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「ミュー様、背筋を真っ直ぐして下さいませ。ダンスには姿勢が大切でございます」
凜とした声がワタシの背中にぶつかる。はい、と素直に頷いて、頭を糸で引っ張られているのをイメージしながら、姿勢を直す。何とか、保つ。そうやって真っ直ぐ立つだけでも、普段猫背気味でぐーたらしているワタシには、非常に、途方もなく、苦しいのであります!
ワタシは今、王城にあるちょっと広いめのお部屋で、ダンスのレッスンを受けていた。ただし、初級も初級なので、まずは立ち方から。基本のステップを踏むとか、腕の位置を覚えるとか、それ以前の問題です。真っ直ぐ綺麗に立つこと。それが一番最初ですと微笑んだ女官長のお顔は、大変お美しく見惚れましたが、同時に、むっちゃ怖かったです。
いやーっ!その微笑みの向こう側に「腕が鳴りますわ」っていう魂が見え隠れするの勘弁してぇええええ!
麗しき女官長、ツェツィーリアさんは、淑女教育のプロとアーダルベルトが称した通りの、スパルタマダムに変身しておられた。そんな変身はいらぬのです、ツェリさんんん!
踝まで届くだろう女官服は、古き良き大英帝国のメイド服を思わせます。そう、英国の格調高き、メイド服です。同じメイド服でも、絶対領域確保の若者しか着れないようなアレとは違います。ストイックかつ格調高い美しさを保つ、修道女と変わらぬ凜とした美しさを保つ衣装です。
それを着た、妙齢の(実年齢はおばさん突破してるらしいのですが、とてもそうは見えぬ麗しのマダムです)女官長、ツェツィーリアさん。彼女は
愛称はツェリさん。うっかり舌噛みそうになったワタシに、「呼びにくいのでしたら、ツェリで構いませんわ、ミュー様」って微笑んで下さった笑顔は、本当にステキでした。
今、ワタシの前で貴方が見せている、やる気に満ちあふれた笑顔はいらないけどね!
何でこんな事になってるのかというと、アーダルベルトがワタシを新年会に連行すると決定したからだ。ただ、連れて行かれるだけなら、お人形さんのように大人しくぺこぺこするだけなら、何とか耐えましたけれど。まさかの、ダンスを踊れというお言葉には、「無理-!ワタシに出来るわけないだろぉおおおお!」と全力で抵抗させて貰いましたが、無駄でした。
もっとも、この件に関しては、アーダルベルトもちょっとだけワタシを哀れんでくれてはいたようです。本来ならば、当初の予定ならば、ワタシを新年会に出すつもりは無かったのだとか。礼儀作法なんてどこかに捨て去ってるようなワタシを、やんごとなき方々がお見えになる新年の挨拶に巻き込むつもりはなかったらしい。ありがとう、アディ。アンタ、何だかんだで良い友人だよ。悪友だけど。
ところがどっこい、ワタシがやらかした、テオドールのクーデターを未遂で防いだのが、いけなかったのだとか。そこまで派手にやらかした今となっては、新年会の席にワタシを連れて行かない方が、皆様の不快感を煽るという何とも言えない世知辛い世の中。ワタシは客寄せパンダでは無いと、かつてトルファイ村で、ちゃんとそう言ったでは無いか!
そんなわけで、急遽新年会の参加が決定されたワタシは、せめて一曲は踊れるようになるために、修行真っ最中である。
だがしかし、ド素人のワタシに、何が出来るというのか。とりあえず、言われたとおりに姿勢を維持しているが、正直、既に辛いっす、マダム……!ツェリさん、ツェリさんんん!ワタシの足が、背中が、腰が、色々とビキビキ言ってるんで、ちょぉぉおおっと休憩させてもらえやしませんかねぇええええ!
