15

「ちょっとワタシとお話してくれませんか?」


 静かに呼びかけたら、その人はゆっくりと顔を上げた。牢屋の中で、瞑想するみたいに座っていた猫の獣人ベスティ。言わずもがな、カスパル・ハウゼンだ。独特の色合いをした紫の瞳が、じっとワタシを見る。その顔は、謁見の間で出会った時の表情とは全然違った。あの時の彼は、ただの商人。今の彼は、ただのカスパル。そこに大きな違いがある。

 テオドールが黙秘を貫いている現状に併せて、カスパルも黙秘をしている。非常に面倒くさいこの状況に、さっさと終わらせたいワタシは、アーダルベルトの許可を貰って、カスパルの元へやってきた。背後には勿論、ライナーさん。専属護衛無しにうろうろするなんて、非力なワタシには出来ません。そんな命知らずなこと、やりたくないよ。

 そもそも、ワタシが彼に一目で気づけなかった理由が、その雰囲気の違いだ。


「イメチェンしました?」

「……何のことでしょうか」

「ワタシの《記憶》にある貴方は、もうちょっと派手な見た目してたんですよ。テオドールの隣に並んでも遜色ないような、一介の商人なんかには見えない、洗練された騎士みたいな雰囲気でした」

「私はただの商人ですから」


 穏やかに微笑んでいるけれど、ワタシを見ている瞳には鋭さが宿る。牢屋の向こう側からでも、その視線の意図に気づいているライナーさんが、横目でワタシを見てきた。大丈夫、と合図を送る。ここで馬鹿な真似をするような男じゃないことは、ワタシも知っている。そして、何故、彼がイメチェンしたのかも、多分、わかってる。

 カスパルは、テオドールに心酔している。彼に尽くすことを自分の役目だと思っている。彼を支えたいと願って、皇族である彼の隣にいるのに相応しくなれるように、ありとあらゆることを磨いた。その全てを捨て去るように、木訥とした商人の皮を被ったのは、ワタシに対する擬態の筈だ。

 だって、彼は商人だ。ワタシの存在を知っていても、おかしくはない。情報を最大の武器とする商人が、アーダルベルトの隣に突如現れた「予言の力を持つ参謀」を警戒しない筈がない。だから彼は、とりあえず自分の外見を変えてみたのだろう。

 けれど、たった一つ、変えられなかったものがある。だからワタシは、気づいた。



「でも、その瞳だけは、変えられなかったんですね」



 静かに呟いたら、カスパルが息を飲んだ。何故、と言いたげに唇が戦慄いた。ごめんよ。ワタシは未来だけじゃなくて、過去も知っている。少なくとも、この世界がある程度、ワタシが知っている『ブレイブ・ファンタジア』の世界と酷似している段階で、貴方の考えはお見通しになってしまう。

 カスパル・ハウゼンの瞳は、紫だ。けれど、ちょっと変わった紫なのだ。赤と青を混ぜ合わせたその色は、光の加減や、角度によって、紫の色合いが変化する。赤が強くなったり、青が強くなったり、はたまたただの紫に見えたり。その不思議な色の瞳を、魔法で変化させることも出来ただろう。何より目立つ証拠だ。それなのに、彼は、それだけは弄ることが出来なかった。

 何故ならば。


「その瞳は、テオドールが貴方を美しいと称した、貴方たちの始まりの絆の証ですからね」

「……あなた、は……」

「すみません。ワタシの特技は《予言》だけじゃないんです。……貴方とテオドールの出会いも、貴方の覚悟も、知っています。だからこそ、お願いします。……話してください」

「……いいえ。テオドール様が何も言われないのならば、私が話すことなどありません」

「そのテオドールを救うためにも、貴方に証言して欲しいんですよ」


 胡乱げな眼でワタシを見るカスパル。その疑念は当然だ。でも、コレは本当。アーダルベルトは本当に面倒くさがっているけれど、テオドールを助けるための手段を講じている。何度も何度も自分に反抗する、趣味=クーデターみたいな弟でも、アーダルベルトはテオドールを《処刑しない》のだ。それは彼の優しさで、ワタシはその優しさを、阿呆と言ってやりたくなる。もう、見捨てても良いんじゃない?と。

 それでも見捨てないから、アーダルベルトはアーダルベルトなのだけれど。

 テオドールから崩すのも出来るだろうけど、あえてワタシはカスパルから崩す道を選んだ。今のテオドールは頑なだ。ユリウスさんが尋問しても黙秘を貫いたとか、どんだけ意固地になってるんだか。…まぁ、ユリウスさんに言わせれば、「かなり虚勢を張っておられましたから、もう数回で崩せますよ」ってことらしいけど。怖ェ。マジで怖ェよ、イケオジのエルフ宰相閣下…ッ!


