくまでも友人に対するものでしかございません。そして陛下もそれを受け入れておられる。むしろ、喜んでおられます。……ミュー様と他愛ないやりとりをされているときの陛下は、まだ自由を手にしておられた皇子時代のような顔をして、笑っておられますから。

 その陛下に、ミュー様へのダンスの手解きを命じられたときには、天地がひっくり返ったのかと思いました。比喩でなく。あのミュー様に、何故ダンスを教えろと仰せになるのか、私にはわからなかったのです。ですが、陛下もまた、苦渋の決断としてそれを選ばれたのだと知りました。

 ……誰にとっても災難であったのは、ミュー様が有名になりすぎたということでございます。トルファイ村を災害から救い、大小様々に危機を回避せしめたのは、ミュー様の《予言》によると皆が知りつつあった頃。何度目になるかわからぬテオドール殿下の謀反の企てを、ミュー様は事前に察知し、未然に防いでしまわれたのです。事が事ゆえ、噂が広まることを陛下ですら止められませんでした。

 その結果、何が起ったのかと申し上げれば、単純なことにございます。それほどの奇跡を成し遂げた参謀殿にお目にかかりたいと、その年の祝賀を行う新年の宴に、彼女ほど相応しい客人はいないと、貴族達の声が高まったのでございます。あまりにも高まりすぎて、陛下も彼女を伴うしかなかったのです。


 ……まぁ、悲壮な決意で彼女を連れて行くと決められた後は、揃いの第一礼装モーニングの作成に喜びを隠しきれずにおられましたが。


 そんな陛下の思いなどご存じないのか、ミュー様は当初、「ワタシには無理です!」という叫びを常に発しておられるような状態でございました。無論、私とて承知しているのです。何の基礎も存在しないミュー様に、いきなり淑女教育などできません。今回はダンスのみに焦点を絞っていると言っても、まったく馴染みのない彼女には大変苦しい時間だったのでございましょう。

 それでも、途中でミュー様は変わられました。陛下と揃いの衣装を誂えることになった翌日から、そのお心が変化したのは明白でした。何しろ彼女は、私にわざわざ言葉を口にしたのですから。


――ツェリさん、とりあえず、貴族達の目をごまかせるぐらいにはなりたいので、ご指導お願いします。

――唐突にどうされました?

――……ワタシが不作法をしたら、アディに迷惑がかかるので。ワタシが侮られるのは別に構わないのですが、それでアディまで貶められるのは、非常に、ひっじょーに嫌なのです、ワタシ。


 きっぱりと言い切った彼女の表情に、私は大変嬉しく思いました。その熱意に答えるために、少々スパルタな手解きをしたことは自覚しております。ですが、彼女はそれに答えてくれましたので。新年会当日には、それは見事なダンスを披露してくださいました。……本来の実力以上に、陛下との相性がよろしかったのでしょう。互いを思い合う心を含めて。

 そう、ミュー様が陛下を気遣って口にされた決意は、陛下のそれと同じでございました。陛下もまた、己が侮られることは良しとしても、ミュー様が不必要に侮られることは気に食わぬと仰せでしたから。その為の、私の存在でございます。普段は似たような所は見当たらないというのに、本質とでも言うべき一部が本当に良く似ておられるお二人でございます。

 どうぞそのままのお二人で、と私が思ったところで赦されるのではないでしょうか。あれほど自然体で付き合える友人というのは、どのような階級の人間でも貴重なものでございます。……かくいう私も、ミュー様や陛下より長い時間を生きていると言うのに、全てを話し、全てを理解してくれる友人など、二人ほどしか思い浮かびません。そのような存在を陛下が得られたことを、私は何より喜んでいるのですから。

 なお、新年会当日。互いの色である黒と赤の男性の第一礼装モーニングを揃いで誂えて、誰の目から見ても互いが唯一とわかるほどに仲睦まじい姿を披露されたお二人でございますが、弊害が一つ。陛下がミュー様の年齢を口にされた瞬間、大騒ぎになりました。……情けないことですが、私もまた、動揺してしばらくは手が止まってしまいました。

 それだけならば、まだよろしかったのですが。ミュー様が成人女性とわかった途端に、陛下の婚約者になりたがっているご令嬢方が、ミュー様を取り囲み、何やら威圧を与えたとの事でございます。機転を利かせたライナー殿がラウラ殿に頼んでミュー様を救出されたとか。……私がその場にいれば、そのような無礼な小娘など、木っ端微塵に粉砕して差し上げたのですが。生憎私は所用で広間を離れておりましたので、戻った頃にはその騒ぎは終わっておりました。


 ……が、どのご令嬢かはしかと調べて上げておりますので、後日、お話をさせて頂きたいと思います。


 お二人の関係の真実も知らずに、勝手な憶測で判断する愚か者には辟易いたします。そのような性質が陛下に見向きもされぬ理由だと気づかぬ限り、彼女たちが陛下にお声を賜れる日は来ないと思います。えぇ、思いますとも。…そのような礼儀知らずの小娘など、陛下の御前に出すわけには参りませぬからね。これは女官長としての当然でございます。他意はございません。えぇ、ございませんとも。



 新年会の後、ミュー様の口から「今年もよろしくお願いします」と伝えて頂けただけで、私は十分幸せでございます。

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