「一度休憩にしましょうか、ミュー様。慣れない姿勢で、お疲れでしょう」
「ツェリさん……ッ」
「飲み物と甘い物を用意させてありますわ」
「ツェリさん、ありがとう!」
飴と鞭が完璧ですね、女官長!上手に転がされてるのはわかってますけど、もう、素直に喜んでおきます。今日のおやつは何かな?シュテファンが、チーズケーキ作るとか言ってたけど、それかな?それかな?紅茶も良いけど、この間のフルーツジュースも飲みたいなー!
わくわくしながら隣室へ向かうワタシに、ライナーさんが微笑んでくれている。待って、ライナーさん。その、「お稽古を頑張った子供に向ける微笑み」はやめて貰いたい。ワタシは子供では無いのだ。確かに、行動は子供かも知れぬが、見た目も子供かも知れませぬが、あの、一応ハタチなんですよぉおおお!……言えないけどな。
っていうか、何でアーダルベルトはワタシの実年齢を隠したがるんだ。……まぁ、大学生だったって言っても、大学生が19歳以上だっていう話をしていていも、まったく信じて貰えないワタシの童顔、どういうことなんでしょうかね!?向こうの世界ではそこまでではなかったので、この世界における、日本人的童顔に対する扱いが、ひどすぎると思うのです。むぐぅ。
「休憩が終わりましたら、次は腕の位置と初歩のステップをいたしましょう」
「……うい」
「ミュー様?」
「はい、わかりました」
いつもの調子でへろっと返事をしたら、横目で微笑みながら凄まれた。普段はまだ割と見逃して貰っているが、今はツェツィーリアさんはワタシの先生だ。淑女教育のプロと言われる女史が、その状況でワタシのへろへろ具合を見逃してくれるかと言えば、あり得ない。なんちゃって敬語で頑張ってみる。……苦手なんだが。
色々と怖いのは事実だが、とりあえず、美味しい飲み物とおやつを堪能しよう。机の上にあるのは、ハーブティーとチーズケーキだった。シュテファンの新作かなぁ?シュテファンの新作だったら、ワタシの食べたい要素を微妙に反映してくれるから、地味に楽しみなのだけど。ハーブティーなのは、ひょっとして、ワタシの疲労を回復させる意図があるんだろうか?
なお、この世界においてハーブティーは、マジで
つーわけで、ただのお茶なのに、飲んだら元気になれます。そりゃ、多少ではありますが。それでも、ちゃんと回復するという事実に、へろへろの時にハーブティー飲んで、元気になって、目が点になりました。あ、これ回復アイテムじゃん。ちゃんと回復するじゃん。そう思った瞬間のワタシの微妙な心境を、どうか理解して欲しい。
「美味しい-」
「お口に合いましたか、ミュー様」
「はい!このチーズケーキも絶品」
「そちらは、料理番のシュテファンがミュー様にと持ってきました。……随分と仲良くおなりですね」
「シュテファンはワタシの我が儘を聞いて、美味しい食べ物作ってくれるので、好きですよ」
にへっと笑ったら、ツェツィーリアさんは、まるでいとけない子供を見るかのように眼を細めて、優しく微笑んでくれました。……よぉぉぉおし!これはもう、彼女にもワタシの年齢が子供だと思われてるってことでファイナルアンサーですねぇえええええ!わかってた。わかってたけど、色々辛いわ!
本当、ワタシの実年齢を把握してるの、アーダルベルトだけなんですよね。他は全員、子供だと思ってる。だって、ツェツィーリアさんの眼が、「今から頑張れば十分立派な淑女になれますわ」って微笑んでるんですよ。これ絶対、
「ライナーさんも食べませんか?」
「ミュー様、いつも申し上げますが、俺は護衛ですから」
「でも、ワタシ一人で食べるの寂しいので、ライナーさんも、ツェリさんも一緒に食べて下さい」
「……ミュー様」
「ライナー殿、諦めましょう。ミュー様はそういう御方ですわ」
くすくすと微笑むツェツィーリアさんに敗北したように、ライナーさんも諦めたようにため息をついた後にワタシの隣に座った。なお、今のやりとりを聞いていた有能な侍女さん達は、ささっと二人分のお茶セットを用意していました。素晴らしい。というか多分、予測されてたんだろうなぁ……。
ワタシは庶民なので、一人でもぐもぐするのは性に合わないのです。同じ空間にいるなら、一緒に食べる方が絶対に美味しい。ワタシ間違ってないもん!