「アーダルベルトに、テオドールを処刑するつもりはありません。けれど、このまま貴方たちが黙秘を続けたら、処罰を下さざるを得なくなる。…ワタシは、貴方やテオドールを救いたいわけじゃない。アーダルベルトを・・・・・・・・助けたいだけなんです」

「……私に、何を話せと?」

「とりあえず、今回の計画の概要を。大まかなところは把握しています。爆発物も大半は撤去できたと思いますが、確証がないので設置場所を教えて貰えたら、と」


 にっこりと笑って見せたけれど、カスパルは答えなかった。ワタシは紛れもない本心で言ってるだけだ。未来を考えたら、二人とも完膚なきまでに叩き潰して、どっかに放り投げて、二度とこんなことを考えないようにしたいぐらいだ。けれど、出来ない。アーダルベルトはしない。少なくとも、彼は、今回もテオドールを見逃すだろう。

 ワタシはただ真っ直ぐと、カスパルを見ている。折れてくれないなら、仕方ない。本当は、他人の過去をどうこう言いたくないんだけどね。それでも、ワタシが全てを知っていることを理解したら、彼も多少は折れてくれるかもしれない。


「貴方とテオドールは似ていますね。共に、優秀でありながら次男坊。後継者は自分よりもさらに優秀な兄。それでも、諦めきれずに自分を磨き続けた。…そんな中で出会ったテオドールに、貴方は自分を重ね、そして、心酔したんですよね」

「…………」

「あぁ、返事はいりません。ワタシはただ、《知っている》だけなので。貴方が出会った頃のテオドールは、前向きだった。兄の背中を追いかけて、いつか追い抜くのだと直向きに自分を磨き続けた。そういう真っ直ぐな彼に、貴方は惹かれたんでしょうね」


 カスパルもライナーさんも黙ってるから、ワタシの声だけが、牢屋に響く。石造りの牢屋は思った以上に声が反響して、なんだか不思議な気分だ。それでもワタシは言葉を綴ることを止めない。止められるわけが無い。これはワタシの役目だ。

 カスパルは悪くない。彼はただ、主に尽くそうとしただけだ。けれど、その忠節は真っ直ぐすぎた。否、融通が利かなさすぎた。というよりも、盲目すぎた。主を慕うがあまり、カスパルはテオドールに否を言えなくなっている。ただ唯々諾々と従う臣下では、主は成長できない。


「けれど、テオドールは変わった。彼はただ、兄に勝つために、兄を越えることだけを求めるようになった。そこに、民を思う王としての姿はありませんよね?」

「……貴方は、テオドール様を愚弄されたいのですか?」

「えぇ、したいです。私利私欲のために民を巻き込み、傷つける。そうしてアーダルベルトに勝利しても何も得られないというのに、そんな簡単なことさえわからない愚者に成り果てたテオドールを、ワタシは貶んでいますよ?」


 今までにないくらいに綺麗な微笑みのオマケ付きだ。性格悪いと言われたって、コレがワタシの本音なんだから仕方ないでしょ。昔のテオドールはただ兄に対抗意識があるだけの、勝ち気な性分の弟だった。今の彼は、手段と目的が入れ替わってる。王になりたいのではなく、ただアーダルベルトを倒したいだけだ。そんなのは、ただの、愚か者だ。

 カスパルはワタシを睨んでいる。そりゃ、睨むだろう。目の前にいるのがうっかりエーレンフリートで、アーダルベルトに対して同じ事を言ったら、ワタシの首は繋がってない。牢屋の中にいるからだけじゃなくて、睨むだけで留めるカスパルは理性的だ。だからこそ、本来ならば彼は、気づいていなければおかしいのに。



「誰より傍に居た貴方が、誰より先にその過ちを正してあげるべきだったんじゃないですか?」



 告げた自分の声が、ものすっごく冷えてることに気づいた。

 なるほど。ワタシはやっぱり、テオドールが嫌いらしい。うん。再確認した。ただ兄を追いかけている弟ってだけなら、兄に負けまいと躍起になっている弟というだけならば、ワタシはこんなにテオドールを嫌わなかっただろう。滅多にそこまで嫌いになるキャラクターなんていないのに、テオドールは大っ嫌いだった。

 そして、この世界で出会ったテオドールも、やっぱりワタシの嫌いなタイプの性格に育っていた。馬鹿か。お前は馬鹿なのか。傍にこんなに真面目で優しい部下がいるのに、何で歪んで兄を逆恨みしてんだ。今すぐ全てに謝れ。土下座しろ。みたいな気分になる。うむ、思い出すだけでそうなるから、本人前にしたら罵倒の嵐になりそうだな。気をつけよう。

 

「……貴方は、貴方は一体、何者なのですか?」

「うん?ワタシはただの召喚者ですよ。ちょっとばかり、《知識》があるだけです」

「《知識》……?」

「えぇ。ワタシの《知識》は貴方たちにとっては《予言》になるみたいですね」


 それがどうかしたのかな?と不思議に思って首を傾げたら、カスパルが諦めたみたいに笑った。おや、どしたの?ワタシ、今の会話で、何か貴方を絶望させるようなことしました?してないと思うんですけど。

 その前の段階なら、思いっきりざっくざっく抉った自覚はあるけどな!


「……では、貴方には私達の《未来》も見えているのでしょうか?」

「…………聞きたいなら教えるけれど、それが貴方の望まない結果だったとしても、ワタシは責任は取らないよ」


 淡々と告げてみた。いや、実際あんまり嬉しい未来じゃないので、教えるのどうなんだろうと思うわけです。今回に関しては、結局アーダルベルトの温情で追放レベルで終わるけどね。《未来》でテオドールがもっぺんやらかしたときは、もう庇いきれなくて、ぶっ潰されてるから。それ、教えるの可哀想くね?

 そんな感じにワタシなりに優しさを示してみたんですが、カスパルは諦めたように笑うだけでした。あるぇ?ワタシ、今のでもしかして、トドメ刺しました?いやいや、大丈夫だからね?!今回は大丈夫なんだよ、カスパル?!貴方もテオドールも、ちゃんと無事にお外にぽいって放り出して貰えるからね!?


「……調書を取る方をお呼びください。私の知る限りのことをお話しします。……その代わり、どうか、テオドール様には温情を」

「……わかりました。決心してくださってありがとうございます」


 目の前で、牢屋の中で頭を下げるカスパルに、ワタシは他に何を言えば良いのかわからなかった。というか、一体何が原因で、彼が自白を決意してくれたのかが、まったくわからない。でもまぁ、とりあえずこれで一歩前進したので、とりあえずお暇しますか。牢屋って微妙に気分が滅入るし。

 色々と釈然としなくて首を捻りながら牢屋から地上に出たら、隣のライナーさんが堪えきれないと言うようにいきなり笑いだした。え?何で?何か面白い話ありました、ライナーさん?


「ライナーさん?」

「い、いえ……。申し訳ありません。ただ、カスパルがミュー様を随分と誤解しているようだったのが、おかしくて」

「誤解?どんな?」

「彼はおそらく、貴方が『大人しく自白しなければお前達二人に滅亡が待っているぞ』という意味合いの《予言》で脅しに来たと、思っていますよ」

「何で?!ワタシそんな極悪人違いますけど!?」


 なんということだ!まさか、カスパルがワタシをそんな風に誤解しているなんて!ワタシはただ、親切心で彼らに「さっさと自白した方が牢屋生活短く終わるし、こっちも楽なんで、自白してくんない?」ぐらいの世間話をしに行ったつもりだったのに!?まさかの?!

 ショックを受けているワタシの隣で、ライナーさんはそれはそれは楽しそうに笑っていた。ライナーさん、笑いすぎ。何でそこまでうけるの。というか、ワタシそんな極悪人に見えました?ただのか弱い乙女なのに…。



 なお、この話を聞いたアーダルベルトは、予想通りに大爆笑しすぎて、腹の筋を痛めそうだと言いやがりました。マル。


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