それでも、ハーブティーもチーズケーキも普通に美味しかったので、二人とも笑顔で食べてくれています。シュテファーン!今回の新作も、マジで美味しかったよー!オレンジとかレモンとかの柑橘系の酸味が効いてるのが、また、絶品です!ありがとう。ワタシのリクエストが反映されてた!レモンチーズケーキとかマジで美味しいからな!
シュテファンは頭が柔軟なので、見たことも聞いたこともない料理でも、ワタシが食べたいと言ったら、創意工夫で作ってくれる素晴らしい料理人だ。あれで若手なんだからそら恐ろしい。でも、熟練の人たちには出来ない柔らかな発想って言うのは、十分武器だと思うな。
で、ワタシが伝えて、シュテファンが何となく作って、それを先輩や料理長が改良して完成する、というのが最近のスタンスらしい。なお、初期はワタシとシュテファン二人で完結していた。それに比べれば、今の料理の完成度と再現率はパネェ。ありがとう。そのうち、和菓子もリクエストさせてもらいたい!
「このチーズケーキ、いつもと味が違いますね」
「ワタシが、レモンとかオレンジ混ぜて!っておねだりしました」
「ミュー様は、本当に色んな事をご存じですわね」
「故郷にはあったんですよ~」
感心したみたいなツェツィーリアさんに、へろっと笑いながら答えた。嘘じゃ無い。スイーツの世界も日進月歩で、店ごとのオリジナルがいっぱいあって、ワタシが食べたことのあるチーズケーキにも、色んなタイプがあったのだ。今回のは冷やして固めるタイプのチーズケーキだけど、半生とろとろバージョンも美味しいと思うので、今度進言してみよう。
こういう話をすると、アーダルベルトが真顔で「お前、むしろ料理を改良する方に全力を注いでないか?」って言ってきたけど、気のせいです。そもそもワタシは、自分が食べたいものをおねだりしているだけなので。料理の改革とか難しいことなど知らぬ。そもそもが、ワタシは自分のやりたいようにしかやっておらぬではないか。
そうしてしばらくお茶を楽しんで、休憩は終了しました。目の前のツェツィーリアさんの表情が、穏やかな女官長から、淑女教育のプロへと変身していくのを見るのが、心臓が痛いです。怖いです。えぐえぐ。頑張れば良いんでしょうが……!
「それではミュー様、基本の姿勢でございます」
「うい……」
言われるままに、右手を伸ばして斜め前へ。左手はくの字を描くようにして、目の前に誰かがいるのに触れるように固定。……固定。……しばらく固定。…………あの!このじっとしてるの、結構辛いんですけど、マダムぅうううう!
でも、腕が下がりそうになると、にっこり笑顔で「腕が下がっておりますわ」とか言われて、元の位置に戻される。腕がぷるぷるする。どうしても肩に力が入ってしまう。そうしたら、今度はやはり、「肩の力は抜いてくださいませ。肩は上げないでください」とか言われるんですが、そんなの、無理に決まってんじゃないですかぁあああああ!
そもそも、オタク女子大生のワタシの腕が、長時間この姿勢をキープできるほどの筋肉を備えていると思う方が、間違っているのです!異議を申し上げます!出来るわけが無いの!そもそも、ワタシにダンスなんて無理なんだよぉおおおお!
「ミュー様、ダンスは一日で出来るものではありません」
「……はい」
「新年会まで時間はありませんが、頑張りましょう」
「……はい」
へろへろになってるワタシに笑顔でその台詞とか、ツェツィーリアさん、鬼に見えますで……。
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